夢見る「家庭」の光と影

 今年で30になります。僕、恥ずかしい話なんですがこれまで一度もデートに行ったことないんですよ。もちろん彼女がいたこともありませんよ。最近ニュースで話題でしょう。なんでなんでしょう?僕が悪いんですか?それとも社会が悪いんですか?僕の人生を振り返ってみるので、みんなで考えてみませんか?


 生まれたのは九州のあたりです。あのあたりってヤンキー文化というか、悪そうな人がモテるんですよ。頭がいい学校でもそうなんですよ。腰パンは当たり前。短ラン着てる人までいました。そういう街の公立校で、僕は教室の隅で大人しく勉強していました。もちろんモテませんでした。


 大学は慶應に行きました。早稲田も受かったし、地元の人は結構そっちに進学する人も多かったけど、なんと言うか、慶應のほうがカッコいいじゃないですか。地元の目の届かないところで、僕はいわゆる大学デビューをして、急にモテる人間になれるんじゃないかと、そんな甘いことを考えていたんです。


 日吉に行ったことがありますか?テレビに出てくるような慶應生なんてほんのひと握りで、大半は早稲田と変わらない芋臭い学生ばかりなんです。棲み分けがあるんです。内部生といえば志木高生しかいないような、大人しい人が集まってウェイウェイ言ってる川原の石の裏みたいなテニサーもあるんです。


 僕はそこにすら入れませんでした。最初は無理して新歓ディズニーとか行ってたんですけど、そうするうちに僕は人とうまく話したり、飲み会に誘ったり誘われたりするのが苦手なんだと気付きました。地元では地元のせいにしていたそれを、東京に来てまざまざと、自分のせいだと思い知らされたんです。


 テニサーはフェードアウトしました。語学の授業なんかでも僕は誰からも話しかけられませんでした。期末試験も入ゼミ試験も就活も情報戦です。情報は友達から入ってきます。僕に友達はいません。4年経てば、名前も聞いたことのないSIerの内定しか持っていないコミュ障の慶應生が仕上がりました。


 就職先はマーチが多くて、日東駒専もいました。僕は同期の中で一番学歴がよくて、でも相変わらず友達はできませんでした。同期ラインは動かなくなりました。でもみんな飲みに行っていました。たぶん僕以外の同期ラインができたんだろうと気付いて、耳がカッと熱くなって、心臓がドキドキしました。


 仕事を頑張ろうと思いましたがうまくいきませんでした。文系の仕事なんてのはつまりコミュ力です。段取り調整です。潤滑油あるいはローションです。「地頭はいいだろうからもっと周囲とうまくコミュニケーションを」毎期末の評価はB続き。日大の同期が先に昇進しました。死にたくなりました。


 ところで私生活はどうでしょう?驚くほど何もないんですよ!親の言うとおりに帰宅部でお勉強ばかりしてきたせいか、趣味らしい趣味はありませんでした。でも休日、芝浦の日当たりの悪い海っぺりの狭い1Kで潮臭い空気を吸って吐くだけでは頭がおかしくなりそうで、無理やり家を出る理由を探しました。


 銭湯にサウナ。スパイスカレーにクラフトビール。シングルオリジンにオリジナルブレンド。共通点が分かりますか?全部「ひとり」でできるものなんです!東京には目に見えない孤独なコミュ障がひしめいていて、彼らのためのビジネスが張り巡らされているんです。東京とはそういう街なのです。


 それらの趣味の情報収集用に、ツイッター始めてみたんです。嘘です。ほんとは趣味を理由に人と繋がりたかったんです。でも駄目でした。フォロワー2,000人くらいのアカウントに媚びてオフ会に行ってみました。恵比寿のエイト。陽キャぶってる陰キャばかりで馴染めなくて、一次会で帰りました。


 じゃあ陰キャ同士仲良くなればいいじゃんと言うかもしれませんが、人とうまくやれない人同士がうまくやれるわけないじゃないですか。日程調整の会話すら成り立たないんですよ。そして偉そうに俯瞰して語っている僕自身がそのひとりだと「分かってしまっている」のが、死にたくなるほど辛いんですよ。


 本題に戻ります。友達もできない、飲みにも行けない人が、デートなんてできると思いますか?出会いがない、という言葉は甘えというか逃げです。職場に、クラフトビールバーに、ツイッターに、女の子は無限にいます。ただ自分に彼女らを惹きつける魅力がないから「出会い」が生まれないだけなんです。


 世の中にはマッチングアプリという便利なものがあります。アレをやればいいじゃないかと言う人もいるでしょう。でも何となくやりたくないんです。あんな出会い系をやっている女とは付き合えないとか、そんな偉そうなことを思っているわけではないんです。何となくやりたくない、それだけなんです。


 たぶん僕は「恋」を、あるいは「女の子」を、あるいは「他人」を神聖視しているんだと思います。なぜならそれらは、いつも僕の遠いところにいて、僕はいつもそれが欲しくて、じっと眺めて、でもどうしても手に入らなくて、今更ジェネリック品なんて買えなくて、理想ばかりが高くなってしまったんです。


 「つまり私は極めて高尚な愛の理論家だったのです。同時にもっとも迂遠な愛の実際家だったのです。」夏目漱石「こころ」の一節です。これを芝浦の誰もいない部屋のニトリのベッドで読んで、これは僕だ、と思いました。のちに自殺することになる「先生」の言葉です。先生は僕だと思いました。


 30歳。慶應卒。港区在住。年収600万。努力して、悪くない人生を積み上げてきました。でも上には上がいます。恋とか愛とか家庭に逃げることもできない。それは単に僕がコミュ障というだけの話ではなく、コミュ障の僕ごときが手に入れられる程度のそれを飲み込みたくない。そんな理由なんです。


 「合コン」ごときで出会いたくない。「マッチングアプリ」ごときで出会いたくない。「お店でのナンパ」ごときで出会いたくない。「そんなに仲良くない友達の紹介」ごときで出会いたくない。「残り物の押し付け」ごときで出会いたくない。


 いつか理想的な女の子が、理想的な方法で僕の前に現れて、理想的なデートをする。そうして理想的な結婚をして、理想的な家庭を作って―― その「理想」が分からないんです。どうすればいいか分からないんです。だからこうして、今日も立ち止まったままなんです。誰か助けてくれませんか?

 「家庭」というもの言いに、何か「夢」でも「理想」でも、あるいは何かの完成形でも、託すことのできる若い衆世代はさて、昨今どれくらいいるものだろう。

 稼ぎが少ないから結婚できない――これだけなら昔からあることだったし、それこそ「ひとり口は喰えなくても、ふたり口は喰える」の喩えに従って共働き、いや、それは今や全く普通の家庭の形態だったりするんだろうが、それでもなお「喰えない」、だから結婚できない、というエクスキューズが出てくるご時世。

 おそらく、なのだが問題は、その「喰えない」という内実がかつてとはもうとっくに別ものになっているらしいこと、とにかく日々の食い扶持が確保できればそれで最低限クリア、腹すかせることなくとりあえず生きてゆけるならまず合格、といった感覚からすでに遠く、夫婦であれ家族であれ、それぞれの「個人」の「自由」が望まれる水準で確保されていること、生活空間的にも、また日常の人間関係などにおいても、といったことが、実はその「家庭」の「生活」のあるべき理想の状態というものさしがかなりの程度自明に、本邦国民一般その他おおぜいの水準で実装されてしまっていることが、金銭ゼニカネ経済的な縛りによる「喰えない」とは別のところで、あるべき「生活」を規定している要因になっている、そこなんじゃないだろうか、とは、例によってかねがね。

 異性と「つきあう」こと自体が「めんどくさい」という感想が、ちょっと話をすると、割と普通に口をついて出てくるようになっているのがいまどき若い衆世代。異性に限らず人間関係自体が、というのも含めてなのだろうが、ただ、その中でもその異性との関係が特別に疎ましいものになっているのも確からしい。もちろん、それは「性的存在」という領域が否応なしに関わってくるがゆえのめんどくささであるのだろうが、異性を前提にしたそのような「性的存在」の自覚のしかた、されかた自体がもう標準形ではないということになってしまっていて、となると、異性同士のつがいによって成り立つものになっていた「夫婦」「家庭」のたてつけの「そういうもの」としての自明の約束ごとの部分からして、すでにほどけてしまっているということになる。

 あの「おひとりさま」とか能書き並べていた上野千鶴子じゃないが、あれはそういう性的存在という領域すら勝手に否定できるものと思い込んでしまった果ての、だから異性同士のつがいによる「関係」さえも「そういうもの」から解除してしまったがゆえの、「自由」な「個人」「個体」の引き受けねばならなくなった現実についての、期せずして出てきた認識のありようが逆説的に込められていたのだと思う。単に素朴な「ひとり」でなく、わざわざ「おひとりさま」と距離を置いて、腫れ物的にまわりから扱われなければならなくなっている個体。しかもそそれを自らのありようを表現する語彙として、自分から言い出さねばならなくなっている皮肉。ある意味接客的な環境、サーヴィスが商売として成り立っているような「場」においての扱われ方しかされなくなっていることを、意識しているのかどうかはわからないが、とにかくうっかりと表明してしまっていたもの言いではある。

 そういう「おひとりさま」的な「個体」としての「自分」を前提とした日常に繰り込まれてしまっている限り、ここで表明されているような葛藤や行き詰まりは必然なのだと思う。一連のこの種のエリジウムブンガク的な記述、文体においては、そのような「おひとりさま」環境に行き着いてしまったことに由来する葛藤や行き詰まりもまた、どこか自尊心と共に薄笑いしながら肯定されている感じも拭いがたくあり、そしてそれもまた、かつての「80年代的相対主義」から「冷笑主義」に至る主体意識とやはりご眷属であることを感じ取らざるを得なかったりするのだが、それはまた、別の機会もあるだろうから、改めて。