シューキョーの家の記憶・メモ

 「次の選挙、宜しくお願いしますね」


 深々と頭を下げる母の後ろ姿、少し困った顔をしている理恵ちゃんのママ、団地に響く夕焼け小焼け。幼少期の私にとって、選挙とはテレビの選挙特番でも、投票の後の外食でもなかった。母の後をついて巡る、友人の玄関の光景。色褪せた、でも決して消えない苦い記憶。


 「あいつんち、シューキョーなんだって!」


 クラスの男子から嘲笑されたのは小4の頃だった。


 「母さんが勘弁してくれって言ってたぜ」
 「うちにもこないだ来てた」


 ざわつく教室、好奇の視線。胃酸が逆流する。「ちょっと男子、やめなよー」そう庇う学級委員長の目に宿る憐憫の光が、何より一番嫌だった。


 自分の家が少し友達の家とは少し違うと、薄々勘づいていた。友達の家のリビングに置いてあった新聞はうちに届くものと少し違っていたし、カイゴウに行ったママが夜遅くまで帰ってこないこともないようだった。父に聞いても、「ママにも色々あるんだよ」と、疲れた顔で投げやりに呟くだけだった。


 同級生にからかわれた夜。「恥ずかしいから選挙の勧誘をやめて欲しい」と勇気を出して伝えたが、母は怒るでも呆れるでもなく、「みんなのためなのよ」と澄んだ瞳で私の目を見つめて言った。「あなたもいつか分かる時が来る」とも。愛想を尽かした父が家を出て行っても、母は決して信仰を曲げなかった。


 一方、母は私に信仰を強制しなかった。彼女なりに、信心と親心で揺れ動いていたんだろうか。進学時、特定の宗教団体が運営する大学でなく、早稲田(社学)に進学すると決めた時も何も言わず背中を押してくれた。就職も結婚も、母は何も口出ししなかった。彼女の中で何があったのか、今も聞けていない。


 「ママァ、誰に入れたの?」あどけない娘の言葉で我に返る。投票用紙を前につい昔を思い出したが、東京のタワマンでは投票を呼びかける戸別訪問も、電話連絡網を使った投票依頼もない。母の後ろについて惨めな思いをすることもなく、SAPIXで伸び伸びと勉強に励む小4の娘。何気ない幸せを噛み締める。


 「秘密よ、誰に投票したか家族にも言っちゃいけないの」人差し指を口に当てる。娘の世代には、投票の自由を満喫して欲しい。私の投じた参政党への一票が宗教に依存した腐った政治を変えるはず怪しいという人も言うけど何も分かってないしメディアに洗脳された哀れな人々を我々が解放してあげなきゃ(完

*1

*1:かの「タワマン文学」の一環というか派生形として、だったらしいのだが。