ある時代観

 それは、今日の青年の母胎感覚の欠落した思考と生活様式を見ても、その様相を垣間見ることもできるが、さらにそれが一層精鋭化されて顕在化されたものとして、80年代以降に発覚した、数々の象徴的な事件がある。


 その兆候は、80年代11月に起きた #一柳展也 少年による「#金属バット両親撲殺事件」から82年10月6日の「#日大隣人刺殺事件」に至る、80年代の不毛な対人関係の中から起こる数々の事件の中に表される。時代は「家」や「土地」に対する人間の確執から「人間対人間」の確執に移行し始めたのだ。


 そういう状況の中で、私は今一度日本へ、自分の生活の中心を帰したいという思いをもつようになった。60年代的母胎崩壊期と、70年代的管理化進行を経て、必然的に萌芽してきた80年代の日本を、この目で見極めたいと思ったのである。


 つまり、60年代と80年代との関係は、遠因とその結果だと私は感じている。