中国アニメ業界事情・メモ

 中国アニメーターの収入の話が出たのでネタを一つ。


 上海には上海美術電影製作所という中国最高のアニメスタジオが50年代から稼働していて、計画経済下で素晴らしい作品の数々を世に出せた。しかし80年代市場経済になり、平均月収千円ほど時代で日本の動仕をやると、月収百倍の10万円になる!


 収入百倍化がもたらしたのが熱狂の時代だった。世界中の映画祭で賞を取れるほどの監督も日本とアメリカの動画をやり始めた(動画を下に見るわけではないけど言いたいことは分かって貰えると思う)。動画とセルを運ぶ為、上海ではなく、日本便が多い香港の隣の深センに無数の動仕会社が生まれた。


 一方本陣である上海にもちょっと遅れて、動仕会社が作られるようになり、上海人が多い美術電影のスタッフでも掛け持ちでバイトできるようになり、入社者が増え、高いビルが建てられた。そこに1984年、訪ねる高畑勲宮崎駿両巨匠。


 両巨匠にとって上海美術電影は固定給で「ナージャの大暴れ」など素晴らしい作品を作り、「50年代東映動画の完成形」とも言えるスタジオだから、敬意を持ってナウシカのフィルムを持参しての訪問。しかしそこに見えたのは海外動仕に励むアニメーターと、日本の収入状況しか聞かない監督とプロデューサー。高畑さんは14年のインタビューで、宮崎さんはその理想と現実の差に激怒したと。


 まあ実際あの時点で、新中国アニメの父・持永只仁さんが開拓した中国アニメの制作体制は一回滅んだと思う、資本主義がどうとか、いいか悪いとかそういう話ではなく、正直、収入百倍に抗える人間がどれほどいるって話。


 制作体制の崩壊と同時にあった影響として、上手い人なら日米の原動画も書けるけど、じゃあ描けないアニメーターはどうやったらそのビッグウェーブに乗れる?


 利を求められないなら名を、彼達は先生になった。下手で商業アニメで儲かれなかった人が学校に入るようになった。


 だから最近やっとちょっとずつ改善になったけど、ここ数十年の中国アニメの教育システムは基本商業を嫌い、技術を軽視(そもそも先生が上手くない)だからアート寄りになる、アニメ学科の卒業生は基本業界に入っても一から学ぶしかない。


 まあ偏見だと言っても、実際学校教育と業界のシステムの乖離が問題で、アニメスタジオのマネジメントのネックになった。エリート大学卒勢と専門学校卒勢と欧米動仕上がり勢と日本動仕上がり勢が入れ混じり、そこにプラスここ数年で出てきた日本アニメ見て育った自分でソフト触ってた勢。


 基準が乱雑な結果、会社ごとに自分に合う体制でやるのが多い。ロシャオヘイの時も言ったけど、中国手描き業界と日本の大きな違いは、会社の間の互換性が非常に低く外注のネックにもなる。そこで日本、中国他社に発注するのは大変だけど逆に日本のルールを勉強すれば日本のたくさんの会社に発注できると


 それが結果的に繋がるのが、今回の「中国資本日本アニメーター囲い込み」の記事だと思う。日本に外注する安定ルートがほしいから日本で拠点を持ち、制作さんとベテランを正社員で固めて、安定の下請けとして活用していく。特に絵夢や記事に出た彩色鉛筆のような大手にはかなり相性はいいと思う。


 そういう大手は基本仕事を切らすことはないので、困るのは大体もっと早く納品しろと出資者に言われ、もっとクオリティ上げろと観客に言われることだから、要はクリエーターの量と質を向上させたいけど手描きアニメーターはそう早くには育たないので、教育と同時に外注にも力を入れることになる。


 最初に出た日本が中国に外注する話から、中国が日本に外注することになったけど、実際製造業ほど逆転は起きてなく、未だに日本→中国は動仕メインで一部の二原と少数の原画、中国→日本はプリプロと絵コンテ・LO・原画がメイン、全体的な技術そして普遍的な体制の差は厳然に存在している。


 制作面で言うと技術の普及と教育、日中間外注システムの効率化、ビジネス面ならコンテンツ権利のさらなる活用方法、アニメに関しては中国は日本に学ぶことはまだたくさんある。そしてそれらは多分金だけをはたいても出来ないことだから、自分含めて関係各所と一緒に頑張っていきたい。