お妾さん、の生き方・メモ

 お妾さん、2号さんと呼ばれる立場で子供を産み育て、人生を終えるまで生きた人のリアルな言葉を聞く機会は一般的にはほとんどないんだろう。ファンタジーや妄想の領域だからもてはやされる。「よいものだろう」と思われる。私は縁あって「そういう立場の人達のその後」まで知る機会があった。<前RTs


 凛としていて、自分で生きる術も持っていて、自分の置かれた立場も自覚しながら一歩引いて人生を生き抜く。そんな印象。けれど、安易な気持ちでそんな立場になったら多分まともな精神でいられない。腹のくくり方の次元が違う。お妾さんに憧れるような人達は考えた事もない重いものをさらっと抱えてる。


 (本妻を)憎まない、攻撃されるのはほとんど当然の事なのでそこに動じない、突然家を放り出されても、世の中を生きていけるだけのお金を稼げるような力がある。そうなる可能性も想像しておく。…といった様々な「自分の心と(妾として)夫を守る覚悟」がないと、到底務まらないものだと思う。


 「一夫多妻制と妾は違う」と言う人も多いけど、結局他人を複数囲い込む人間は全ての相手を平等に愛する事なんてできない。不平等があり身内の中で比較され、扱いに差がつけられ、自分が露骨に下のランクにされる機会があっても誰も憎まずに妬まずにいられるか。それくらいできなきゃ同じ事だ。


 妾側は別に本妻を憎んだり妬んだりしてなくても、本妻側から憎んだり妬まれたりする可能性は常にある。また本妻が亡くなり後妻に入った後、家の中でひどい扱いを受ける確率もかなり高い。もちろん中には問題なく人生を謳歌したお妾さんもいるだろうけど、それがいかに難しいかは考えなくても分かる。

 「日陰者」という言い方が日常の語彙にあたりまえにあったのは、さて、いつ頃までだったろう。「おめかけさん」という、どこかやわらかめなもの言いが「二号さん」に変わっていった頃などとも、おそらく重なっているような気はする。

 シロウトの普通の娘がそのまま「おめかけ」になるわけでもなかった、基本的には。なれるわけがなかった、という意味においても、また。

 なぜなら、それはクロウトの世間、「水商売」の世間に身を置くようになったオンナたちにとっての、ひとつの〈そこから先〉の生き方だったわけで、そこに足を踏み入れていない段階のいわゆるシロウト衆の娘がそのまま、そうなるということは想定されていなかったんだと思う、まさに「そういうもの」としての自明の約束ごとの裡に。

 だから、「おめかけさん」というのはクロウトの範疇にあった生身の属性であり、だからこそ、ある種「未亡人」的ななまめかしさを世間の視線の側から勝手に察知されてしまうようなものだったはずだ。要は、そう、あの「瞼の母」のおっかさんであり、「花街の母」の母親である。


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 「左褄」なんて言葉と同じ文脈でさらっと出てくる、それが「おめかけさん」の属性だった。概ね想定されているのは芸者。いわゆる娼婦とは違う、あくまでも芸事を売りにしてお座敷に出る役回り、それはその後カフェーやバー、クラブのオンナたちにもなしくずしに引きずられてゆくようなキャラクターのありように転変していったとは言え、もともとの民衆的想像力の銀幕においては正しく「元それ者」のクロウトでしかあり得なかった。

 だから、どこか粋であり洗練もされたところがなければならなかった、「おめかけさん」には。ということは、その子どもというのも、それが男の子であれ女の子であれ、クロウトの色合いの強い生活環境に生まれ育つことになるわけだから、まあ、いわゆる勤め人その他カタギの家の子とも違ってくる。マチ場の店屋や商売家、あるいはしもた家などまで含めてもいいが、それらいずれ商売を生業としている世帯が櫛比しているような地域ならそれほど目立つこともなかっただろうが、土地によっては明らかに「浮く」存在にもなっただろう。まして、小学校など「学校」空間においては。

 この一連のtweetでいみじくも言われてるような「凛としていて、自分で生きる術も持っていて、自分置かれた立場も自覚しながら一歩引いて人生を生き抜く」といったイメージにも、まさに「日陰者」としての矜持と共に、それを維持し守るために「生きる術」を何であれ確実に持っているということが、期せずして含み込まれていることに合焦しなければならないだろう。それは三味線であり踊りであるような何らかの芸事であり、あるいは髪結いや美容師、戦後なら洋裁や産婆、看護婦などまで含めた、オンナが女手ひとつでも何とか生きてゆけるだけの「腕」と甲斐性を持っているということでもあったはずだ。

 「旦那」とは、そのような彼女――およびその身内、それはここで想定されるような子どもだけではなく、彼女自身の親兄弟などの場合もあたりまえにあったが、いずれにせよそのような生活を支える金主であり出資者であり庇護者であり、つまり「面倒を見てくれる」存在だった。いずれ色恋沙汰、ないしはそれに近いようなきっかけから持たれた関係ではあっても、やはりそれはクロウトの世間における達引きであることに違いはないわけで、色恋沙汰もまたシロウト衆がのちに展開してゆくような「恋愛」ともまた一線を画した論理と倫理、「そういうもの」で縛られていたこともまた、留意せねばならないだろう。

 クロウト衆とその世間に身を置く者のたたずまいと、それが世間一般のシロウト衆主体の目線や感覚からどのように見られていたのか、ということ。「おめかけさん」の人生というのは当然のように〈いま・ここ〉の裡にあったし、いまも広い意味でいくらでもあり得るのだろうけれども、でも、なのだ。それがかつての「おめかけさん」という言葉があたりまえに生きて使われていた頃の言語空間におけるそれとは、もう決定的に別のもの、それこそいつも引き合いに出して恐縮だが、あの「逝きし世の面影」と同じような懸隔と共に認識しなければならないものなのだと思っている。*1

*1: 由利徹のあの裁縫コントのBGMが「花街の母」なのもまた、あのすでに古典的なコントというか寸芸として認知されていることに対して、ならば、かつての観客同胞たちはどのようにあれを見ていたのか、ということにもまた、思い至らざるを得なかったのであった。
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