ガラスの20代・メモ

 大量の若い人(20歳前後)に接する職場なのですが、自分の観察範囲ではいつのまにか「反抗的な人」をほとんど見かけなくなり、代わりに「漠然と強い不安や恐怖を抱えている人」が増えてる気がしています。とても真面目なんだけど、思うように進まなくなった時にすごく崩れやすい。


 うまく言えないんですけど“絶望がすごく速い”というか。まだまだなんとでもなりそうな状況でも「もうダメです」って姿を見せなくなったりする。逐一答えを聞きに来るので「あなたはどう思う?」って聞くと「何もわかりません」と涙をこぼしたりする。ガラスのハートというよりシャボン玉みたいに儚い。

 間違えることを怖がる人、間違えた途端に急に間違えた人を蔑む人が多いと感じます。

 少しでも踏み外したら終わり的な感覚があって、間違えることへの恐怖が強い人、わりとよく見かけます。

 知り合いの大学生の息子さんも、バイト先で店長にひどく叱られてバイト先を辞め、その後はバイトをしていないと聞きました。バイトをすること自体が恐怖なんだそうです。

 ひどく叱られたという感覚も、上の世代と少し違うかもしれません(どちらが正しいとかではなく)。先日、「送られてきたメールが怒ってるみたいで怖くて返信できない」というので見せてもらったら、私には普通のビジネスメールにしか見えなくて、そうか…となりました。

 20代ではないのですが自分にもこういう傾向がある自覚があります。定年まで働けても老後生活に不安があるような日本なので一度でも失敗したら終わりという恐怖・不安が自分でも気づかないうちに刷り込まれていると思います。やり直しし易い社会になったら皆もっと生きやすくなるかもしれないですね。

 10〜20代の頃の私を見てるようです。少しでも失敗したり間違えたらダメ、の強迫観念がありました。私の場合は昔のイジメで常に監視され少しの失敗でも笑われたりしたトラウマからそうなりましたが、もしかして今の若い世代はネット社会で少しの失言とかでも叩かれたりするからでは?とふと思いました。


 ミスしたらダメ、叱られたら全否定されたと捉えてしまって完璧を目指して、それができなければもうダメだ、と絶望してました。


 もちろんみんながそうではないと思いますが、ミスなんて誰でもするし完璧なんてないけど すぐに炎上したりするのも今の世の中、敏感にはなるかもしれませんね。

 すごく自覚がありますし、親からもよく言われます。自分は失敗した経験とか怒られた経験が少ないからなんじゃないかなって思います。得体の知れない経験だから怖くて、だから少しでも失敗しないように、怒られないように生きている、気がします。これ乗り越えられたらもう少し成長できるのかな。

 周りにやべえ人がいない分やべえ人よりマシだっていう感覚が多分ないんです。まともな人がやべえ人扱いになることもあるし、正解の道がどんどん狭まってると思います。

 わー、アラサーですけど逐一答えを聞きに行くタイプだったので、刺さります(笑)分からないし、否定されるのなら最初から聞きたい正解欲しいってタイプでした。明確だと進めるタイプでした。現に退職しても、次の仕事決まらなかったらどうしようとか、次の仕事までの間お金どうしようとか、なります。

 自分が若い人側の立場だから、若い側の気持ちがめちゃくちゃわかります。自分も仕事でミスすると自分を激しく責めます。その訳は、小さい頃から、「学生の頃は失敗しても平気だから、社会に出る前に知れてよかったね」と言われてきたから。(個人の感想)


 いざ社会に出てミスや失敗をすると、「社会人なのに失敗をした、責任を取らなきゃいけない」と強く考えすぎてしまって、心が病みそうになるんですよね。。学生の頃に掛けられてきた優しい言葉が、重くのしかかる経験、わかる人多いと思う。

 小学生の頃にとある失敗をして、先生に連帯責任です。あなた1人のせいでみんなに迷惑がかかってると言われました。もちろん自分が100悪い事なので反省していますが間違えたらいけないみんなに迷惑がかかる、というのがずっと心に残っていて。社会人の今も連帯責任、迷惑をかけたらと考え日々恐怖です…


 前職では心の病にかかり、その事で迷惑をかけてしまい自分で自分を苦しめ悪化の一途を辿り戻れなくなり退職しました一度怖い!と感じてしまうと不安と苦痛の毎日、。

 ミスした時にやり直せる機会が少ないからなのかな?ミスっても直せばいいって考えられないです。「絶対に間違えたらダメ」って思いの元動いてるので、不安しかないです…

 基本的に情報量が多く、ある程度正解があるので、自分の意思や欲求に疎いんだと思います。努力忍耐根性って教えてあげると、鼻で笑われるでしょうけどイイと思います。

 教育の成果じゃあないですかね。学生運動、校内暴力時代を経て、「そういう人間を生み出さない教育」の成果がこれかと。

 教育の結果なんでしょうか。30代半ばですが大きな野望も無く従順で自己主張が少ない自覚があります。一度崩れた経験があります。

 残念ながら、教育の結果なんだと思います。

 子供の頃から怒られ慣れてない、または、失敗してめっちゃ怒られ続けた、のでしょうか。今いる職場で働き始めて1週間の頃失敗が続いた日に、「調子どうですか」と面接の人に聞かれて「少し慣れましたが失敗しました」と伏し目がちに笑いながら答えたら、「失敗は、皆、します」と言ってくれて心が軽くなりましたね。皆、失敗するんだよ? 気にすべきは、次は失敗しないようにするにはどうしようか、だよ?

 シンプルに私のときは周りが「わからないならわかるまで何度も聞け、同じことでも聞け」って教えてくれたので、堂々とわからないことや不安な時は質問できました。自分では、ああ失敗した取り返しがつかない!ってなっても案外そう言うわけでもないのに。今ならわかります。もちろん全て答えを教えることが正しいわけではなく「この書類のここみてごらん」とヒントを与えられてたので成長できました。もうダメだと涙を堪えながら先輩に報告しても「全然大丈夫だよ」といってくれるから成長できます。ヒントとフォローをいれたらきっと挑戦できる子に育ちますよ。

 状況次第ですが、上司先輩からのケアがない職場なのかな?恐らく自尊心が極端に下がってますね。指摘だけして良かった点まで伝えてないと「何が正しいのか」が分からないまま不安だけが残ると思います。


 こうするんだよ。だけじゃなく「それいいね」って伝えてあげるだけでも変わると思います。

 上司先輩から「俺はこういうミスをしたから気をつけような」とか自虐を織り交ぜたり、「悩み事ある?」「自分はどう思う?」じゃなくて「あの件順調?何か聞いときたい事ある?」って切り出し方を変えるだけでも違いますし、親身になってあげないと仕事=辛いになるんじゃないですかね。

 他者からの問いかけに対して自分の答えを後押しして欲しくて「○○で合ってますよね?」とか「○○って返事していいですか?」って聞いてくる人増えました。あのーそれマニュアルに書いてあるんだけどねってことですら。ついに「昼ごはんにラーメン食べてもいいと思いますか?」って言われて失笑。

 私の同僚にもおんなじようなのいてウケる。

 情報が多く、自分が特別な存在でない事を幼い頃からから突きつけられるのかなぁと思います。1980年代育ちですが、幼い頃って一部の子は変な自信とかあった気がします。私可愛い、私賢いもん、みたいなキャラ結構いた気がする。ある意味自己肯定感だったと思います。

 あーそれありますね。同年代ですがネットとか無かったから、「学年1ポケモンに詳しい」とか「ハイパーヨーヨーすごい奴」とか「虫博士」とか「ビーズの天才」とか、世界が狭い故に「1位の子」があらゆるジャンルにたくさんいましたね。

 秋元康氏曰く「僕は小学受験を失敗しまして。その時人生終わったと思ったんですよね」と。そしてその後の学生時代からの放送作家人生が始まり…はみなさんの知るところだと思いますが、秋元康氏は人生の挫折が早かった。(ご自分で感じたのが5-6歳という辺り)その辺りにヒントを感じます。

 教育の結果か……どっちの方がいいのやら...

 一長一短というかどちらも時代が生んでるんですよね。若い人は炎上SNSな文化、それもバカッターとか言われた時代を見て育ってる。そりゃ間違えるのが怖くなって当然。毎日の判断にその恐怖が大なり小なりつくのでストレスは大きい。逆にいえばキチンとルールを守れる真面目な子が多いなど良い点も多い。