国鉄時代はこの種の利用債引き受け新製車を全く縁も所縁もない路線に投入し、利用債引き受けた地元には使い古しのゴミを回していたんだよなぁ。呉線電化では地元首長出席の式典で油臭い73系がやってきて、出席首長らがこんなボロの為に高額の利用債を引き受けさせたのかって怒ったって聞いたが。 https://t.co/e1pGgdmPCY
— 靖間 誠 (@SEI_YASUMA) 2019年8月25日
そうして首長のメンツ丸つぶれにされたことがあったので、以後あのあたりでは二度と地元自治体に国鉄債を引き受けてもらえなくなったとも聞いたが。
その話を聞いて、つくづく国鉄が潰されて良かったと思ったことだった。国鉄本社は1970年代後半までずっと常に首都圏の都合で新車配置先を勝手に決めていたから。あれがなくなっただけでもかなり違った。丸の内の都合と理屈だけで、地方局の現場の悲痛な声を無視して得手勝手に車両転配やってたんだから、そりゃ丸の内から見た効率は良いかもしれないが、客を莫迦にした運用が多々あって客離れの一因になっていたのは疑う余地がない。数字だけ見て客を無視した国鉄は滅びるべくして滅んだ。
悪名高いキハ40系の新製配置でも、新車が入ることに喜んだ地方局担当者がこの期に及んで非力&冷房無しと聞いて絶望したって話があった。そんなもので冷房付きのハイパワー車が当然になりつつあったバスに対抗できると思ってるのか、本社は地方局を殺すつもりか、って。
実際、国鉄時代末期、85年の夏に熊本から大牟田まで421系だったかの非冷房車による各停に乗った時の状況を思い出すに、地方だから冷房は要らないだろう、という丸の内の得手勝手な判断が、どれほど現実を無視した莫迦げた考えだったかを嫌というほど思い知らされたので、この絶望は良く判る。その年一番の猛暑の中、窓を開けたままだと熱風が吹き込んで熱射病になりかねないような状態で非冷房車への乗車を強いられて、それで次からも国鉄を利用したいと考える客がいた訳がないだろう。あの時、大牟田の駅で冷房をガンガン効かせて発車待ちをしていた西鉄の2000系特急が本当に天国に思えた。
国鉄分割民営化がほぼ本決まりになった翌年から門司鉄道管理局など後にJR九州となる各管理局が大急ぎで床上設置の冷房機まで採用することでそれら非冷房車の冷房化を急ピッチで始めたと知って「当然だ」と思ったことだった。むしろあれらの施策は遅きに失した。地方、特に西日本での冷房化は私鉄やバス等の状況から判断する限り、最低でも5年は早く始めなければならなかった施策だった。財政がどうのという話はそれを放置した結果更に喪われる信頼や輸送実績に比してあまりに卑小な問題だったのではないか。客が冷房のついたバスや自家用車に逃げて当然である。それを「大したことは無いだろう」と放置し、挙句せっかくの地方向け新車に冷房準備工事すらしていないことを追及されて「田舎の風は涼しいから」などと冷房の効いた丸の内の庁舎で嘯いていたのだから、あの時代の国鉄官僚の無能・無神経ぶりはお話にならない。
実際、冷房の搭載を全く配慮していなかったそれら「地方向け新車」がJRになって冷房化される際にどれ程工事費が嵩んで、挙句簡易冷房化などでお茶を濁し再三改造を繰り返す羽目になったかを考えると、あの当時の国鉄官僚のそうした判断は客からすれば八つ裂きにしても足りないレベルのひどさだった。実際、国鉄が分割民営化されると決まった途端、まるでアリバイ作りの様に冷房化が、それも従来は「電源確保が困難云々」と言い訳を垂れてやろうともしなかった50系客車なども含めて空恐ろしいピッチで始まったのを見て、「できなかったのではなく本社にやる気が全くなかった」事が証明された訳で。冷房化のニュースに喜ぶ前にあれほどしたり顔で「地方線区の冷房化は困難」と言い張っていた本社や車両設計事務所の担当者の首をまとめて飛ばしてやりたくなったのを思い出す。あれほど地方線区の乗客をたばかった、ひどいサボタージュもあるまい。
もっとも、この問題については当時の国鉄の各労組も「余計な仕事が増える」などと喚いて妨害したりしたので、概ね同罪なんだが。
国鉄も、電電公社も専売公社も、「三公社五現業」自体がもう、その記憶ともども歴史の彼方におぼろに消え去りつつある。「鉄道員」というのがどれくらい組織の上にあぐらをかいていた存在だったか、もまた、昨今の「もうひとつの歴史修正」のからくりを介しつつ、ある種の「証言」的にTLに流れてくることもたまにある。
「サービス」業という言い方が昨今の基準で歴史に適用されていったら、それは何も国鉄だけでなく、かつて本邦にあったそれら「公」のからんだ事業のほとんどが論外のものになるだろう。「公務員」とひとくくりにされる存在がひところとにかく叩かれるものになっていたこと、そしてそれがまた昨今はネオリベラリズムの行き過ぎに対する反動もあって、公務員叩き自体が逆に叩かれるような局面も珍しくなくなっている。
そういう公務員叩きと併せ技で「民営化」というのが何か錦の御旗になっていった経緯もあったし、その結果どうやら不具合がいろいろ出てきたらしいこともようやく気づかれ始めてきたようだけれども、しかしだからと言って、かつてのその公務員叩きと「民営化」の風潮が全部アウトだったのか、というあたりのことをもう一度立ち止まって考えてみよう、という態度は、例によってなかなか宿ってはこないものらしく。