「公共」と「通俗」の間・雑感

 「公共」とは、ある意味「一般」であり「普遍」でもあるようなものだろうが、それは同時に「通俗」「ありきたり」でもある部分を必然的に含まざるを得ないわけで、な。

 で、それらを仕事として視野に入れて具体的に動かしてゆく立場が「行政」であり、実行部隊が「お役所&お役人」であるはず、でな。

 いわゆる学術的なたてつけで、それこそ政治学とか法学とか社会科学的な脈絡であれこれ「公共」を語ることは、その作法やそれに従ったもの言いなども含めて、すでに定型があるみたいなんだが、ただ、こちとら外道の目線からすると〈それ以外〉の領分ってのが馬鹿にできんくらい膨大にありそうで、な。

 なんちゃって法学部卒なので全く偉そうに言えんけれども、ほとんどまともに出席してなかった学部の講義で、面白いなと思った数少ないひとつが「法社会学」だったりした。

 理屈でなく、いや、理屈なんだがそれが現実とどうクラッチミートさせられてゆくのか、てなあたりの面白さだったんだな、と。

 わけわからんながらに柳田國男に出喰わして、あ、面白いかも、と思ったのも、もしかしたら直感的に何かそういう「法社会学」的な何ものか、を察知していたのかもしれん、当時10代早生まれのガキなりに。

 のちに、彼が自分のやってることを「経世済民の学問」「(ある種の)ポリティカル・エコノミー」と言っていることを知った時は、あ、やっぱり、的な腑に落ち方をした。

 この「経世済民」も最近、例によってイヤ~な提灯のつけ方して得意顔な向きがあるようで、ケッタくそ悪いが( ಠωಠ)

 柳田にしてもあれ、亡くなる直前に「定本」が出始めてやっと仕事が一望しやすくなって、それと逝去が重なり、かつ高度成長のとば口だったこともあり、一気に何やら「柳田ブーム」が始まっちまったのがきっかけで、民俗学までうっかり風船おじさん化して舞い上げられちまったところあったわけで、な……

 また、当時の吉本隆明が「共同幻想論」で「遠野物語」その他引っ張ってきたのも、結果的にいらんブーストかけちまったところ、あったしな……

 いわゆる「柳田論」的な仕事の類、もう汗牛充棟どころか二次三次創作wみたいなのまでクソミソ一緒くただが、別途自前の領分、良い意味で専門領域をきっちり持った人がたが読んでみせた「柳田論」こそが読むに足るもので、そうでないのはいろいろと……というのは、当時からお約束ではあったわなぁ。

 悪い意味での「文学」的幻想というか、何かそういう通俗的なフィルターかかり具合の強いほど、あ、これ(゚⊿゚)イラネ な仕上がりになっとるのも、いわゆる「柳田論」のひとつメタなところでの味わい方(おい)