サブカルのゆるふわリベラル化、について

 いわゆる音楽関係、デザインやアート関係(雑だが)などだと、ほぼ無意識「そういうもの」的にゆるふわ雰囲気リベラルがデフォになっている(らしい)理由、すでに歴史的な記述が必要になっとるとおも。

 音楽関係にせよ、デザイン・アート関係にせよ、ある程度の表現手段と技術持ってて、しかもそれが仕事として市場と接してたりしたらなおのこと、そういう「自分」の価値観やものの見方、感じ方を「自己表現」として行うサイクルが自明に確立されとったりするわけで、な……

 「社会的影響力を自覚した創作を」的な警告的なもの言いもそれに伴って出てくるし、それは「インフルエンサー」だの「アルファ」だのに対する懸念と基本同じハコでもあるんだろうが、同時にそれに対抗的に「表現の自由」や「個人の自由」カードで防禦するまでがすでにお約束だったり、な。

 仕事として「プロ」としてそれで恒常的に「喰っている」ケースだけなら、ビジネスと市場介しての「社会的責任」的なものも要求し得たのが、昨今の情報環境だとそれらとほぼ関係なく、誰もがそれらと近い規模と影響力とをうっかり持ち得るようになっているところがある分、いろいろと、な……