「おとな」と「小僧」の正しい関係

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 広澤虎造のあの次郎長伝の、あれは確か荒神山の決闘だったか、小僧っ子が一緒についてゆくときかないのを「おとな」が敢えて叱って追い返す、でもその小僧はひそかについてきてて危機一髪を助け「借りは返したぜ」と捨て台詞、そこに「♬粋な小僧もあったもの」というあの呼吸。56分あたりから(´・ω・)つ   *2


01 血煙荒神山(蛤屋の喧嘩・神戸の長吉) 浪曲 広沢虎造 清水次郎長伝(吉良の仁吉完結編より)

  「ご恩返し」に一緒に連れてってくれ、助太刀をさせてくれ、と力む小僧若い衆にスジとして負荷をかけて、でもその負荷に対して「意地」を見せる、見せても見せなくてもそれはいいんだけれども、でも敢えて小僧は小僧なりのスジを通そうとしたことについては「粋な小僧」という別のスジもちゃんと留保して「評価」してやる、という浪花節的「人情」の機微。*3

 叱られておとなしくそれに従うのももちろんありで、それが多数派の普通だったんだろうしそれがスジだと負荷かけたのに対して、敢えて反発、言うこときかずに独断専行してみせる「意地」「意気」の存在もまた、人に場合によってはあり得る、という複線の雅量。小僧が「一人前」になろうとする力の認識。

 もっともこれ、もちろん逆の側面もあったはずで、たとえばよくわれらが旧軍の悪弊としてあげられている「独断専行」の拡大解釈にしてもあれ、そういう「上と下」「おとなと若い衆」の「民俗」的レベル含めた「関係」に対する複線のスジの存在とその認識が悪さした結果、という面はあっただろう。*4

 大人にゃ守るべきスジ(小僧若い衆は守る)があるけれども、守られた小僧若い衆の側にも若い衆という時期だからこそあり得るスジ(「一人前」として認められてゆくための選択肢)もある、それぞれの立場や現状によってスジはひとつでなく複数あり得る、という認識。「多様性」の、おそらくは本来の豊かさ。

 「ここは若いもんに任せよう」ってのはそういう「別のスジ」≒自分たちのものとはまた別のオルタナティブな規範ってのがあるらしい、そしてそれはこっちからはよくわからんものだけれども、でも、その小僧若い衆も自分たちおとなも共に生きているこの現実≒「世間」にとって、おそらく役に立ち得るもののはずだ、という認識というか信頼、確信があって初めて有効になる判断のはずだ。昨今よくあるおとなの立場を放棄する言い訳のように「若いもんに任せる」を口にするのとは違う。「共に生きている」という感覚が減衰した状況での「若いもんに任せる」は、丸投げの無責任に他ならない。まあ、昨今はさらにそれを「アウトソーシング」とかカタカナもの言いに置き換えて、さらに姑息なごまかしを施したりしとるんだが。*5

*1:Twitterより拾った自分のtweetログから。こういう自分のためのメモや備忘としてtweetを使う、というのも、誰に教わったり学んだりしたということなく、いつしか何となくやり始めていたこと。SNSとしてはあまり本筋でない活用の仕方かも知れないのだが。

*2:記憶ってのはアテにならないのは常のこと。「血煙荒神山」の中の一段は間違いないが次郎長じゃなかった、神戸の長吉一家の加納屋利三郎の一党が安濃徳一家相手に勝ち目のない喧嘩に出かけようとする、その道中の段だった。松造という名の「かわいい小僧」の、これも「借りは返したぜ」だと意味もニュアンスも違ってくる、正確には「若旦那、ご恩返しはいたしましたぜ」だったが、その見せ場に至るちょっとしたくだり。

*3:その松造を「恩返し」に行け、と送り出したのも彼の「おふくろ」だったこと。長吉のおふくろもそうだったけれども、虎造の次郎長伝における「おんな」の、殊に何ものかを背負ったタフなおんなたちの存在については、あの平岡正明はさすがにちゃんと合焦し論じていたのはあまり知られていないのかも知れないが。

浪曲的

浪曲的

*4:通俗的な戦記ものなどに最も素直に出てきたりする「おはなし」としてのそれら旧軍 (主に陸軍が多いような印象ではあるのだが) の「いい話」的挿話の類に触れていると、そういう「独断専行」をさせてゆくような空気や雰囲気の類が、殊にある時期以降、内務班を中心とした平時の日常から前線における実戦の現場、下士官以下のみならず将校らの水準に至るまで濃厚になっていった経緯があるのではないか、という問いが宿ってくる。そしてそれはきっとこのような浪花節浪曲的な、人としてのココロの機微も陰に陽に関わってきていたに違いないと確信している。

*5:昨今あれこれ論われるようになってきたいわゆるネオリベ的能書きの数々も、それが確かに役に立つ、現実にうまく機能できる条件というか環境というのがある時期まではあったのかも知れないのだが、それら背景となる状況が変わったのにも関わらず、単なる表層のもの言いとしてだけ残った形骸化したそれらだけが使い回されている難儀というのがあると思う。かの「ブラック」環境などとおそらく同じように。king-biscuit.hatenadiary.com