ところが90年代ぐらいまでは、おそろしいことに本当に学生が「この間パリで買ってきた」とかいいながら15万円ぐらいのバッグとか普通に持っていたんだお(私は持ってなかったけど)。それもパパ活とかではなく実家が金持ちとかで。
— ジャスミン男(非ハム式) (@konmarihj) 2022年10月28日
ところが90年代ぐらいまでは、おそろしいことに本当に学生が「この間パリで買ってきた」とかいいながら15万円ぐらいのバッグとか普通に持っていたんだお(私は持ってなかったけど)。それもパパ活とかではなく実家が金持ちとかで。おばさまからの入学祝いがガルウイングのランボルギーニだかポルシェだか(私にはどっちも区別ついてない)の女の子とかもいたからな。
中高生のときですら、質素とかを学校で教えられていたものの、寄宿生の通学バッグが、でかいルイ・ヴィトンやハンティングワールドのボストンバッグだった。今でも同じ学校でそうなのかしら。
お金もっているひとがゴロゴロいて本物志向だとか一流だとかいてばんばん見えるところにお金つかってた時代。
当時はバッグ15万円ぐらいは本当にそのへんのOLとかも買っているぐらいの感覚だった。だから今「15万円ぐらいのバッグでww」とかいってる人は私と同じ世代に若者だったBBAかもしれん。
先日「ディズニーランドで一家四人食事したら7000円!」とかいうレシートがまわってたけど、当時はキラキラしてないオタク系サークルですらコンパ二次会までいくと一人7000円はかかった。
そもそもコンパなどという文化はまだ残ってるんだろうか?
あとは、ファッションや金持ちのライフスタイルの変化も大きいよね。実際は高級ブランドで高くても、ストリートファッションや娼婦ファッションに近づきすぎてチープにみえるし、モノとしての質がよくていかにも高級そうに見える服や靴やバッグは売れなくなってしまった。今でもパパ活女子に人気だといわれるレディ・ディオールとか今興味本意で値段調べたら5000€ぐらいするじゃん。
だけど「(売春とかしてない)普通の女子大生やOLがこれを下げて学校や仕事にいくのが普通」という感覚はないよね。90年代ぐらいまではなんかそういう雰囲気があった。
あと、ユニクロ登場以前は、間違いだらけの英語やでかくてへんなイラストだの刺繍だのが入ってないプレーンな服を買うのがブランド物でないと難しかった。プレーンな普通のブラウスが着たければ19800円からって感じだった。今の人には当たり前だったが数千円で悪趣味でないシンプルでプレーンな服が買えるユニクロは登場した当時は衝撃だったのである。
一番安い「プレーンな服」はラルフローレンとかだったのだ。(しかも今でこそラルフローレンはそのへんのスポーツブランドみたいに大衆ブランド化してるが、当時はブリティッシュトラッド路線を堅持して質もよく今よりはお値段も高級目だった)
それ以前は、貧乏人はスティグマみたいに変なワッペンとか縫い付けてある(しかも縫いをとるとそこだけ染がぬけてたりする)服を着なくてはならなかったのである。
私がいた大学・大学院の研究室が結構チャラかったのもあるかもしれないけど(美術史とか表象文化論とか・・・)ほとんどの学生が留学してなくても年に2回ぐらい海外(主にヨーロッパ)に行くの普通だった。ゼミで私以外の全員がフランス留学してまって、研究室から「○○先生は外国人だから授業に実態がないと外国人登録証に影響が出る。授業に出てください」と電話がかかってきたこともあったw。そのおかげで1年間1対1で毎週何時間も仏語の戯曲翻訳を先生と一緒にするという贅沢なことになり……
今は留学のための奨学金もかなり減ってるし、自費で留学できる人もかなり減っているのではないか。
イタリアの美術館で自分の興味のある展示があるからいってきて帰ってきた成田から直接授業に来てる子とか・・・。(私は地味系なのでそんなかんじではなかったけど他の人がみんなそういうの当たり前すぎて、自分のほうが例外かと思ってた)
美術史学科では、京都研修旅行の費用が10万円という話があったときに「ええっ!」と現在は有名なキュレーターになってるSくんが言ったら、中国絵画史の先生が「たかが10万円ぐらいでがたがたいうやつは美術史なんかやるな。美術史は金がかかって当然の学問じゃ」と大喝して怖くて私は漏らした。今では教授がそんなこといったら、学生たちみんな必死に生活費をバイトで稼ぎながら勉強してるなかで問題になりそうですが、当時はゴルフバッグをもって授業に登場する学生とかいたのでw ドラマや漫画も、安達祐実が演じる貧乏少女ドラマの一方で、「白鳥麗子でございます」「おぼっちゃまくん」などスーパーおぼっちゃまやスーパーお嬢様の話が好まれた。
そして90年代初頭までは、デートのスタイルとして、やや廃れつつもとりあえずまだ「ドライブ」というものがあった。(若者に車がまだ売れた)
全国各地に「この穴をとおして手をつなぐと結ばれる」とかいうへんな記念碑みたいなものがあちこちできたのもこの「ドライブ」というデート形式のためだった。今や当時若者だった老夫婦が懐かしんで巡ったりしてるらしいですが。
私はデートとかしたことなかったけど、先輩が突然「今、これから彼氏と湘南にドライブなんだけどいかない?」と電話をかけてきて夜中にむかえにきたことがあった。夜の湘南の海で服を着たまま走ったりしてる先輩とその彼氏を見て、「なんかすごい青春だな映画みたいこの人達こんなこと毎日やってるの?」と感動した。
それと、デートにドライブするという習慣が生きていた当時はやたら伊豆の道沿いにはマスターがサーファー崩れみたいな喫茶店みたいなのがよくあったが今でもあるのかな。少女漫画にもそういう客足がそんなに多くはないがさびれてはいない喫茶店のマスターはよく出てきた。なんかスーパーで売ってるカレールーで作ったけど具が少なめなのが喫茶店ぽいカレーとかスーパーのホットケーキミックスで作ったみたいなホットケーキ(当時はホットケーキといった)とかクリームソーダ(私が子供の頃はどぎつい緑だったが90年代初頭には水色に)とか出てくる。
だけど当時は屋台とかラーメン屋とかではなく、喫茶店で、ちょび髭とか生やした男性がエプロンかけて自分で調理してくる感じが新鮮だったんだね多分。