タワマン文学、精華

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https://twitter.com/63cities/status/1465842784850509827

 新居で迎える初めての朝。田町駅徒歩13分。家賃10.2万。築10年ほどの狭小1K。せっかく東向きについた窓からはろくに朝日は差し込まず、ただ隣接建物の白く冷たい壁面ばかりが見える。最大限背伸びしても、僕の暮らしではアクタスの一番安い家具すら買えない。海は見えないのに海の匂いがする。


 朝ごはんを食べようとサンダルで家を出る。ゆで太郎があったはずだ。エントランスを出て振り返り、自分のマンションをまじまじと見る。デザイナーズマンション、と言えば聞こえはいいが、何と言うか安っぽく、そのセンスからは入居者をバカにした金ピカ成金主義の匂いがする。僕がそのバカな入居者だ。


 そのはるか頭上、堂々たるタワマンが見える。主張の穏やかなシンプルなデザインでいて、しかし恐ろしくデカくて、そしてそれを手に入れるには恐ろしく高いお金がかかるとひと目で分かる。僕の部屋への日照をさえぎるあのマンションの22階の1LDKの、あいつが住む部屋の家賃は26万円。スーモで調べた。


 母がママさんバレーか何かで「あいつ」の母親と仲良くなり、家族ぐるみの付き合いが始まった。あいつの父親は、よく覚えていないがよく海外出張をするサラリーマンで、あいつは以前アメリカに住んでいたこともあると言っていた。うちの何倍もある大きな家には、大きなクリスマスツリーが飾ってあった。


 父が近くの「銀のさら」で働いていると聞くと、家族で何度も大きい桶を注文してくれるようになったらしい。セコセコヘコヘコと寿司を届ける父の姿を想像すると、何だか恥ずかしいような、何だか憐れみをかけられているような、とにかく最悪の気分になった。


 あいつとは中学も高校も同じだった。サッカー部で、レギュラーではなかったが人気者だった。僕と違って。ただ僕のほうが勉強はできた。進学校とはお世辞にも言えないこの高校で、一応上位10位くらいは維持していた。あいつは東進衛星予備校に通っていて、僕はブックオフで買った参考書で勉強していた。


 休日。図書館で勉強して、お腹が空いたから一人で駅前のマックに入ったら、あいつが塾の友達と思しきいろんな学校の人たちとワイワイ騒いでいた。みんなピカピカのエナメルバッグを持っていて、ジュースにポテトまでつけていた。僕は100円マックと水のトレーを持って彼らから見えない席に座った。


 あいつは部活もよくやっていたし、生徒会活動みたいなのもやっていたし、あと高2の夏休みにカナダに短期留学みたいなのに行っていた。親のお金。親の理解。それらで生み出された時間と経験。僕がカビ臭くて薄暗い市立図書館で早稲田の赤本と効率の悪い格闘を繰り広げている間に。


 高3の秋。あいつは指定校推薦で早稲田政経の入学を早々に決めた。クラスの皆も、部活の皆も、彼の約束された幸福な人生への第一歩を祝った。実際にはあの家に生まれ落ちた時点でその道程は始まっていたのに。あいつを大学受験で打ちのめすことによって僕の人生は好転すると信じて努力してきたのに。


 早稲田は落ちた。慶應もダメだったし、滑り止めだと偉そうに思っていたマーチも軒並み落ちて、明治の文学部にどうにか引っかかった。偏差値60。決して悪くないどころか、当時始めたツイッターでよく見た通り世間の上位10%には食い込んだわけだ。親は喜んでくれた。しかし全く気は晴れなかった。


 成田線から新宿線に乗り換える。あのとき日本史でしょうもないミスをしなければ、しょうもない考えが京王線あたりで頭をもたげる。振り払うように出始めたばかりのiPhoneツイッターを開く。引っ込み思案の性格のせいか、大学ではろくに友達ができなかった。ツイッターにいる時間が増えた。


 友達はいないのにフォロワーばかりが増えていった。ラーメン二郎を毎日食べるデブ、という設定がウケた。ラーメン二郎を本当に毎日食べて、毎日写真をアップして、本当にデブになった。実家の子供部屋の寒々しい蛍光灯を浴びながらツイッターに入り浸るデブになった。窓の外では飛行機の騒音がひどい。


 地頭はいいから大学はどうにか卒業できたが、コミュニケーションがダメだから就活はダメだった。人と話さなくてよさそうだからとIT系を何となく受けたがまるでダメだった。就活終わったw無い内定デブ爆誕wwwとツイートしたら、面白がったベンチャーの社長からDMが来て、働かせてもらうことになった。


 秋葉原の外れの雑居ビルから始まったSNSマーケの会社は案外伸びて、同じ大学から大企業に就職した同級生(友達はいないから想像だが)くらいは給料ももらえるようになった。念願の「人と話さなくていい仕事」で居場所を見つけられた。僕は僕なりに、ソコソコの幸せに到る線路にやっと乗れた気がした。


 あとで気付いたが、その頃になってやっと「あいつ」のことが頭から消えるようになった。マウントとは高低差の低いほうの心の中でのみ生まれる水たまりの汚水のような感情であり、僕は僕なりに人生を積み上げることができたから、そんな高低差がなくなったんだろうと思う。


 その頃にはもう実家を出ていて、会社に近い東日本橋の駅から遠いボロアパートに住んでいた。家賃6万。でも今年で30歳になる。僕の、きっと明るくて素晴らしいものになるであろう30代に相応しい家が欲しい。そうしてスーモを探し回る日々が始まり、例の芝浦のデザイナーズマンションを見つけた。


 低層のデザイナーズマンション。羨望と先進の芝浦アドレス。二面採光の窓からはそれぞれ東京湾と東京タワーが見える。期待を持って内覧に行ってガッカリした。上記の売り文句は上層階向けのもので、僕の予算に収まる2階の狭小1Kでは隣のマンションの壁しか見えなかった。潮臭さだけが漂っていた。


 それでも、これ以上にマシな物件は見つからなかったし、タワマンが立ち並ぶ清潔で静かな、何と言うか平壌みたいな雰囲気はなぜか気に入った。その場で申し込みを決めて、今のアパートの契約が切れる来月末を待って入居することにした。調子に乗ってアクタスの家具を見に行ったが高くて買えなかった。


 入居まであと半月ほどとなった日曜の午後。何となくツイッターを見ていたら「人生の勝者マンはこちらwwwww」という勢いあるリツイートが回ってきた。インスタのスクショが4枚。どうも三菱商事マンのインスタらしい。血の気がザッと引いた。あいつだ


 同期の結婚式で美男美女に囲まれるあいつ。クルーザーで引き締まった上半身を海風に晒してシャンパンを飲むあいつ。友達の犬を抱き締めて微笑むあいつ。そしてー 僕のよく見知った、芝浦のタワーマンションに引っ越したあいつ。


 羨望と先進の芝浦アドレスに住むンすよって会社で言ったら、タワマン?って聞かれたから「そんな高いとこ住めないすよw」と言いつつ、同僚たちと近隣のタワマンをスーモで調べてみた。デザイナーズマンションの東隣に立つそのタワマンも見ていたから記憶があった。家賃を改めて調べる。1LDK26万。


 新居での引っ越しパーティと思われるその写真の背景には、東京湾も東京タワーもバッチリ写っていた。あれだけ高ければ、僕が来月から日々吸い込むことになるあの磯臭さなんて感じずに、東京の上澄みだけを上品にストローで吸って生きてゆくんだろう。窓際で港区女子と立ちバックなんかしたりしてー


 これまでは静謐な平壌を構成する美しい背景だと思っていたタワーマンションの恐ろしい存在感がありありと迫ってきた。名も知らぬ人生の勝者たちが住んでるんだろうな、とぼんやり思っていたあれらの美しい塔に、よりによって知り合いが、あいつが住んでいると知った瞬間に全てが変わってしまった。


 小さい頃、あいつの家でファミコンスーパーマリオをやらせてもらった。延々と続く横スクロールの背景に見えた山々にも誰かが住んでいるのかな、と変なことを考えていた。僕の暮らしという世界の中心の背景に、よりによって圧倒的に豊かな暮らしが配置されている。再び頭に「あいつ」が戻ってきた。


 仕事用に作るだけ作って寝かせていたインスタに、あいつのアカウントを見るためだけに久々に入る。ツイッターみたいな下界の出来事は気にしないのか、例のスクショが5,000RTされたにも関わらず鍵は未だかかっていないままだった。食い入るように全ての投稿を見る。


 大学ではフットサルサークルに所属しつつ早稲田祭の運営スタッフをやり、ゼミでは代表を務めオープンキャンパスでも発表した。2年次にはアメリカに長期留学し、現地でも多くの友達に囲まれていた。卒業後は三菱商事に入社し、アメリカ駐在を経て3年前に帰国。これ以上ないピカピカの人生。


 見ているのがしんどくなってインスタを閉じた。強い酒が飲みたい。ラーメン二郎は引退したが、代わりに酒がやめられなくなった。人間関係がないから人間関係の悩みはないが、ややパワハラ気質のある社長のもとでの仕事のストレスは大きい。冗談で買ったテキーラを見つけ、一気に飲む。


 急激なアルコール摂取で脳がじんじんと麻痺するような感覚。5分ほどで完全にキマった。ふと父のことを思い出す。お父さんがお店にわざわざ連絡くれて、一番高い寿司桶頼んでくれたんだよ、誇らしくてよ、わざわざ仕事ほっぽり出してオレが配達したよ、でかい家でさ、でかいクリスマスツリーがあって…


 その話を聞いていたときの我が家の食卓を急に思い出す。ごはん。具の少ないお吸い物。ポテトサラダ。山盛りの唐揚げ。なぜか父には冷凍の餃子。家には気の利いた観葉植物も、家族写真が収められたフォトフレームもなく、奥の和室からはジメジメとしたカビ臭い匂いが漂っていた。


 はあ〜、俺とあいつ何が違う。あいつが俺の家に生まれていたら、あいつは今のままの人生を送れていただろうか?逆に、俺があいつの家に生まれていたら?俺が早稲田に受かっていたら?日本史でマークミスをしなければ?もっとマシな顔で生まれていれば?もっと社交的な性格だったら?もっと…


 起きると喉も目もカラカラで、体のあらゆるところが水分を必要としていた。いろはすの2リットルを手に取って勢いよく飲もうとするが、吐き気がこみ上げてきて飲み込めず、そのままトイレで吐いた。何をしているんだろう。ふとスマホを見ると電池が3%になっている。ツイッターの通知数がおかしい。


 どうも酔っている間に、例のラーメン二郎デブのアカウントで久々にツイートを連投していたらしい。血の気が引く。支離滅裂だが、明らかにあいつへのコンプレックスを(時折あいつの実名込みで)次々と吐き出していた。かなりの数RTされていたし、引用RTの数を見るに悪い炎上だ。急いですべて消す。


 あいつのインスタを確認する。おれのことが書かれていたらどうしよう。結論から言うとその心配はまったく無用だった。ストーリーを見る限り、あいつは六本木のMEZZOで友達が回すイベントに行っていた。おれたちが這いつくばるSNSの不浄の地のことなんて一切気にすることなく。


 週末。珍しく仕事も残っていないし、いつものことだが誰かと遊びに行く予定もない。友達もいなければ敵もいない。そういう楽に呼吸できる孤独が気に入っていたのに。あいつ。あいつのせいで無性にソワソワする。この気持ちが嫉妬なのか、怒りなのか、情けなさなのかすら分からない。何も分からない。


 この仕打ちは何だろう。決して恵まれているとは言えない環境に生まれ、努力し、どうにか掴んだソコソコの成功も、生まれながらにグリーン車に乗ったあいつらにやすやすと追い越されてゆく。当然あいつらも努力してるんだろうが、下駄を履かせてもらった努力なんて努力と呼べるのか?


 嘆いていても引っ越しの日は待ってくれない。二日酔いの体を押して荷造りを始める。ユニクロの安いシャツ。あいつはもっと高そうなのを着ていた。ニトリの安いお皿。あいつはもっと高そうなのを持っていた。薄毛が気になるからと使っていたサクセスのシャンプー。あいつの髪はそもそも薄くなかった。


 今年で30歳になります。ある日を境に、失敗もあったけれどそれなりに努力して積み上げてきた自分の人生が恐ろしく無価値に感じられるようになりました。ツイッターさえ、SNSさえなければ、遠くで自分より幸せに暮らす人のその幸せを見ずに済んだのに。SNSなんてなくなればいいのに。


 最近は一人で酒を飲んで酔っ払うと、ヤフコメにタワマンの悪口を書き込んでしまいます。そんなことをしてもあいつの人生は毀損されないし、僕の人生は救われないのに。翌朝、自分のコメントを見て恥ずかしくて死にたくなります。


 でも、許してほしいんです。僕はこれから毎日、自分より幸せな人たちの暮らしを真隣で見せつけられながら暮らさないといけないんです。それも、よりによってあいつの幸せな暮らしを。インスタの監視アカを作ってフォローしてしまい、日夜見てしまいます。自傷行為だと分かっているのに。


 仕事だってSNSまわりだし、人生でSNSに救われた部分がかなりあります。それでも今は、ある日朝起きたらツイッターもメタも倒産していて、SNSが全部使えなくなったらいいなと考えてしまいます。ヤフコメもです。こんなものがなければ、こんな惨めな思いをしなくても済んだのに。


 橋をいくつか渡って目当てのゆで太郎に辿り着く。土曜の朝。誰もいない店内で、富士そばより美味しいんだか美味しくないんだかよく分からない蕎麦を吸い込む。ポケットに入れたスマホには何となく触らない。暇で仕方ないが、僕の空虚な人生にはこれくらいがちょうどいいのかもしれない。


 すぐに食べ終わって、長居するのも何だから当てもなくブラブラと歩く。コンビニ、マンション、コンビニ、タワワン、タワマン。平壌の土曜の朝は宇宙に届きそうなほど空気が澄んでいて、タクシーすら通らない街は静止画のように美しかった。その中を、惨めな僕がブラブラと歩く。


 ろくに地図も見ずに歩いていたら、気付けばあいつのタワマンに辿り着いた。タワーの足元にはレゴブロックみたいに取ってつけたような木々や草花が植えられていて、ちょっとしたベンチも置いていた。さっきのローソンでコーヒーでも買っておけばよかった、と思いながら誰もいないベンチに座ってみる。


 あいつの部屋を探して見上げてみるが、40階を超える高いタワマンの22階なんてパッとは見つからない。しかし高い。このタワーの中に何人が住んでいて、いくつの僕より幸せな人生が詰まっているんだろう。もしかしたら、あいつより幸せなやつだって何十人何百人いるかもしれない。


 上を見ればキリのない、幸福への終わりのないハシゴみたいなタワーが、ここ芝浦に、あるいは東京全体に広がっているかと思うと、なんだか気が遠くなる。もしかしたら、タワマンに住んだ程度でイキっているツイッター外資コンサルをもっと高いところから笑っている人がいっぱいいるのかもしれない。


 僕はもう、こういうハシゴレースから降りたほうがいいのかもしれないー そんなことも思ったが、これ以上ハシゴを低いところに降りるのも癪だ。10.2万のマンションに辿り着くのも、どれだけ大変だったろう?僕は僕のハシゴを登って、可能な限り高いところに登るしかない。


 東京に生きるということは、多分そういうことなんだろう。生まれた時点でいい位置からスタートする人がいること。登っても登っても、それでもいつだって心の壁には嫉妬やコンプレックスがベッタリと塗りつけられ続けるということ。それでも登り続けないと、酸欠でハシゴから落ちてしまうということ。


 明日も、あさっても、どうせ僕はツイッターやインスタを見て、僕よりも幸せな人たちを見て、妬み、嫉み、死にたくなって、それでも仕事に行って、ツイッターやインスタに広告を出し続けるんだろう。売れたら褒められるし、褒められたら給料も上がって、いつの日かタワマンに住めるかもしれない。


 そうして僕は、東京一世としてこの街を漂い、ハシゴを上がったり下がったりして、上がるところまで上がって、そこで力尽きるんだろう。でもそれでいいのだ。僕みたいな凡人が東京で生きるということに大きな意味はなく、そこに喜劇も悲劇も生まれないのだから。美しい土曜の午前が美しく過ぎていった。

*1:「タワマン文学」と呼ばれるような一連の創作っぽい何ものか、がにわかに勃興してきているので、気がつく範囲で記録するようにはしている、民俗資料としても。

*2:てか、わたせせいぞう鈴木英人的な、かつての「西海岸」的呪いの今様令和版、みたいなところ、あったりするような気はする、別途要検討お題としても。f:id:king-biscuit:20220319110127j:plain