もうひとつの歴史修正・メモ

 静かに進行中らしい「無意識な(近現代史枠の)歴史修正主義」ってのはあれだな、ロクでもない過去に対する「同情」が希薄なのは「自虐史観」と同じなんだな。

 「現在」はとりあえず「良くなっている」という肯定が前提という意味じゃ社会ダーウィニズム的でもあり、同胞に対する「同情」が希薄って意味じゃエリート主義で、左翼コスモポリタニズムorインターナショナリズム的でもあり、何のことないおなじみの「近代ポンニチ知識人」意識構造まんまやん、と。

 かつては社会経済史とかマルクス史観ありきの歴史観などを足場にそういう意識構造炸裂させとったのが、昨今はそれら社会哲学/認識的な枠組みが役立たずと思われちまって以降の「サブカル」系世界観が足場になってきとる分、さらにいろいろ拗らせしまっとるところもあるような気がする。

 しかも、どうやらほとんどの場合、ご本尊がたは無自覚/無意識裡にで、だからやたらアッパー系な「正義」の装いがこれまた無自覚/無意識にまつわってきちまっとる、という、な……

 戦後パラダイム的な縛りが未だに強く悪さしとるのが「歴史」界隈の学会/界、特に近現代史系のクズボンクラ世間だということがよくわかる。これ、老害とか化石脳とかやなしに、若い衆世代にさらに斜め上に純化悪魔化されたような形で「伝承」されとったりするんやで。マスコミ界隈なんかと基本、同じ「構造」やけれども。と言うて、かつてのような政治的なイデオロギーや思想信条ベースというわけでもなく、むしろ「権威」への同調とか「意識高い」系なエリジウム感覚とかそういうものに強固に下支えされとるみたいなんだが、な。後からそういう風に洗脳されていったというよりも、そもそもそういう体質になじむような若い衆世代物件しか残らん/れんような、そういう構造になっとったように思えるんだわなぁ……

 そういう「場」や「関係」でやりとりされる知見だの何だのが、こちとら世間一般その他おおぜい程度にさえも素直にまともに受け取られるわけないわな。「専門的知見」だの「専門家」だのの「権威」ごかしも、その前提になっとる彼ら彼女らの世間自体が歪んどるという補助線必須やで、殊に人文社会系は。

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