web環境と民主主義・メモ

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 彼の言う「アホなパンピー」は恐らく「無知な愚か者」くらいの侮蔑的な意味だろうと思うんだけど、実際には「専門知識を持ち合わせない門外漢だが、政策の深部に興味や知識を持たないのに評価についての情報だけには多く晒されていて(ネットなどの情報渦で)、主権行使能力はある」人々。


 民主主義は「その参加者全員に、勤勉で意欲的でマジメで正気で悲観的ではないことを強いる」し、それがもし実現し続けているなら、常に全員にとって有益な判断をし続ける制度だとは思うんだけど、現実には「全員が勤勉で意欲的でマジメで正気で悲観的じゃない」存在になるの無理だからねえ。


 だから、「怠惰で不真面目な門外漢が政治に参加しなくても、参加した人がそこそこ正気であるなら、それほど酷いことにはならない(たぶん)」というバッファをかなり広めに取ってるのが、間接民主主義、議院内閣制なんだろうなとは思う。


 ほんで、民主主義は「有権者多数派の要望」を正しく叶えようとするので、有権者多数派が間違った(自分達に長期的には利益をもたらさない)判断を短期的に正しいと思ってチョイスすれば、【正確に、適確に、望み通りに間違える】仕組みだとは思う。議員が間接的に補正するとしても。


 で、ネット。というかSNS。というか、ネットやテレビ、新聞その他を含む、あらゆる情報供給手段の多様化と氾濫。これが、恐らく1995年以前と以後で変わったところで、ネットワークの恩恵を受ける末端がスマホを持ち歩くようになった21世紀以前と以降の違いだとは思う。ここ座視できない。


 ネットの普及について初期には「自分達はマスコミに騙されない!」という自負を持つ人も結構いたけど、昨今の様相を見ると「テレビや雑誌や新聞に騙される人は、ネットでも自分が見たい物しか拾わないから、騙されるときは騙される」「勤勉でない人(実生活が忙しい人)は情報収集に時間を割けない」


 つまりは、「まともで賢い人」でも「多忙で情報収集ができない」となれば、瞬く間に「愚かな門外漢」になる。そして、「正義感が強く、熱意のある、しかし不勉強な門外漢」が、熱意と正義感を危機感で煽られるとどうなるのかというと、「アホなパンピー」と評された人々の票の行方が【分からなくなる】


 んでもって、「正義感と熱意と危機感を持った門外漢」は、どうしても近視眼的になる。「分かりにくい理論」も「自分にも分かるように噛み砕いた説明」に置き換えたもので受け止め、直近で自分の利益が最大化されるものに流れる。成果が出るのに10年とか20年以上掛かるものには、目が向きにくくなる。


 そうすると、どうなるのかというと。

1)威勢のいいことを言う人(アンドリュー・フォーク的な)
2)直近直前の為政者や政策を全否定する人(小池百合子文在寅的な)
3)すぐに成果が見える政策を掲げている人(高速道路無料化的な)
4)新参や部外者を排斥する人(例多数)

が人気を得やすくなる


 盧武鉉が2003年2月、日本における民主党政権による政権交代が2009年9月、トランプ政権の前のオバマ政権が2009年1月、ドゥテルテが2016年6月、トランプが2017年1月、ここらへんはいずれも「インターネット普及後」民主党政権を除けば「首長がほぼ直接選出」。


 結局、「情報氾濫時代」「ネット/SNSなどで、無検証な情報を恣意的に拡散できるようになった(検証も可能だがそれには膨大な労力が必要であることに替わりがない)」ことで、従来「政治参加に積極的では亡かった門外漢」が大量に政治参加を始めた、ってのが21世紀後の民主主義が大きく変革した原因かな。


 また、それまで「一次ソースの発信内容は、必ずマスコミがフィルタリングしたり要約したりすることでのみ拡散されていた」のが、「一次ソース>最終受信者」に中抜きで直接伝えられるようになった。


 盧武鉉はネット運動の熱狂で大統領になったし、オバマもそうだったけど、トランプは「大統領候補の肉声に近い直接発信(ツイ廃)」で有権者に直接訴えかけてる。従来のメディアのフィルタリングをすっ飛ばしたアプローチで、結果的にトランプは報道に打ち克ってる。これは「熱意と正義感はある門外漢」を直接揺り動かした、ってなことではあると思う。盧武鉉オバマのときとトランプが異なるとすれば、トランプは一次ソースから最終受信者に直結で情報発信したっていう点かなあ。


 2009年の民主党政権政権交代は、森元総理の現職時代のIT革命(政策的な)の推進がなかったら到来しなかったのでは、っていう気はする。若い人には信じられないかも知れないがw、あの2009年、2chとニコ動は割と民主党贔屓の声が大きい、みたいな雰囲気あったんだよね。


 2chは板やスレごとに気風がまったく異なるので、自民支持系と民主支持系それぞれの根城のスレで雰囲気はだいぶ違ってたとは思うんだけど、ニコ動のアンケート(割り込んでくる奴)とかでは、しばしば「民主への政権交代に期待を寄せる」という意見が見られた記憶ある。「俺達の手で時代を変える」的な。だから、直接首長を選出する制度ではなかった日本においても、「有権者が横方向に連結して情報交換したり意見を増福させたりする仕組み」としての掲示板、ブログ、SNSの到来とその影響は確かに出てたんだとは思う。


 この「有権者が横方向に連結する」っていうのが、21世紀に入ってからのン民主主義に大きな影響を与えているのでは、というふうには思う。それ以前の民主主義は、判断材料を政党が発信、テレビ・新聞・雑誌がフィルタリングして、有権者に再配布、って流れだった。必ずここで記者やジャーナリストの解釈が加わり、報道が世論を「誘導」できていたし、最終受信者である視聴者・読者は「自分以外の有権者の考え」を直接知る機会が殆どなく、「テレビや新聞がそう言ってるんだから、皆もそうなんだろう」で終わってたと思う。


 掲示板以前だと、fj、MLもそうだったと思うし、以後のブログ、SNSTwitterInstagramFacebookもだけど、mixiSNSですw)なんかも、「有権者を横方向に連結させた」とは思う。同じ意見の人を見つけさせた、対立する意見の人を発見させた、基礎教養を付ける機会(野生のプロとの出会い)とか。


 ただこれは、門外漢に知恵を付けて門外漢を入門者くらいにまで引き揚げる学習機会の拡大であったとは思うけど、同時に「見たいものしか見たくない人が、見たいものだけを選んで見る」ということをも提供したので、結論固定の近視眼や著名人由来のデマに踊らされる人も増やした。


 ところで日本国内の新聞の発行部数っていうのが、全体でざっくり3000万部前後らしい。読売1千万、朝日800万、毎日400万、産経200万、日経300万、中日東京350万、道新100万、京都50万、以下略、ってとこ。地方誌でもう少し嵩増しがあり、読者重複がある分を鑑みると、だいたい3000万部。日本の総人口が1億2000万人、このうち有権者(18歳以上)が1億100万人くらい。重複がない、または重複してるけど一世帯で一誌を複数の有権者が読んでいるのどっちかだとして雑に数えると、だいたい有権者の30%くらいが新聞を読んでいる。 soumu.go.jp/senkyo/senkyo_…


 で、新聞に限れば(恐らく新聞を読んでいる人は)56%くらいが新聞をしんらいできると考えている。新聞を読んでいる世帯が総有権者の30%くらいとして、総有権者の16.8%くらいは新聞は信頼できる、新聞記事の論調に誘導されてる、とする。そうすると、有権者全体の16.8%、二割よりやや少ない人が、新聞の論調に誘導された投票行動を取る、と仮定できる。


 NHKの信頼度はもうちょい高くて、民法は新聞の2/3くらい、インターネットは新聞の1/4くらいの信頼度しかないらしいw 新聞しか見ない人、テレビしか見ない人、両方見る人とかあるだろうから、これも厳密な数字は分からないんだけど、なんやかんやで「新聞やテレビは信頼できる」って考える人の割合は、だいたい2割前後くらいまでは引き上がるんじゃないだろうか。


 そうすると、有権者全体のうち2割くらいは「報道に左右されて投票行動を変える」可能性がある。このうち、「熱意と正義感と危機感を持つ門外漢」の割合がどのくらいになり、さらに熱意と正義と危機感を持ち投票所にまで行く積極的な門外漢がどのくらいの比率になるのかまでは分からない。先行研究がないので。まあ、あるのかもしれんし多分どこかにあるんだろうけど、僕は門外漢なので見つけられない。のでまあそれは置いておく。


 この「だいたい2割」が既存メディアによって投票動向を変動させる層だったと思うんだけど、これに比して「一次ソースの情報発信を、最終受信者が直接受け取れるようになった」のは、スマホAndroid)の普及端末に対する比率が5割を越えた2011年あたり。Twitterの爆発的普及が進んだのと同時期。ここらへん、インフラの整備が進んだこと、スマホの実台数普及が急激に進んだこと、ネットの恩恵をPCではなくスマホで受ける人が増えた事によって、それまでのガラケーより格段に多くの情報を受信できるようになった(受信者が処理しきれるようになった、というわけでもないw)のは小さくない。


 そしてつまりこれも「熱意と正義感を持ち危機感を煽られた門外漢」を狂奔させやすくする環境を形作っているのではないか、と。で、狂奔した門外漢はその選挙権を行使すれば実態を動かせるというのを、日本では09年の衆院選で、アメリカでは16年の大統領選で、それぞれ経験しちゃったんだろうなー、と。「アホなパンピーは黙ってろ」的な誹謗で片付けられなくなってきてるとは思うんだよなあ。そして、民主主義の形が変わってきたと言えるのは、このSNSの影響が必ずしも度外視できなくなってきていて、今後影響が拡大することはあっても縮小する見透しがないことかな。


 FacebookやらTwitterやら、情報供給インフラとなるSNSサービスは今後も興亡あって入れ替わっては行くだろうけど、「一次ソースから直接情報を受け取れる」「自分以外の有権者の意向を、新聞社やテレビ局のフィルタリングを通さずに直視できる」とかは、形は変わっても広がり定着していく気はする。そうなると、「アホなパンピー」だの「愚かな門外漢は黙ってろ」だのは、もう通用しなくなる。


 それは門外漢が賢くなる、ということだけを意味してなくて、「熱意のある門外漢」のまま迷走したり暴走したり、「自分の意思で正しいことを選んでいるつもりになったり」という、政治的空間失調というかポリティカル・バーティゴとでもいうような状態の人が増えていくんじゃないかなあ。んで、そういう人をどうやって「導く」とか「誘導する」とか「再教育する」とか「扇動する」とか、そういうのが課題になってくる。こういう「大衆扇動」は昔から右派よりも左派のほうが早い。


 そも、黎明期のインターネットも、その前のパソ通も、左派が「動員の呼びかけ、オルグ材料情報の蓄積」とかに使ってたしね。「ネット右翼」が登場する遙か以前から、「ネットアジトを持つ左翼」はそこかしこにいたんだよな(^^;)


 騙す技術と化けの皮を剥がす技術は大抵同時に進歩するんだけど、従来は「騙された人がその他の騙された未知の人と連帯する機会」がなかったから、「騙されたことにも気付かないまま泥沼に落ちていく」ってパターンが多かったんじゃないかとは思う。新聞やテレビの論調を盲信しちゃうのも同じ。


 ネットでは「化けの皮を剥がす技術」「情報」が同じインフラの上を飛び交うので、従来よりはいたちごっこの種明かしが早くなってきてるんじゃないかって気はする。例えば、SNSがなかったらSEALDsは勃興しなかったと思うけど、SNSがなかったら「剥がせる化けの皮があることそのもの」に気付けない人も多かったかも。SEALDsのアレなんかも「SNSを用いた政治運動(大衆扇動の一技法)」であったと思う。


 ところでSEALDsって2015年設立、2016年廃止なんだけど、あれだけ流行ったのにもう皆日常の話題にはまったく出ないんだよね。構成員のその後にも、運動のその後にも。化けの皮が剥がされたからとも言えるし、皆が飽きたからとも言えるし、SNSのムーブメントの「むしゃぶりつくしの速さ」とも言えるし。話題性を伴って登場し、社会の支持……というより「大人の運動家とメディアの支持」を集めて熱狂が演出されたけど、実は彼らは何も成し遂げてないんだよなww 安保法制は廃止されなかったし、立憲主義の回復について言えば最初から損なわれてなかったしな。掛け声とかスタイルとかを今風に焼き直した学生運動に、「アンポハンタイ」の旧き良き時代を見たんだろうけど、まあ、うんいいやこの話は。


 つまりは、「中身が伴わないものの化けの皮は剥がしやすい」ということの証左だったんじゃないかという気がする。これが2016年夏で、その翌年2017年10月の衆院選はやっぱり自民が勝ってるんだよな。SEALDsはなんだったんだ(ry


 ともあれ、「アホなパンピー」と一括りにされてる、「思い通りにならないけど、新聞・テレビ以外からも情報を取っていて、一次ソースに当たったり、野生のプロの解析を追ったりする勤勉な門外漢」が、さらなるインフルエンサーになってる可能性ががが。


 なので、「勤勉な門外漢」のインフルエンサーを、どのように感化していくか? っていうのが、2011年前後から変わり始めてしまった最新の民主主義の「転がし方」に大きな影響を与えるのでは……とは思っていて。そういう「勤勉な門外漢のインフルエンサー」って、実はSNSではあんまり発言しない人達なんじゃないかという気がしてんだよね。「インフルエンサーなのに発言しない」は矛盾してる気がするけど、彼らは多分、「勤勉に聞き耳を立てているときは、持論を展開しない」のでは、と。


 まあ、これは昔からよくある話で、「誰かに聞いた話を自慢げ他の誰かにするときは、自分に話した人がいない場所で、話の出所をぼかしながらする」だろ?って話だ。なので、「勤勉な門外漢のインフルエンサー」は、SNSで聞き耳を立てて自分の旗幟をある程度はっきりさせた後、SNSの外で持論を広める。

 そういうことの拡散にSNSは間接的にも使われてるんじゃないかなー、て。

「一次ソースから直接情報を得る」
「野生のプロの解析と解説を見る」
「αインフルエンサーの解釈を見る」
「それをオーディエンスとして默学したβインフルエンサーが、それぞれのローカルに持ち帰って広める」

職場だったり学校だったり家庭だったり飲み屋だったりとかな。勤勉な門外漢はかつてはそういうネタを新聞やテレビでのみ仕入れていたと思うんだけど、それにSNSが加わって、「自分は新聞やテレビとは異なる(越える)解釈を得た」っていうオピニオンリーダー意識が(ry 「勤勉な門外漢のインフルエンサー」を説得したり誘導したりする必要があるのは、そういう点かなーて。


 もう、民主主義はそういうのに大きく左右される段階にきてるのかなーと思うわけですよ。これに対して中国なんかは「完全な情報統制」を成し遂げつつあるってのが対極的でおもしろい。


 ファーウェイのアフリカ進出が「中国式の情報管理/国民監視システムパッケージとセット」になって、アフリカの独裁的大統領には大変歓迎されてるらしい話なんかも噂話の域を出つつあるみたいだし。ここらへんは、SNSが民主主義を変えつつある西側と、主義に合わせてSNSで人心を管理する中国の違い。


 イデオロギーの転がし方と最新のIT技術が不可分になってる時代に生きてるの、ほんとおもしろい。故に「どうやって説得するか」「どうやって誘導されていると気付かせずに誘導するか」「罵倒せずに擽って思い通りにさせるか」の技術が重視されてくるのかも。


 さっきもちょいと「その分野は左派の得意分野」と書いたけど、他にこれに秀でているのは、「宗教」と「詐欺師」。行政つか、「左派ではない政党」「中国式人心監視システムを導入しない民主主義国の行政」はこれめっちゃ不得意だとは思う。


 「おまえのようなアホなパンピーに民主主義は無理だ」と言った人が、果たしてうまいこと「アホなパンピーを誘導する」ことができるのかどうか分からんけど、あの調子じゃ難しそうかなーとは思った。まあ、左派の誘導も「オピニオン気取りが偉そう」でバレやすいんだけどな(^^;)


 というわけで、例によってこの話のオチは一番先頭のツイに書いてあるので、特にオチはありません(・ω・) まあ、民主主義は2010年辺りから変革してるって話と、「愚民共!」とかイキってる人の話はますます聞いて貰えにくくなるだろうって話かな。これ。

*1:TLから、例によって「野の遺賢」による考察の一端。web環境の変貌とその現在、およびそれらと関わるいまどき「民主主義」のありようについて。