論文ばかり読んでいるとバカになるぞ――なんかそう言ったことがある。いつ、誰に対してだかは忘れた。けれども、そう言った時のその相手の顔つきに、明らかに軽蔑と落胆と、ああ、こいつは相手にしない方がいい物件だったよな、といういまさらながらの気づきが兆したのは、くっきりと覚えている。
しゃあねぇじゃねぇか、ほんとにそう思うのだ、当時も、そしていまも変わらず。「論文」という形式に整えられたものばかり読む、読まされる、そうしなければいけないとばかりに思い込んで次から次へと喰いたくもない食いものを自ら詰め込んでゆく、まるで苦行でしかないはずなのだが、なぜかその苦行を強いられている当人たちはそう思わないらしい。何か将来に期するものがあり、辛いけれどもいまはこれを「頑張って」やりとげなければならないのだ――そういってまなじり決したガンギマリな自意識の気配がだだ漏れになっていて、まあ、その、ありていに言って、近づきたくないな、と思ってしまうようなものだったのだ、そういう人がたのたたずまいというのは。
もちろん、冒頭のようなことをそんな彼ら彼女らに向かって臆面もなく投げかけるこちとらもまた、そんな彼ら彼女らから見れば、近づきたくないと思われる物件だったことは間違いない。というか、こちとらなどよりもおそらく彼ら彼女らの方が、はるかに強く、かつ骨がらみに響いてくる拒絶の思いに苛まれていたのだろう。だが、申し訳ないなどとは思わない、昔も今も。
論文を読むことが生活の第一義になり、あたりまえになってしまった者は、同時にそのような「論文」という形式に整えられた書きものだけで構成されている世界というものが自明にあることに埋没し、次にことの必然としてそれらの世界での「最先端」であったり「最新」であったりするものを我先に追いかけるしぐさをわが物にすることに邁進するようになる。「最先端」であったり「最新」であったりすること、を保証するのは何かというと、その「論文」という形式に整えられた書きものだけで構成されている世界において共有されているものさしであり、それはその世界を自明のものとする限り、そしてその自明を疑うこともなく、違和感も不快感も感じなくなっている者たちの世間がただひとつの「正しい」世間であると思い込んでいる限り、ある種の憲法のような基本的OSとして働くものでもあるらしい。ぶっちゃけた言い方をするなら、そういう「文化」であり、そういう「信心」を前提にした「そういうもの」化した共同性なのだ、早い話が。
「最先端」であり「最新」であること、それがとにかく価値であるというそのものさし自体が、実はおそらくさまざまな難儀の根源なんだと気づくまでに、自分はそんなに時間はかからなかった。その程度にまた、自分という存在はろくでもないものであり、それらの世間にとって初手から異物でしかなかったということでもあるのだろうが、まあ、そんなことはどうでもいい。論文を読む、そのことがあらかじめ何か特権的な世界に生きていることの存在証明のようなものであり、同時にそうしないことにはこの世界に存在し続けられない必須の作業のごとくなってしまう、だからそれ以外のものに接したり読んだりする際にも、ごくフラットに自然に素朴に構えずに受けとることも難しくなり、またそのような不自由をいくらかでも自覚すればするだけ、自分のその世界を後生大事なかけがえのないものとして意識してゆくようなからくりもまた、すでに実装されていたりするらしいから、およそどう転んでも救われない、少なくとも「自由」に闊達に生きることを志すくらいの知性であるはずならば。
折りに触れて文句を言うようなことになっている、例の「アカデミア」だの「研究(者)」だのをことさらに振りまわして、イソップのあのカエルの如く承認欲求まみれでしかなくなった自意識をパンパンに膨らませているいまどき若い衆世代のそういう界隈、単にマジメだとか堅物だとかということでもなく、要するにそれら自分たちが安住している世間に対する違和感、不信感といった類をどこでどうごまかしているのか、とにかく必死なまま硬直しているようにしか見えないのが、こちとら外道から見れば、何とも気の毒でしかない。このへん、ていねいにほどこうとすればかなり長い話にならざるを得ないのでひとまず端折るけれども、一時期もてはやされた「在野研究(者)」とかいうムーヴについても、キモチは十分にわかるし言いたいことも総論共感できるものの、ただ基本的な姿勢やたたずまいに関してどうにも「なんだかなぁ」感が拭えないまま微妙に距離を置いて眺めざるを得なかったのは、おそらくそのあたりのマジメさ、不自由さと表裏一体、結局は合せ鏡のようなことにしかならないのでは、という懸念が根深くわが身の裡から、それこぞ「ゴースト」がそう言っているように兆していたから、だったりする。*1*2
*1:このあたり、これもまた別途、整理しておかねばならんとは思うが、とりあえずこの程度の素描だけはしておく。