「児童」と「民俗」・雑感

 「民俗」の発見と「児童」の発見の関係について。あるいは、民俗学と児童文学の、本邦近代思想史上の相似性について。たとえば、共に近代的な〈知〉の通俗化と凡庸化のある接点において、その版図をうっかり拡大してきたという意味においての。

 これはあの柄谷行人が今さらながらに柳田國男を相手取ってあれこれいじるようになった、その脈絡の必然とも重なってくる。

 柄谷的な、あるいは本邦ボストモダン的な文芸批評の文法に(敢えて)従えば、「児童」の発見にはそのための「文体」があらかじめ発見されることが必要であり、その「文体」は「内面」「自己」という近代的自意識がその輪郭をある程度以上明確なものにしている必要があったということ。ゆえに、「児童」が「風景」のように発見されたのと同じように、「民俗」もまた、そのように発見されていった過程があったと考えることは、この脈絡においてはそれほど無理な話でもないだろう。

 もちろんそれは、さらに焦点を大きく広げるならば、いわゆる「現実」の発見、もっと言えば「日常」や「生活」「暮らし」などのもの言いで表象されてゆくことになるような〈いま・ここ〉をそのように見出してゆく脈絡にまで敷衍してゆくことは可能だろう。あるいは、さらに少し違う方向に広げるならば、折口的な意味も含めての「古代」や「むかし」、「文化の古層」といったもの言いによって表象されようとしてきた領域の発見にもつながってゆくのかも知れない。だが、それらの方向性に向けての考察はここではひとまず措いておく。

 「民俗」の発見、ということから考えるならば、所与の自然、自明の現実としての農山漁村的な生活、いつの頃からか「そういうもの」として連続していて、それが世代を越えて「伝承」されてきていると思われる、そのような現実が、何らかの概念や枠組みを介して改めて別の何ものかとして立ち現れるようになる過程ということになる。それを「民俗」と名づけるかどうかは別にして、少なくともそのように自明でない新たな何ものか、として認識されるようになる、そのことにまず合焦してみたい。

 

 

社会の底に穴が・メモ

 自分を真面目で善良と称する人間、要するに『我々はニンジャにしてはかなり控えめで邪悪ではない方だ!』 だよなとは思うけど、自分は真面目で善良なのに報われていない!て人間を邪険に扱ったり、お前は真面目でも善良でもないって指摘してもどんどん社会は悪くなりそうだなとも思いはするんよな……


 真面目で善良であることに見返りを求める態度は既に打算的であり真面目さでも善良さでもないってのはそうかもしれんけど、だからって「真面目さや善良さを評価してくれ」と訴える人間に「真面目さや善良さは評価の対象ではない」て返すの、社会の釜の底に穴開けるような所業だと思うんです。。。


 もうこないだっから阿呆みたいに繰り返し言ってる話で俺もいい加減痴呆にでもかかった気分なんだけど、そう返すしかないような話が流れてくるので何度でも繰り返し主張するしかないんよな。。。社会を支える真面目さや善良さはやはりなんらかの形で評価や見返りを用意していくべきですよ。。。


 まあもう多少の見返りでどうにかなるような状態じゃないよな。多分。これから長い期間をかけて我々は社会の底にでかい大穴をあけちまったんだ、それは取り返しのつかないことだったんだということをほぞ噛み締めながら確かめてくことになりそう。ペナントレースはもう終わり、あとは消化試合の時間だ。

 「まじめ」や「善良」、「誠実」や「無難」(これは昨今若い衆世代が最も親しみを感じる単語ではあるらしく)といった類が、それ自体あたりまえに成り立つものでもなく、何らかの対価や見返りといった「実利」を求めてしまうものになってしまった経緯、というのもすでに「歴史」的過程としてあるのだろう、と。

 とは言え、それをあからさまに要求することにはまだどこか躊躇や歯止めがかかってもいるらしく、そのへんはこれまでの本邦ポンニチ世間一般その他おおぜい的心性のある核心部分がまだ揺曳しているということか。「実利」をそのものとして当然のように淡々と要求すること、についての習い性は未だ共有されるまで至っていないらしく。

 自分が「まじめ」で「善良」で「誠実」で「無難」であること、は特に努力して研鑽して切磋琢磨の果てにそうなっているというよりも、「そういうもの」としてあたりまえの枠内にかなりの程度自然にそうしている結果である、という認識。でもそれは同時に、自分だけでもなく、まわりを見回してみれば世の中の多数派、それこそその他おおぜいを律している「常識」的な範疇でもあるらしいという認識も、また。その程度に自分もその他おおぜいであり、「常識」的な範疇の裡に日々生きているということの認識が、必然的にある種の安心感や薄い諦念などと共に。

 「その他おおぜい」の「常民」であることについての自覚と、その自覚にそのものとして安住して眠りこませることのできなくなってもいるらしい「自分」という自意識のありよう。

 「マジメ」で「善良」で「誠実」で「無難」であること、を黙って見ていてそれ自体として評価してくれる世間の側の視線を意識できなくなっている現在。そのような世間の視線を信頼できなくなっている、という意味あいも含めて。それは、他でもない自分自身が自分以外のそのような「マジメ」で「善良」で「誠実」で「無難」に対して、「そういうもの」として肯定し評価する枠組みをすでに確信と共に持ち合わせることができなくなっている、そういう不安や落ち着かなさの類などと併せ技になって、いまどきの「自分」の裡にくぐもっているもののような気がする。

旧国鉄エリジウム

*1

 そうして首長のメンツ丸つぶれにされたことがあったので、以後あのあたりでは二度と地元自治体に国鉄債を引き受けてもらえなくなったとも聞いたが。


 その話を聞いて、つくづく国鉄が潰されて良かったと思ったことだった。国鉄本社は1970年代後半までずっと常に首都圏の都合で新車配置先を勝手に決めていたから。あれがなくなっただけでもかなり違った。丸の内の都合と理屈だけで、地方局の現場の悲痛な声を無視して得手勝手に車両転配やってたんだから、そりゃ丸の内から見た効率は良いかもしれないが、客を莫迦にした運用が多々あって客離れの一因になっていたのは疑う余地がない。数字だけ見て客を無視した国鉄は滅びるべくして滅んだ。


 悪名高いキハ40系の新製配置でも、新車が入ることに喜んだ地方局担当者がこの期に及んで非力&冷房無しと聞いて絶望したって話があった。そんなもので冷房付きのハイパワー車が当然になりつつあったバスに対抗できると思ってるのか、本社は地方局を殺すつもりか、って。


 実際、国鉄時代末期、85年の夏に熊本から大牟田まで421系だったかの非冷房車による各停に乗った時の状況を思い出すに、地方だから冷房は要らないだろう、という丸の内の得手勝手な判断が、どれほど現実を無視した莫迦げた考えだったかを嫌というほど思い知らされたので、この絶望は良く判る。その年一番の猛暑の中、窓を開けたままだと熱風が吹き込んで熱射病になりかねないような状態で非冷房車への乗車を強いられて、それで次からも国鉄を利用したいと考える客がいた訳がないだろう。あの時、大牟田の駅で冷房をガンガン効かせて発車待ちをしていた西鉄の2000系特急が本当に天国に思えた。


 国鉄分割民営化がほぼ本決まりになった翌年から門司鉄道管理局など後にJR九州となる各管理局が大急ぎで床上設置の冷房機まで採用することでそれら非冷房車の冷房化を急ピッチで始めたと知って「当然だ」と思ったことだった。むしろあれらの施策は遅きに失した。地方、特に西日本での冷房化は私鉄やバス等の状況から判断する限り、最低でも5年は早く始めなければならなかった施策だった。財政がどうのという話はそれを放置した結果更に喪われる信頼や輸送実績に比してあまりに卑小な問題だったのではないか。客が冷房のついたバスや自家用車に逃げて当然である。それを「大したことは無いだろう」と放置し、挙句せっかくの地方向け新車に冷房準備工事すらしていないことを追及されて「田舎の風は涼しいから」などと冷房の効いた丸の内の庁舎で嘯いていたのだから、あの時代の国鉄官僚の無能・無神経ぶりはお話にならない。


 実際、冷房の搭載を全く配慮していなかったそれら「地方向け新車」がJRになって冷房化される際にどれ程工事費が嵩んで、挙句簡易冷房化などでお茶を濁し再三改造を繰り返す羽目になったかを考えると、あの当時の国鉄官僚のそうした判断は客からすれば八つ裂きにしても足りないレベルのひどさだった。実際、国鉄が分割民営化されると決まった途端、まるでアリバイ作りの様に冷房化が、それも従来は「電源確保が困難云々」と言い訳を垂れてやろうともしなかった50系客車なども含めて空恐ろしいピッチで始まったのを見て、「できなかったのではなく本社にやる気が全くなかった」事が証明された訳で。冷房化のニュースに喜ぶ前にあれほどしたり顔で「地方線区の冷房化は困難」と言い張っていた本社や車両設計事務所の担当者の首をまとめて飛ばしてやりたくなったのを思い出す。あれほど地方線区の乗客をたばかった、ひどいサボタージュもあるまい。


 もっとも、この問題については当時の国鉄の各労組も「余計な仕事が増える」などと喚いて妨害したりしたので、概ね同罪なんだが。

 国鉄も、電電公社も専売公社も、「三公社五現業」自体がもう、その記憶ともども歴史の彼方におぼろに消え去りつつある。「鉄道員」というのがどれくらい組織の上にあぐらをかいていた存在だったか、もまた、昨今の「もうひとつの歴史修正」のからくりを介しつつ、ある種の「証言」的にTLに流れてくることもたまにある。

 「サービス」業という言い方が昨今の基準で歴史に適用されていったら、それは何も国鉄だけでなく、かつて本邦にあったそれら「公」のからんだ事業のほとんどが論外のものになるだろう。「公務員」とひとくくりにされる存在がひところとにかく叩かれるものになっていたこと、そしてそれがまた昨今はネオリベラリズムの行き過ぎに対する反動もあって、公務員叩き自体が逆に叩かれるような局面も珍しくなくなっている。

 そういう公務員叩きと併せ技で「民営化」というのが何か錦の御旗になっていった経緯もあったし、その結果どうやら不具合がいろいろ出てきたらしいこともようやく気づかれ始めてきたようだけれども、しかしだからと言って、かつてのその公務員叩きと「民営化」の風潮が全部アウトだったのか、というあたりのことをもう一度立ち止まって考えてみよう、という態度は、例によってなかなか宿ってはこないものらしく。

 

*1:国鉄」の記憶。Twitterにはたまにかつて現場で働いていたとおぼしき人などもあれこれ呟いているし、そうでなくてもかつて確かに存在していた「日本国有鉄道」というエリジウムについての記憶をめぐって、ある種の民俗資料的な記述が流れてきたりする。

孤独死ジオラマ・メモ

②制作者は部屋がきれいで「自分はこうはならない」という人でも、突然の別れなどをきっかけに少しずつごみを溜め込んでしまう。決して人ごとではないと話します。


③中には、ごみの量が最大で8トンの部屋も。模型では分かりやすくするためにごみの量を減らしています。「孤独死のあった部屋」は、22日まで開催中の「エンディング産業展」で展示中です。ifcx.jp

 モノが身の回りに大量に、「用」から乖離したところで増え続けてゆくような日常は、戦後のそれも高度経済成長の「豊かさ」が一部の地域、都市部のある部分に限らず、ほぼ日本中、全国区の生活にまんべんなく行き渡るようになっていった過程で現前化してきたはずで、それは「雑貨」というもの言いにそれまでと異なる内実が付与されてゆき、「雑貨店」がオンナの人がたの夢見る「商売」のひとつの定型として合焦されるようになったりもしたわけで。

 「用」から乖離したモノ、というのは「別になくても具体的に困らない」ようなものでもあるけれども、ただその「具体的に困らない」の水準がある時期までと変わってきていたのも確かだろう。「衣食住」に集約されるような、個体をイキモノとして維持してゆく上で不可欠の営みに結びつけられる、だからこそ「なかったら即座に具体的に困る」ようなモノ、という意味あいから離れて、でも個人のココロや気分としては「困る」というような。

 「断捨離」というのもすでに商品となって、それこそ海の向こうで持ち回って商売にするコンマリみたいな向きも出てきているわけだが、「整理」だの「片づけ」だの「収納」だのといったカタチでちらほら現れてきていた、そのようなモノの大量化と日常化に対する対処の仕方は、ひとしなみに「モノ」としてだけくくって片づけられないような日常の側の変化をひとつの関数にしていたはずなのだが。

 「ゴミ屋敷」問題も、おそらくそのような脈絡において、また。

「遺族(実名)報道」関連・メモ

 実名報道する理由、それは役所がウソ発表したときに実名報道だとバレるだろ。ほかにもあるが。


 京アニの件は単に、人々の悲しみや憎しみを独占商売にするため先手打った奴がいて、後手に回った方が悪者にされ、多くの人々が勝者側に付きたい、それだけ。実名報道の是非を論議できる状況にないわな。

 京都の放火の匿名問題については、ツイッターでよくある「マスコミは敵だ」式の人心掌握術が、死者とファンの多さにハマッてしまい、遺族も府警もファンも身動きとれない状態かと見ています。他問題も併せ「死者を盾にされた時の耐性」を我々一般人が身につけなきゃ。

「観光」で喰う覚悟

*1
 前から言うとる。「観光」でメシ喰ってく、ってことについての覚悟なりリスクなり、社会としても生活や文化などにしても、一旦そっち行ったらもう後戻りでけんくらいの大きな決断せにゃならんあれこれの問題について、本邦あまりにも無自覚すぎやせんか、と。人文社会系のガクモンなり何なり、そのへんの問題については現状、ほとんど役立たずやないんか、と。

 自分たちの生活や日常を「見世物」としてずっと提供し、それを楽屋含めてまわしてゆく、それが日々の仕事になるということが最前提にならにゃあかんだろ、とりあえずは。

 たとえば、どこでもいい、それこそバリでもプーケットでもパタヤでもどこでも、いずれそういうリゾートと呼ばれるようになっとる土地で生きてゆくために、「観光」とどのようにつきあわざるを得なくなってるのか。その土地で生まれ育ちそこで生きてゆくことを考えた時にどのような選択肢が具体的にあり得て、つまりどんな選択肢しかなくなっているのか、というあたりのことも含めて、たまさか訪れる観光客目線と感覚でなくまごうかたない自分ごととして、自分が日々生きているこの本邦ポンニチの〈いま・ここ〉と紐付けて考えようとすることが、ほんとに穏当にできているのだろうか。

 大文字の能書きやリクツごかしでなく、そのように「観光」という現実に地元の生き方のほとんど全てが規定されるようになる、それが日々の日常の個別具体にどのように関わってくるのか、という問いと、それを身の丈の言葉やもの言いで担保する、できるだけの足場の確保。
 
 現状からものごとを冷静に考える、というのが「現実的」「リアリズム」だとしても、それは考えなしの現状肯定ありきやただの現状追認ってこととは違うはずだわなぁ。

*1:「観光」を冠した学部や学科がそれなりに増えてきていても、そもそも「観光」とはどういう事態を招来するものなのか、といったあたりの考察はあまりされないらしいのは、経営学的な土壌から観光学というものが生まれてきた経緯に規定されとるようなのだが。

モラハラの特徴と韓国の同一点

*1

モラハラの特徴と韓国の同一点②
〇特有の言葉で威嚇するのは密室だけです。公開では温厚で 密室ではただならぬ暴君に変身します。
〇人をおとしいれる嘘を平気でつきます。相手に威圧感・恐怖感を与えて支配することが目的です。


モラハラの特徴と韓国の同一点③
〇自分を正当化します。間違っているのはいつも相手です。昔のことや関係ないことを引き合いにすりかえ、責め立てます。
〇「相手に対して非常な怒りを感じている」という態度をとります。罪悪感を持つことを計算して「調教」します。


モラハラの特徴と韓国の同一点④
後出しじゃんけん/責任転嫁が得意で、時間、人脈など、利用できるものは徹底的に利用します。
〇彼らは非常に共感性が乏しいので、相手が疲れたり、時間に制約があることを理解しません。


モラハラの特徴と韓国の同一点⑤
〇プライドを理由をつけて捨てさせようとします。わざわざ悪口や評判の証拠を探してきて同意を迫ります。
〇わざと全部まで言わず「わからないだろうな」などと言ってぼかしたり、つぶやいたりして不安を煽ります。


モラハラの特徴と韓国の同一点⑥
〇嫉妬深く、常に自分の 監視下におきたがります。何度も会見したり、嘘の報道を連打します。内容は怒りを示すものや、それを臭わすものです。
〇相手の弱いと思う部分を集中的に攻撃し、「全て私が悪かった」というまで続きます。


モラハラの特徴と韓国の同一点⑦
〇相手が不機嫌なのは許しません。横っ面をはり倒しながら「なぜ怒るんだ」 と言うのです。彼らの頭ではこれが矛盾せずに存在しています。
〇小言の後に、アドバイスめいたことを言います。彼らはこうすることで、自分が相手よりも 上だと思いこませたいのです。


モラハラの特徴と韓国の同一点⑧
〇会話は主に疑問形で責めてきます。答えを出そうとしますが、答えは自分の非を認めるものしか許しません。
〇爆発が起こった後は嵐のあとの海のように穏やかになります。治ったと思うと、また緊張期がやってきます。この繰り返しです。

*1:2ちゃんねる以来、日韓合同開催ワールドカップ以来、この種の嫌韓厭韓ネタは本邦web環境の定番だが、昨今はそれがSNS、殊にTwitterに移動しているらしく、ある意味その最もわかりやすい事例ではあるかと。