もうひとつの歴史修正、と「老害」

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 もうひとつの歴史修正、何も若い衆世代だけでなく年寄り世代の、それも一般人でなくインテリ知識人の、しかも現代史の専門家と自他共に認める/られる仕事してきたような大御所級御仁までもが「え?この程度の知識認識なん?」と驚くような手抜かりぶりを平然とさらしとったりする。

 以前からその程度だったのか、老化や取り巻く環境の変化でそうなったのか、留保してみとるが、出版物がそのへんの実態をフォローするような造りをする配慮がでけんようになっとるらしいという、「商品」として提供される環境が変わって実体むき出しにうっかりなっちまっとる、というのはあるとおも。

 最近の例だとこんなの(´・ω・)つ

占領下日本

占領下日本

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2009/07/01
  • メディア: 単行本

 座談会そのまま録って起こしてポン、らしいんだが、半藤も保坂も松本も随所にびっくりするほど杜撰なこと言うとるのをまんま活字にされとる。まとめ役らしい竹内某(元文春)の責か。

 筑摩が450頁の分厚い造りでドヤって出してきたのありありだったし、その後文庫にも速攻で入れとるから自信作のつもりなんだろうが、こういうレベルで現代史的なお題を、しかも「リベラル」(なんでしょ?)側が得意げにカウンター気分で出してくるあたり、ウヨサヨ不問の構造的なワヤだと改めて。

 半藤や保坂(竹内も)が初版出た時点(2009年)で70代、共に現代史的な分野じゃ定評ある書き手でインテリ知識人文化人枠の大御所と言うてええと思うんだが、何というかその生身含めた知識認識の宿り具合が〈いま・ここ〉情報環境と乖離しとるバグが随所で露わになっとることにほんまにびっくりする。

 こちらの「読み」が同じく〈いま・ここ〉情報環境で変わってきとるかも知れんことなど含めて留保せにゃならんとは思うが、ただ活字の「商品」として世に出すことについての構え方や最低限必要だと思う。

*1:昨今、このへんのお題については若い衆世代からもあれこれ距離を置いた考察も出始めているけれども、それらの土俵とはまた少し別のところでこちとら自省コミの同時代的「歴史」の過程として。