私娼撲滅と公娼拡張にかこつけた遊郭の「カフェー化」構想、警視庁提示だったが骨子眺めてるといろいろ興味深い。
娼妓外出自由を与える理由。「六年間も社会から遠ざかってゐる為、廃業後は著しく時代遅れになって物の役に立たぬ」「知ってゐるのは東北の山の中と吉原の中ばかりでお客の対手になって世間話が出来ない為、客が面白くないから世間を見せて話対手になれるやうにする。」
建築規則の撤去。木造&二階以下&三十坪未満を許可。「矢釜しい建築規則の為美麗な見物場所となってゐた」「大資本を要する為開業出来なかった者が続々小資本で開業するであらう」「沢山の資本を要しない結果、暴利を貪る必要がなくなり安く遊興が出来る。」
台屋の撤廃、飲食兼業許可。「飲食物を台屋から取り寄せる為、貸座敷と台屋と二重に儲けられ高価になってゐたから、直接貸座敷が兼業すれば之亦安直に遊興する事が出来る。」
丸山鶴吉が保安部長の時代らしいが「これで吉原その他が今日のカフェー同様の組織となり、氷水一杯コーヒー一杯呑むだけで下駄履きのまま自由に入り込んで娼妓を対手に巫山戯られる設備が出来た」と一方で酷評されている。「遊興」の大衆化とそれに対応しようとする行政のポピュリズムw志向、要検討。また、敗戦後のいわゆるパンパンなどの言わば戦後型私娼の出自背景についても、例の安吾などが記録してるようにそれまでの公娼系とは明らかに異なる層が流入していたことなども含めて、その来歴をある程度アウトラインとしてスケッチしておく必要。高度成長期に全国化/全面化していったいわゆるスナック系呑み屋での「遊興」の流儀なども含めての視野として。あと、戦後の「基地問題」(当時の共産党界隈主導の全国的な運動となっていた)関連の記述類に浮上してくる米軍基地周辺の米兵相手の水商売(&実質私娼)のありようなどの再解釈&読み直し、なども。