仮想主体のゾンビ

 3年半にわたる裁判沙汰になった自分の一件でも、当初「それはやったらあかんでしょ」と証拠ともども筋道立てて指摘しても、何言われとるかマジにわからんような顔しとったなぁ、相手方の幹部(とされる)人がた。

 文句つけてくるなんて信じられない、という感じ。自分たちのやっている&加担していることが「正しい」のだから、と。まあ、その「正しい」も、腑分けしたら人によって微妙に濃淡軽重あったような気はするけれども。

 二度と自分が勤めているところが「潰れる」ことは許さない( ー`дー´)キリッ てな御仁も中にはおらしたような。元拓●のエリートだった(らしい)という中には。

 それが「正しい」になって、そこから「あらゆる手段は正当化される」になるの、なるほどある時期までの本邦ビジネス社会(だか何だか)のある部分に鈍く共有されていた「文化」ではあるのかなぁ、と。

 ただ、そういう「正しさ」振り回しての挙動が卑怯姑息だと思うのは、その「正しさ」の背後に「カネ儲け」「私腹肥やし」の実利がべったり二人羽織みたいに張りついてたりもしとったところ、でな。

 で、その二人羽織の後ろの部分は当然「なかったこと」になってて、それは「言うだけ野暮」という卑怯姑息の共同性ががっつり構築されているという。そこまでひっくるめての「正しさ」ごかし、というあたりがこちとら外道の目線からは丸見えスッポンポンだったんだが。

 実利はあるしあってもええんよ。そもそも「利益」が生じないことにはものごと動かんのは人の世の節理でもあるわけだし。ただ、それも含めて言語化して自覚&認識しとらんから、それはやったらあかんだろ、という境界というか限界まで初手から蒸発したまんま、になっとるわけで。

 そういうおのれらの、もしかしたら避けられないかもしれないような種類の卑怯姑息さ、実利がらみの大人の事情を背負っていること自体を自覚しない/できない、無謬の「正しさ」で編制されとるキモチ悪い「仮想主体」がゾンビのようにたむろしている構図。