web(インターネット)での情報と、紙と文字の情報の関係

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 フォルダとファイル、の組み合わせはモニタ上だけのこと、ではない。

 現実に紙と文字の情報を扱うためのさまざまな工夫や道具の蓄積が行われてきていて、それらを操って使いこなすスキルがあることを前提に、パソコンを介した情報処理も成り立っている。

 紙のフォルダを中心にした情報整理のシステムを意識すること。講義別、のフォルダを作って、そこにプリント類やメモ、ノートなどを分類して管理してゆく習慣をつけてみること。

 情報の整理もまた、最終形や正解はない。常にメインテナンスしてゆく過程であること。

 ・ 図書館 (library) =書物、本という形式に整理された紙と文字の情報の集積。

 ・ アーカイヴ (archive) =紙の文書、メモなど書物「以前」の形式も含めた情報の集積。

    「文書館」「文書庫」「公文書館」、または「記録保存館」などと訳される。

 自分の身のまわりをこのようなライブラリー、アーカイヴとして見直して、情報を整理してみること。書棚には本、書物だが、CDやDVDは? プリント類やメモなどは? 自分を中心にしたそのような情報とメディアの集積システムを設計してみよう。

 紙と文字の情報は、書物という形式にするより手前で、クリップしたり、ホッチキスでとめたり、いくつかまとめて検索しやすい形式にしておくこともできる。文房具屋の棚をそのような意識で見つめなおしてみると、何のためにそのような道具が発明されてきたのか、といった「歴史」にも思い至るはずだ。

 固定された、輪郭のはっきりした、検索しやすい形式に再編成された情報があり、それらがある法則に従って整然と整理されている状態、というのが、世界=現実が明確になっている状態である、という考え方がある。自分の部屋、デスクのまわりを出発点として、自分を中心としたそのような状態を作り出すことから、大学での大学生としての「勉強」の下ごしらえが始まる。

 それは、そのような状態の中心にいる「自分」という存在についても、同様に、固定された、輪郭のはっきりした存在である、という認識を持つための条件にもなる。「個人」という考え方も、そのような条件の中できちんと認識できるようになる。

 

 一方で、人間には感情もあるし気分もある。生きものとしての体調に変化もある。

 考え方が変わってゆくこともあるし、成長し、年を取るに従ってものの見方や考え方がうつろってゆくこともあれば、生まれ育った土地と違うところで生きるようになれば、時には異なる文化、異なる環境になじんでゆくことで、さまざまに変容してゆくこともある。

 そのように変わり続けることができるからこそ、その変わってゆく過程も含めて、でも、そのように変わってきて「現在」=〈いま・ここ〉の「自分」がある、ということについて、責任を持って説明し、表現することができることが必要になる。

 うっかりと変わり続ける存在だからこそ、人間はその過程を自身でコントロールできる道具やスキルを持った存在=「自立」した「個人」、になってゆく必要がある。

*1:同じく弊社新人若い衆向けのメモないしはレジュメとしてのもの。高校までにこの程度の認識も持たされていないのが普通なのは、弊社若い衆が特別ほったらかされてきているというわけでもないらしいあたりが、いまどき本邦高等教育の現状らし。