2018-01-01から1年間の記事一覧

寺山修司と「大衆文化論」・ノート

「ぼくは日本語が言文一致しない間は、話しことばで書くことはとても難しい仕事だと思って、そのへんからやってみようとしたのです。子供の頃「少年倶楽部」を買って読むのはとてもうれしかったが、高校時代になって少し難解な本を読み出すと「少年倶楽部」を読…

「郊外」「ロードサイド」論の背景

*1 「ロードサイド」論(だか何だか)が少し流行ったのはあれ、やっぱり90年代のことだったか。それは「郊外」論としても現われてきていたけれども、いずれ主として都市化/郊外化と消費のありようのコモディティ化の脈絡でのことだったわけで、まあ、それはそれ…

「地方」「イナカ」「農山漁村」が存在しない「日本」像

*1 大衆社会の〈リアル〉を、自前でことばにしてゆくのでなく、それより先に洋モノ輸入品メガネを介してああでもないこうでもないと言い合う芸風、それはそれとして、同時に手もと足もとのポンニチ文脈でその「公共」なり「世間」なり何なりがどう維持され変…

年代論世代論、の有効性、およびその是非について

*1 80年代論みたいなものもちらほら出回り始めてるような昨今、しかし、かつてのような年代論や世代論の持っていた厚みや立体感みたいなものはなぜか稀薄な印象が強い。それらの議論へ向かうのには「なつかしいあの頃」というノスタルジーが駆動力になってい…

「学問」を成り立たせていた「戦後/昭和後期」の情報環境、のこと

*1 「学問」もまた、その時代の情報環境の内側でしか成り立たない、そういう面が否応なくあるらしいことを、ここにきて強く感じています、これまで以上に切実に、かつのっぴきならない同時代的問いとして。*2 とは言え、ひとまず文科系、いわゆる人文社会系と…

「おはなし」が四六時中に・メモ

四六時中好き勝手に、何の制約も加えられずに「おはなし」と、ほぼ全開放で自由に接することができるようになったいまどきの情報環境、と、例の「いまどき善意&正義ごかしのもうひとつの歴史修正」との関係について。*1 口頭の伝承、昔話であれ伝説であれ世…

「民間学」の煮崩れていった過程・メモ

高校の公民だかの教科書に民俗学的な内容が盛り込まれるようになってから、「学校」の中、教室の授業であらかじめそれらを刷り込まれてきて疑わないようなマジメクズ系の若い衆世代が民俗学の世間でデフォになっていった過程があったこと。高校の教室で民俗学…

とあるブンガク

*1 今から15年ほど前、20代後半の頃に個別指導系の学習塾で数年間働いていた。担当は男子中学生ばかりだったがその中に明らかにオーラが違うイケメンがいた。今で言えば坂口健太郎によく似ていたので、ここでは彼を坂口君と呼ぶ。坂口君は身長180弱、不良っ…

ガクモンをめぐるリクツとモヤモヤ・メモ

「偏見」と呼ばれているようなものの見方や考え方もまた、それが何ごとにか基づいた見方や考え方である以上、ある種の真実を含んだものでもあること。あらかじめそれを「偏見」だと決めつけてひとつのハコに効率良く合理的に放り込むようなことばやもの言いの使…

「ブラック」環境とポンニチマインドの関係・メモ

日本人って話し合ったり議論したりした結果、より良い結論が出たり、それによって良い結果につながったりってことになるの、実はものすごく確率低いんじゃないだろうか。特にここのところずっと。 「闊達な議論」だの「忌憚ない意見交換」だのなにだの、それ…

「処理/対応」という作業と「情報」化・メモ

ああ、確かにこういうのがいまどき「劣化」のひとつの現われ方かも知れんなぁ……しかも専門家もシロウトも一緒くた横並びの症状として。ちょっと前にこれ言うたけど、シュナや北が追いついてきた。 https://t.co/SD2AtdfoxJ— dada (@yuuraku) November 15, 20…

「ダンナ」と「カネ持ち」走り書き

「カネ持ち」というのは、どうしてそういうカネ持ちになった/なれたのか、その理由や道筋は、世間一般フツーの人がたからはよく見えないし、わからない。わからないからこそ「カネ持ち」というイメージも輪郭確かに持つことができたらしい。けれども、昨今…

楽譜の読まれ方、のこと

紙媒体の「楽譜」がどう読まれてたのか、楽譜自体を読むリテラシーの普及過程なども関わるだろうが、流行歌は戦後のサークルがらみのうたごえやコーラス活動と直接関わりにくかった気もするし、むしろハーモニカその他「私的」な楽器の普及などを補助線に考える…

「コンテンツ」は「愛玩」できるか

アマゾンプライムやNetflix、さらにはキンドルなど、映像画像テキスト音声を問わず、いずれ「コンテンツ」をweb介したサービスによって自由自在に楽しむことができる環境は、確かに昨今急速に本邦の情報環境でも整備されてきている。 映画がオンデマンドで観…

山口昌男の「歴史人類学」、その初発の可能性のこと

山口昌男の「歴史人類学」について、もう一度立ち止まってみること。いま、このような状況、かつ情報環境/言語空間になっているからこそ、敢えて。若い頃、それこそ意気盛んな頃に盛んに言及していてその後しばらく表だって言わなくなっていたのを、晩年にな…

「おはなし」のリテラシーの重層性、について

手塚治虫にまつわる「伝説」についての、もうひとつ別な側面からの考察のための走り書き。殊に、戦後の貸本劇画時代の手塚治虫圧勝状況の背景について。*1 手塚が戦前の阪神間の裕福な家に生まれ育ったことは有名だし、そこで育まれたさまざまな「文化資本」が彼…

ある邂逅

久し振りに顔を出した場所で、久し振りの顔に思いがけず、ばったり行き会った。 世間並みの無沙汰の挨拶、当たりさわらぬやりとりの中、ネットオークションで競走馬のやりとりがされるようになっていることについての話題になった。 「あれ、どうなん?」 微…

柳田國男にとっての「書く」、の再考

柳田國男にとっての「書く」ことの内実とはどのようなものだったのか、という問い。特に、話しことばの切り開く現実の水準に眼を開いてゆくことのできた彼が、それらを書きことばの現実へと、つまり「記録」へと変換してゆくことの意義を、その功罪含めてどの…

「記録」ということ、殊にその現在について、続き

*1 「記録」の過程から主体が喪失され始めているかも知れないこと。24時間体制で稼働し続ける監視カメラのように、シームレスな「環境」として「記録」がされ得るようになっている現在から、誰が何のためにどういう意図で、といった主体の制御の位相がなしくずし…

「私小説的な読み方」の遍在可能性とその影響について

私小説として読むこと、が「作家」の書いたものについてはもとより、他でもないその作家自身についてもそうだったかも知れないことについて。*1 世の中に対する見方や考え方、起こったできごとや事件、あるいは日々身の回りの「あるある」事案などについて、…

紙芝居とラジオ・雑感

*1 紙芝居、子どもたちが熱狂したというのは総論そうだと思うけれども、戦前までのそれとは視聴の仕方(ヘンな言い方だが)が変わっていった過程もあるんじゃないか、とは思うとる。よく古い写真にあるように子どもたちがまわりに群がって熱狂というのは戦後の…

「記録」ということ、殊にその現在について

「記録」の意味がなしくずしにこれまでと変わり始めているらしい、こと。昨今の役所の文書「改竄」騒動その他、あれこれ眺めながら考えている。 国会での追及沙汰が、もう何のためのものかわからなくなっている状況なのはひとまず措いておく。「改竄」を声高…

web(インターネット)での情報と、紙と文字の情報の関係

*1 フォルダとファイル、の組み合わせはモニタ上だけのこと、ではない。 現実に紙と文字の情報を扱うためのさまざまな工夫や道具の蓄積が行われてきていて、それらを操って使いこなすスキルがあることを前提に、パソコンを介した情報処理も成り立っている。 …

「大卒」に期待されるもの、とは?

*1 大きなことば≒抽象的な概念を扱えること 概念とは、絵にも描けないし具体的なモノとしても示せない、でも「ことば」である。 われわれ人間がふだん使っていることばは主に話しことばであり、それはほとんど個別で具体的なレベルから離れることはない。 だ…

「学問」と「現在」≒〈いま・ここ〉の関係について

*1 「○○学」というのは、基本的にもうあまり意味がないと思っています。いまの日本の、それも文科系の大学生であるあなたたちにとって、ということ以上に、いまの日本の文科系の学問全体にとっても、そうだろうとずっと考えています。 なので、「○○学」をや…

前川喜平、について

前川喜平、というあの御仁について。Twitterより拾いもの、例によって。 今更俺が言う必要もねえけど、善意と美徳の塊みたいな人間がいるわけないんだから、元高級官僚だけどおねーちゃんのいる店に通ってました、は別にいいんだよ。そういう両面ある人間を…

50代新人類世代のリベサヨ転向左旋回問題

50代アラカン新人類世代のリベサヨ転向左旋回問題。TLに浮上してくる頻度が今年になって、にわかに高くなってきたような印象がひしひしと。 いやしかしまあ50代後半ぐらいの「新人類世代」におサヨクぶる奴が異常に増えて来たけど、こいつら若い頃に絶対左翼…

この時期この季節

この時期になると、ご当地とは言え、少しは「あ、春っぽいかな」程度にゃ季節がゆるむ気配が感じられるようになる。 陽射しが何となく暖かくなる(日もある)、でもって雪が溶け始めて(でもまた凍ったりもする)足もとに溶けた雪が水になった流れがちょろちょろ…

ポストモダンと「団塊」批判

TLに流れてきたこんなtweet。気になったので備忘的に。 ポストモダンな話、全てを相対化して解体した上で意味も価値も全て無にした後で全てを肯定する(なおそれだけの思索の果てに辿り着くのは最初の立ち位置と同じである。変わるのは自己の世界認識のみ)み…

ご当地な店、ご当地な人がた

今月いっぱいで閉店する、と聞いた地元の衆推薦の某店へ行った。 ご当地市内の一等地の立地。こじんまりとした昔ながらのしもた屋の規模で、外打ちもいい感じだったのだが、中へ入るとそれだけで空気がわかった。澱んでるのだ。見るからにご当地顔したもしゃ…