つまり、この20年間、決して人間を育てることがなかった新しい日本の家と土地と社会体制という負の母胎に生まれ育った新しい人間群像。
— 世界史bot (@history_theory) 2020年3月26日
それらの群れの間に間に、今日、無謬なる確執と中心(母胎)感覚のない狂妄が見え隠れし始めている。
それは、今日の青年の母胎感覚の欠落した思考と生活様式を見ても、その様相を垣間見ることもできるが、さらにそれが一層精鋭化されて顕在化されたものとして、80年代以降に発覚した、数々の象徴的な事件がある。
その兆候は、80年代11月に起きた #一柳展也 少年による「#金属バット両親撲殺事件」から82年10月6日の「#日大隣人刺殺事件」に至る、80年代の不毛な対人関係の中から起こる数々の事件の中に表される。時代は「家」や「土地」に対する人間の確執から「人間対人間」の確執に移行し始めたのだ。
そういう状況の中で、私は今一度日本へ、自分の生活の中心を帰したいという思いをもつようになった。60年代的母胎崩壊期と、70年代的管理化進行を経て、必然的に萌芽してきた80年代の日本を、この目で見極めたいと思ったのである。
つまり、60年代と80年代との関係は、遠因とその結果だと私は感じている。