生まれは温泉街

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 私の生まれは温泉街で、秘宝館こそないものの、幼稚園の頃までは街中にストリップの小屋があった。店の前には、いつも怖いおじさんが長い木の棒を持って立っていて、子供が寄らぬよう店番をしていた。私が小学校へ上がる年に、新しく来た市長が「いかがわしい産業はよろしくない」と言い始めた。


 お触れが出たのか、元々お客が減っていたのか知らないけれど、そのストリップ小屋は瞬く間につぶれた。その他何件かのお店もつぶれた。古い(淫靡な)温泉街からの脱却を掲げて、市長(とそれに従う地元の商工会)はいろいろの事をやったけれど、結局は日帰りの家族客が増えただけで、地元のスナックも、遊技場も、料理屋も、旅館さえも立ち行かなくなった。元来、水商売に従事する人の多かった街が「いかがわしさ」からの脱却を図ったのだから、当たり前のように多くの高齢者が路頭に迷った。もちろん、高齢者の経営するスナックや旅館に勤めていた若い女の子も職にあぶれた。


 そのうち、いかがわしいお店の女の子がお客を連れて訪れていた「いかがわしくない」店までつぶれはじめた。料理屋、居酒屋、喫茶店に至るまで次々つぶれた。とある斜陽温泉街が、いかがわしさを払拭しようとした結果、手元に残ったのは大量の生活保護受給者と、空きテナントの群れだけだった。


 温泉を巡る今回の騒動の、絵の具合に関する様々の指摘はいったん他所へ置くとして、俗にいう「いかがわしい」ものを排除しようとした温泉街の顛末として、私の生まれ故郷は読み取ることができるのではないかと思う。もちろん町おこしに失敗した地方都市の顛末、ともいえるけれど。


追伸。自分の街をぼろくそに書いている『坊ちゃん』を観光資源にしている松山市はすごい。マジで。