メガバンの春


 「複数ポジションで採用中です!」みんな笑っていた。ラウンドAで小銭みたいな5,000万を集めたきりサービスが停滞しているのは誰の目にも明らかで、威勢のいい採用の話は社員が続々と辞めていることの裏返しだとみんな知っていた。みんな笑っていた。メガバンを辞めたあいつの起業をみんな笑っていた。


 最初からあいつが気に食わなかった。地方出身。三河安城あたりの公立高校から名古屋大へ。 旧帝大早慶よりも価値があると思ってるらしかった。UFJの説明会で隣の席になった。「金融とは会社のパートナーであり、ぜひその経験を踏まえて起業したいと考えているのですが…」失笑。人事も笑っていた。


 学生起業ブームの時代だった。確か学部の同期でAO入試で入ったやつがAO入試専門の塾を立ち上げたりしていた。どこかの会社に会社を売って、日吉の東急の駐車場にBMWを停めているやつもいると聞いた。バイアウト。イグジット。無機質な言葉に思えた。テニサーで酒を飲み吐きまた飲むだけの日々。


 UFJを受けた理由は三つで、父親が三井の信託にいて金融になんとなく親しみがあったのと、サークルの先輩がUFJに入ってそこそこいい暮らしをしていたのと、何となく安定してそうだったから。仕事なんてどうでもいいと思っていた。実際どうでもよかった。仕事を通じた自己実現なんてクソだと思った。


 武蔵小山あたりに生まれて、おじいちゃんが買ったマンションの4階の部屋で育ち、父親と同じ攻玉社に入って、一橋大学は落ちて、一浪してもダメで、曖昧に入った慶應商学部ほとテニスサークルで精神がふやけて、曖昧に過ごす日吉の日々。人生はこの曖昧な日々の延長線上に曖昧に続くと思っていた。


 「焦り」というものが理解できなかった。いざ無職になっても住む家がある。帰る家がある。食卓には専業主婦のお母さんが作る僕の好きな豚肉のピカタが並ぶだろう。MOROHAを聴いても何も思わなかった。長野県出身だと聞いて納得した。彼らと違って、僕たち東京の人間には焦って生きる必要がないのだ。


 だから、大企業の説明会で起業について語るあいつのことが全く理解できなかった。品がないと思った。お金なのか自己実現なのか知らないが、何にせよ欲望は心にしまっておくのが正しいと思っていた。事実、就活もそれでうまくいった。大学名を書いて、きれいな言葉を並べれば、それだけで面接は通った。


 UFJの内定式にあいつがいて驚いた。向こうは僕のことを覚えていた。「UFJらしくない人が必要だって言われてさ(笑)」らしくない人はすぐにキックアウトされるとサークルで何度も見てきた。この街はそういう街だ。正しいドレスコードが必要で、そうでない人はこだまに乗って地元に帰るしかない。


 彼の行く末をなんとなく予感して、なんとなく安心した。事実そうなった。同じ支店になった。僕が同じ大学のチューターに可愛がられて卒なく法人営業業務をこなす中、あいつはいつも空回りしていた。無能なのに声ばかり大きかった。大口顧客を怒らせて支店に電話が来た。支店長が謝りに行った。


 「UFJらしい人間になりたくない」あいつはいつも言っていた。人事に言われたその言葉。ロクに現場に出たこともない新卒人事の言葉。そんなものが核になる人生はクソだと思った。その程度の人間のその程度の人生。あいつじゃなくてよかったと思った。東京に生まれてよかったと思った。


 ある日突然あいつは銀行を辞めた。長年温めていた事業のアイデアが遂にまとまったらしかった。「法人口座開設は、ぜひ弊行で…」支店長の乾いたジョークと乾いた笑いが白い天井に染み込んだ。花束を抱えたあいつは、HR業界のスティーブ・ジョブズになりたいと言った。拍手するみんなの顔は真顔だった。


 「Wakatteが実現したいのは、学生と若手社員をなめらかにつなぐ社会。互いにわかりあい、思いつながる社会。」長々とした起業note。3いいね。要するにOB訪問のマッチングサービスらしかった。名前が最高にダサいなと思った。事業リスクは山ほど浮かぶのに、マネタイズポイントは全く浮かばなかった。


 「起業しろ」の会社の人が5,000万も突っ込んだのは驚いた。スカイランドのオフィスでドヤ顔で肩を組むあいつの写真が載ったPRTIMES 。「代表の熱い思いに共感し、ぜひ並走したいという木下の個人的な思い」。黒いスーツを捨て、ユニクロのピチピチの白いTシャツを着たあいつの満面の笑顔。


 立派なホームページができた。ツイッターも次第に伸びた。awabarで次第に顔を広げているらしかった。あいつはいつもMOROHAを聴いていた。成り上がることのスタート地点はジメジメした最下層の土の床。そんなとこにはいたくないと思った。実家のマンションの赤茶色い上品なフローリングを思い出した。


 彼にとって最悪の事態が起きたのはその年の春だった。どこかの商社の男が、webサービスを通じて知り合った女子大生に乱暴して逮捕された事件が全国ニュースでも報じられた。その「webサービス」が彼のサービスだとDJアサダアキラがすぐに探り当て、代表の立派な起業noteのスクショとともに拡散した。


 ハサミや包丁に罪がないように、サービスではなく利用者にこそ罪があるという真っ当な議論が出る一方、彼のサービスを引き続き利用しようという企業や大学はいなかった。彼はサービスを閉じ、別の名前のベンチャー転職サービスを始めた。また立派なnoteを書いた。拡散はされても利用者はいなかった。


 「複数ポジションで採用中です!」みんな笑っていた。学生インターンすら寄り付かない彼の会社にはPdMもエンジニアもいなかった。人がいないしサービスもない。彼が芝浦の地の果ての狭小1Kに住み、特売のお米にのりたまをかけて食っていれば資金はショートしない。彼の起業家人生は曖昧に続いていた。


 その間、僕は天下のメガバン行員として悠々と暮らしていた。丸の内エリートサラリーマン。セキュリティカード下げて歩く仲通り。石畳鳴らすリーガル。シックだが生地のいいロロピアーナのスーツ。最近は副業と称してツイッターで有料noteを売ったりしている。ギンギンってアカウント知ってる?


 Tinderの女の子と表参道で飲んで、持ち帰りに失敗して、何となく一人で乗ったタクシーで最新のiPhoneに通知。あいつのnote。すぐに読む。苦境。鬱病。VCの圧。仄めかす自殺。破綻した文体。翌朝には消えていた。サービスはサーバーエラーか何かで見れなくなっていた。みんな触れなかった。


 そのnoteで初めてあいつの人生を知った。脱サラして事業を始めて失敗したお父さん。苦しい暮らし。新幹線の線路沿いのうるさくて狭いアパートの1階。ゴキブリやネズミの死体。炊飯器三日目の黄色いごはん。黄色いのりたま。業務用スーパーの黄色いパスタ。貰い物の黄色いみかん。食べすぎた黄色い手。


 いなくなったお父さん。ピアゴで働くお母さん。苦しい暮らし。公立から公立へ。バイト漬けの暮らし。ツテもなくロクに助けてくれない学事の就職課。トヨタにも行けない哀れな文系。突如としてニュースに現れたホリエモン家入一真の本を図書館で読んだ。やるべきサービスはすぐに決まった。


 今年で30歳になります。仲通りもすっかり春です。休みの日だけど、何となく仲通りに来て、ガーブのテラス席でコーヒーを飲んでいます。ラルディーニのジャケットの肩に小さい蝿が止まったので指で弾いてやりました。それ以外は気持ちのいい、本当にすばらしく気持ちのいい春の週末です。


 あの夜、酔ってこう、少し意地悪な気持ちになって、あいつのnote、全部スクショ撮ったんです。見ますか?笑えますよ。人間ってこうやっておかしくなっていくんだ、という、最高の見本のような気がします。やり遂げる能力のない人間が踏み外すとこうなるんだと、いつも自戒を込めて読み返します。


 最近、結構稼げてるんですよ。泥舟だと後ろ指さされるメガバンも乗ってみれば案外気持ちのいいもので、年収1,000万近く貰えてます。noteも結構売れるんですよ。毎月お寿司を食べに行けるくらいは儲かってます。でも冷静でいます。あくまでも「成功している銀行員」だから売れているんだと思ってます。


 最近気づいたんですけど、僕あまり仕事ができないんです。若手と言われる年齢をとうに過ぎ、同期全員手を繋いで「年功序列」という四文字の上をなぞるように走っていたはずが、僕より給料のいい同期がいたりとか、あと昇進も早い同期がいたり。焦っている同期もいます。でも不思議と焦りはないんです。