小次郎、そして石松「伝説」

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 小次郎が美形というイメージを定着させたのは吉川英治でしょうけど、それ以前に美男とするような伝承はあったんでしょうかね(講談だと小次郎は悪役で美男子のイメージはないし)

 吉川英治というか、挿絵が相当悪さしとったのではないか、と当て推量。それも石井鶴三ではなくその後、どこかで変貌したのかな、と。戦後このへんのマンガだともう明らかに「小次郎」キャラ(左下の一色)が仇役的に定着しとるような。考えたら花形満もそういう流れを汲んどりますわなあ。


 眠狂四郎的な「ニヒル」キャラはそりゃ「大菩薩峠」とかそのへんに淵源求められるとは思いますが、それがビジュアル造型として輪郭整えてゆくのはまた別の過程かなあ、とかいろいろと。

 東千代之介とか大谷友右衛門とか高倉健とか…

 「翳のある二枚目」的な……ようわからんですがその「翳」ってのは「内面」ってことでもあるはずで、だとしたらオンナの視線が前景化してきた結果、それまでのヒーローの「内面」とは別の現われ方をし始めた、とか考えられるような気もします。


 「ニヒル」と「恐妻」(´・ω・`) #何か降臨したらしい


 明朗快活な、旗本退屈男的な戦後チャンバラ系ヒーローとは別の、あるいはそれとの関係で「ニヒル」が輪郭整えていった可能性。本邦的ハードボイルドやミステリーなどの戦後的理解の文脈にももしかしたらつながるのかも。ジャイアンとかそれ系「ガキ大将」から「(少年マンガ的)番長」の系譜と、「不良」「ワル」の系譜……石松系の「馬鹿」は前者にしか降臨せん/でけんような気がする……

 講談・森の石松の原型は次郎長の養子・山本五郎の『東海遊侠伝』での豚松、五郎も次郎長も『水滸伝』好きで豚松のさらに原型は李逵や武松(それに『三国志演義』の張飛夏侯惇)だったりします。

 豚松、確か伝承的史実としてはほんの断片的な挿話しかなかったんでしたっけか、確か。

 その「伝承的史実」というのも『東海遊侠伝』が典拠だったりします。死にざまの豪快さ(それも中国白話小説を元ネタに膨らませた話)しか記されていなかったのをさらに膨らませていったわけで

 そんで、片目の関係者は確かにいたけど石松という人がいたかどうかはよくわからない、みたいな話でしたか。

 『東海遊侠伝』での豚松の死にざまというのが、顔を斬られ片眼をつぶされても奮戦し、腕を切られて繋ごうとしたけど無理だったので拾って帰り、傷口を縫っていったんは命拾いしたと思ったら大酒を飲んだために傷口が開いて出血多量というものだったのです。で、その潰れた片眼を石松が引き継いだ

 なんかそのへん、明治期の伊藤晴雨とかに象徴される「残虐」趣味みたいなのも微妙に揺曳しとるような気もしとります。水滸伝その他の下敷きの脈絡とは少しまた別の方向になりますが、石松がアイパッチするようになった経緯、なんかも気になるところ……
ところで隻眼眼帯キャラの元祖って伊達政宗で合ってんですかね? アレもホントにアイパッチしてたのかどうか。

 マチャアキが最後ですかね。マキノ雅弘のほぼ遺作。紳助とかもやっとったような……

 次郎長が中村雅俊

 エノケン森の石松(1939)を演じた後、1940年に孫悟空、1942年に黒旋風李逵を演じているんですが、乱暴者だが人情味と愛嬌があるということで、石松を中国物の下敷きにしているんですよね。この辺、石松の原型が白話小説にあることを思うと面白いところです

 前も触れましたが、台湾の留学生が「石松」に反応してくれて、60年代から70年代あたり現地で人気だったコメディアンに「●石松」という名前のタレントがいたそうで、そのキャラが明らかに石松的だった由。文化の盗用wも何重にも歴史的レイヤーとして、な事案かも知れんです。

 エノケン森の石松(1939)を演じた後、1940年に孫悟空、1942年に黒旋風李逵を演じているんですが、乱暴者だが人情味と愛嬌があるということで、石松を中国物の下敷きにしているんですよね。この辺、石松の原型が白話小説にあることを思うと面白いところです。


 で、日本テレビ水滸伝』(1973~74)でも行者武松(演:ハナ肇)と黒旋風李逵(役名としては「鉄牛」、演:大前均)のキャラの下敷きに石松を使っていて、鉄牛が旅先の酒場で「梁山泊で一番強いのは誰だと思う?」なんてやってる。このあたり、そのままだと陰惨な言動になりかねない白話小説出身のキャラを愛すべき好漢にするのに、陰惨紙一重の乱暴者キャラから次第に丸くなっていった石松をなぞらせた感もあります。

 ハナ肇はどうやっても「陰惨」にならないんですよ、むしろ渥美清の方がそういう「闇」をどうしようもなくはらんでたりするわけで。初期の寅さんのおっかなさやどうしようもなさみたいなものは、ハナ肇じゃ良くも悪くも絶対出てこないし求められもしない。白話小説的「陰惨」ってのが、先の明治期の晴雨的な「陰惨」に影響しとる可能性ってのもあるのすかねえ……そのへんの文脈は個人的にはあまり正面から扱ったことがないんでアレですが。

 ハナ肇はバンドマンですね。浅草芸人の渥美清はやはり闇があります。『沓掛時次郎 遊侠一匹』ではコミカルに登場して惨殺されちゃう。

 情け容赦なくその場の共演者その他を「喰い」にくる感じの「闇」も含めて、ですね……

*1:TLでそれなりに実のあるやりとりができる瞬間もあること。学会や研究会などでの質疑応答の杓子定規でなく、むしろ「座談会」や「夜話」的なもっとフランクでゆるい、だからその分互いの視野や問題意識などを介した具体的な素材を提示しあえたりもする、言葉本来の意味での「話し言葉」の豊かさとしても。