あるロシア体験たち・メモ

 学生時代、ロシアひとり旅してて夜ホテルのロビーでのんびりしてたらおっちゃんが隣りに座ってウォトカ買わねーかって値段聞いたら1本3,000ドルって言うんだよね。高いって言ってたら結局500円(日本円)でいいってなって、じゃあ買うわって言ったら、そのおっちゃん

「よし、俺とお前はもう友達だから一緒に飲もうぜ」

って俺が買ったボトル開け始めて「おいおい」と言う間もなくおっちゃんフロントのおばちゃんにグラス頼みに行ったらおばちゃんグラス3つ持ってきて「なんで3つ?」って思ったらそのおばちゃんも一緒に飲みだして、おばちゃん途中で何か思い出したかのようにフロントの奥に戻って流石に仕事中はまずいと思ったのかと思いきやチーズやらサラミ持って戻ってきて、かなり盛り上がってしまったんだよね。そのおっちゃん元は海軍の潜水艦乗りでハワイ沖まで行ったって言ってた。


 そのうちもう1人おっちゃんやってきて、俺のこと何やら紹介されて、そのおっちゃんも加わって4人で飲み会になって、ウォトカも回っていい感じになってたところに日本人の新聞記者だと名乗るおっちゃんがやってきて、俺にも英語で話しかけて来るんだけど「俺日本人です」って言ったら記者のおっちゃん何故かぶったまげて「ロシア人かと思ったわ、この人と親子かなって」ってあとから来たおっちゃんと俺を交互に指差しながら言うんですよ。確かに似てるっちゃ似てたかもしんない。スラブじゃなくてツングース系っていうんだろか。ロシア人達大爆笑で「お前も入れお前も入れ」ってそれ俺が買ったウォトカなんだけど、5人で飲み会になってひと瓶空いたら元潜水艦乗りが「じゃー今度はお前が買え」って記者さんにやっぱり3,000ドルからふっかけてて「いやいや500円だろ!」って慌ててつっこんだら「黙ってろバカw」みたいになって記者さんが買った2本目飲んでる間に記者さん潰れちゃって、


 そうこうしてる間に今度はマフィアのおっちゃんがムキムキのボディーガードあんちゃん2人と若くて綺麗なお姉ちゃん5、6人連れて歩いてきて「1晩100ドルか1万円」と言い出して「そんな大金持ってない」って答えたら「お前は中国人か」って聞くから「日本人だ」と言ってやったら「アンビリーバボー。日本人がお金持ってないわけないだろ」とかバカにしてきて「ホントだわ大学生で金無えんだよ」って言ったら隣にいたお姉ちゃんの腕掴んで「プレゼントフォーユーww」とか笑いながら言いやがるから今度は俺が「アンビリーバボーwww」って返してやったらみんな笑いながら俺に手を振って立ち去った。


 で、それを見てた潜水艦野郎じゃない方の俺のオヤジと間違われたおっちゃんが「お前明日の朝ここにいろ。日本に持ってく土産持ってくっから」と言ってその飲み会はお開きになって、次の日の朝、まだ二日酔いの状態でロビーで待ってたら、昨日のおっちゃんがやって来て俺にキャビアの丸い缶2つくれてね、「実は俺はキャビア加工の会社の社長やってる。お前これ日本に持って帰って食え」と。これは帰国して白いご飯に乗っけて食べたらめちゃくちゃ美味かった。


 まあ、こんな話を長々として何が言いたかったかというと、国として、政権として、今のロシアは悪の枢軸の如く言われてるけど、人間対人間だとみんなめちゃくちゃテキトーで面白い人たちだったなってこと。帰国して後で調べたらそのホテルは極東マフィアの本丸みたいなとこでかなりウケた。日本人の新聞記者さんは酔いつぶれる前に俺に名刺くれて「お前日本に戻ったら俺ん家遊びに来い」って言ってくれてたので、次の旅の途中に連絡してホントにお邪魔して奥さんのお料理ご馳走になって5歳くらいのガキんちょと遊んで泊めてもらった。県知事以下のロシア極東視察に同行取材した青森東奥日報の記者さんだった。翌朝青森駅まで車で送ってもらって、教えてもらった不老不死温泉に行った。みんな懐かしいな。

 ロシアではその後バザールで財布とパスポートスられたのに気づいて走って追いかけてすったもんだの末になんとか取り戻して空腹で力尽きてしゃがみこんでたら、一部始終を見てた学生グループが俺を取り囲むように顔を覗き込んできて「大丈夫か?」「腹減ったのか?」と心配してくれて、バザールでシシカバブみたいな串肉と青島ビール買ってきてくれたんだよね。あの中にいた女子めちゃくちゃ可愛かったな。


 で、金もない何も無いけど何かお礼をしなければと思ってザックの中探してもこれといったものが無くて、「なんとか温泉」って入ったタオルあげたらめちゃくちゃ喜んでくれたw


 あの当時、新潟港辺りから積んで帰った日本の中古車がめちゃくちゃ人気で、「なんとか自動車学校」って入ってる普通車とか「なんとか観光温泉」って入ってるマイクロバスとかかなり走ってたんだよね。日本の中古車が人気ってデザインごとの話だったのかよwって思った。なのでもしやと思った日本語入りタオルもめちゃくちゃ喜んでもらえたww


 あの学生さん達は自分と同い年ぐらいだった。自分の国が今戦争してるって中でみんなどんな暮らしをしてるのかな。皆さんのおかげで俺は無事日本に帰ってこれて、今も生きてますよー。

 学生時代のひとり旅のハバロフスクだったかウラジオストクだったか、公園のベンチで腹減ってボーッとしてたら小6ぐらいの男の子が1人でサッカーボール蹴って遊んでたから立ち上がって「へいこっち!」みたいな感じで伝えたらパス出してくれたんだよね。それからしばらく2人でボール蹴って遊んでた。


 その子のお母さん、というより見た感じお婆さんが迎えに来て、帰って行く前に少し話をした。あの頃は英語でコミュニケーション取れるのは英語教育が始まってた小学生かマフィアぐらいだった。男の子の家族はあの原発の事故の後にウクライナから来たって言ってた。あんまり友達もいないと。


 サッカーしてくれてありがとう、日本にも行ってみたいなと言って帰っていった。あいつ生きてたら今はもういいおっさんかな。もう顔も覚えていないけれど。

そんなことをふと思い出した。