ウユニ塩湖、のおもひで

 昔、ウユニ塩湖に行ったんですよ。高校のとき「ウユニ塩湖行ったら人生変わった」って、クラスの子が夏休み明け、興奮気味に言ってて、それで、バイト代こつこつ貯めて、どうにか辿り着いたウユニ塩湖は、大きな水たまりみたいで、二分も経たずに飽きちゃったんです。人生は、何も変わらないままです。


 雨が降ると草と土の匂いがして、家の隣の大きな空き地に、大きな汚い水たまりができました。いつまで経っても家どころか駐車場にもならないその空き地は、この街の未来を象徴しているようでした。かと言って、高卒の父と母はいつも満足げで、この街から出る方法を私に教えてくれはしませんでした。


 特に荒れてもない公立小中から特に頭も良くない公立高へ。美咲ちゃんとはそこで知り合いました。彼女はこのあたりの地主の娘でした。田舎の金持ちといえば医者か地主で、勉強ができないと跡を継げない前者と違って、彼女には生まれながらにして、そこそこ楽でそこそこ幸せな人生が約束されていました。


 美咲ちゃんがウユニ塩湖に行ったのは高校一年の夏休みで、BSか何かでそれを見たお父さんが嫌がるお母さんと美咲ちゃんを無理やり連れて行ったのだそうです。結果、美咲ちゃんは「人生が変わった」のだそうです。湖の前でワンピースみたいに片腕を突き上げた写真を、彼女は私に何度も見せてきました。


 でも少ししたら熱も冷めたらしく、彼女はもうウユニ塩湖の話はせず、松坂桃李のドラマの話ばかりする元の彼女に戻ったようでした。その熱が再発したのは大学受験直前期でした。「ウユニ塩湖で人生変わった」そんな景気のいい自己推薦書を、彼女は慶應SFCAO入試に向けて書き始めたのです。


 お父さんも早々に旅行に飽き、使い道を失ったお金を、娘のAO入試対策塾に突っ込むことにしたようでした。彼女は週末になると東京のその塾に通い、面接練習なんかを繰り返していたようでした。重課金の甲斐あってか彼女は見事に合格。「#春からSFCツイッターで何度も誇らしげに投稿していました。


 それがウユニ塩湖のおかげだったのか、戦後のドサクサで大量に獲得したと噂されていた土地のおかげなのかは分かりませんが、何にせよ彼女の運命は、この街の他の人たちよりは明らかに「変わった」ようでした。私は地元の国立大に進んで、この退屈な田舎町みたいな平らな畦道をムーヴで走っていました。


 ループものかと思うほどの日々の繰り返し。お母さんが作る目玉焼きと香薫とお味噌汁の朝ごはんを食べて、ムーヴで大学に行って、授業を受けて、ムーヴでバイト先の居酒屋に行って、ビールや唐揚げを運んで、ムーヴで家に帰る。繰り返し。お味噌汁の具が変わるだけの、気が狂うほどの日常の繰り返し。


 地元の友達がお金配りおじさんのRTばかりする中、美咲ちゃんのツイートだけが異質でした。「現役女子大生ミサキの全部見てやろう」YouTubeやnoteを横断した彼女の私生活の切り売りを見る限り、彼女はせっかく受かった大学にロクに通わず、お父さんのお金で海外旅行にばかり行っているようでした。


 しかしそれでも、彼女の生活は十分に幸せで、成功したもののように見えました。YouTubeは登録者三万人。コメント欄を見る限り、女子大生ブランドに惹かれて寄ってきた冴えない中年がその数字を支えているようでした。それでもすごい数字です。三万人の勃起したおじさんが立ち並ぶ光景を想像しました。


 次第に、彼女のツイートを見るのが辛くなってミュートして、でもひどく酔っ払った日、それが結局は彼女に対する嫉妬であると気付いて大泣きしてしまい、その場でウユニ塩湖ツアーをネット予約しました。彼女がそうであったように、私の人生もあの湖の光景によって変わるのではないかと期待したのです。


 安い飛行機を乗り継いで、安い宿のかまぼこ板みたいなベッドに泊まって、どうにか辿り着いたウユニ塩湖はとても美しくて、でも、それだけで、ワンピースの真似事をして写真を撮っている日本人大学生の集団が視界の角に入って、二分もすれば、帰り道も大変だな、と、どうでもいいことを考えていました。


 地元に帰っても人生が変わる様子はなく、退屈から退屈へとムーヴを転がすだけの日々が戻ってきました。しかし私の人生は変わったと言えます。すがすがしい諦めというか、美咲ちゃんみたいな人を見て、空から降ってくる何かが私の人生を変えてくれるなんていう要らぬ期待を抱かないようになったのです。


 なんてすばらしい日常の喜び!めざまし占いの順位に喜び、たまに朝食の香薫がセールのシャウエッセンに変わることに喜び、ガソスタの景品で鼻セレブが貰えたことを喜び、バイト先の居酒屋で酔ったおじさんに綾瀬はるかに似ていると言われたことを喜ぶ。ハウス栽培のいちごのような輝かしい日常。


 美咲ちゃんの日常も変わったようでした。「原体験に深く向き合った」と、伸び悩んだYouTubeを諦めてOTAなるものを起業しました。立派なnoteを書きました。その立派なnoteに書かれた明るい未来は、コロナで吹き飛びました。美咲ちゃんはまたYouTubeに戻ってきて、サウナ水着回みたいなのが増えました。


 そのYouTubeも閉じて、ネット広告の会社で少しだけ働いて、美咲ちゃんは地元に戻ってきました。「これからはローカルの時代」また立派なnoteを書きましたが、要は東京では全然通用しなくて、それが悔しくて地元で起死回生を図ろうとしているようでした。彼女の目はまだ東京を、世界を向いていました。


 彼女から久々に会おうと連絡が来て、駅前のスタバで待ち合わせしました。この街はスタバすらまずい気がすると彼女は言いました。彼女が着ているオーラリーはこの街で彼女だけが着ているような気がしたし、やわらかなシルエットのその服は、彼女にとっての防護服のようにも見えました。


 業界に違う形で切り込もうと、彼女は都心と地方をつなぐ体験型OTAをまた立ち上げましたがそれもダメで、そのことは単なる失敗という以上に、都心の人にとって地方なんて行く価値のない場所だと言われたような気がして、彼女の心は完全に折れたようでした。noteも閉じて、彼女は静かになりました。


 彼女はひっそりとインスタを立ち上げました。そこには意識の高い調達ストーリーも、シェフを家に呼んでのタワマンホームパーティーの話も流れてこなくて、彼女は庭に咲いたタンポポとか、スタバの新ドリンクの話ばかりをしていました。最近は親の紹介で地銀勤務の彼氏もできたらしいです。


 昔、ウユニ塩湖に行ったんですよ。高校のとき「ウユニ塩湖行ったら人生変わった」って、クラスの子が夏休み明け、興奮気味に言ってたんですけど、その子、慶應に行って偉そうにしてたけど、結局地元に戻ってきて、今はスタバの新作の話ばかり。笑えますよね。田舎のスタバはまずいって言ってたのに。


 私?変わりましたよ。自分のありのままを肯定してあげられるようになったんですよ。他人なんて羨ましくないし、這い上がろうとする人を、必死だなぁ、って笑えるんですよ。地価がじわじわと下がるこの街で、彼女がじわじわと破滅してゆくのを、汚い水たまりの中に立って、楽しく眺めているんですよ。