「よそごと」グローバリズムからの「復員」

 本邦のジャーナリズム、少なくとも活字/文字が中心の紙媒体、大手新聞から各種雑誌などを舞台にしたそれらにとって、現在ほんとうに必要なこと、求められているものとは、という問題に関連するかも。

 なつかしい感じさえするお題と切り口。『週刊金曜日』というのにいきなりひっかかる向きもあるだろうが、それはこの際問題じゃない。こういうお題をこういう切り口でフィリピンという「外国」に「アジア」に求めてゆく、そういう「ジャーナリズム」の芸風が未だにここにある、ということに対する感慨と、そのことの意味について考えてみることがおそらく、なにげに大事なんでないかいな、と。

 すでに昔のこと、いわゆる新聞記者が「ブン屋」と蔑まれていた頃、それにはそれなりの理由もあったし、「取材」を「タネ取り」と称していたような下卑た野次馬根性と足軽雑兵的なある種の職人気質みたいなものがないまぜになった独特の気風というのも、確かにあったらしい。

 戦前、昭和初期に大学を出て新聞社に入り、戦争中から戦後にかけても新聞記者として仕事をしてきた世代、具体的には大正初年あたりに生まれたような、たとえば扇谷正造や入江徳郎といった人がたの回想めいた仕事などをあれこれ拾いながら眺めていても、その後の高度成長期あたりに醸成されていった新聞記者像――「事件記者」などというテレビドラマにも仕立てられていたような、社会的正義を実現してゆくヒーロー的な色合いはまだそんなに付与されていなかったし、何より当の本人がたの意識からしてそんなニュアンスはまだ薄かったことが見てとれる。ある意味牧歌的というか、かつての高等遊民、自由人としてのインテリという矜持が、明治以来の「羽織ゴロ」的韜晦気分と共にあったらしいこと。敗戦後から占領下、そして独立を経て「国家」として何とかもう一度恰好がつけられるような条件が最低限揃ったかな、と思われるようになった昭和30年頃、高度成長のとば口くらいまでは概ねそのまんまで。

 その流れがある意味最も純化されたところに宿ったのが、たとえばこういう新聞記者のイメージ。その後の「ジャーナリスト」と自称してゆくようになる自意識の兆候も含めて。


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事件記者/NHK連続ドラマ(昭和33年)/オープニング

 輪転機が忙しく回転し、社旗をはためかせて自動車で取材先に乗りつける、こういう映像の組み合わせの定型は、戦前の外国映画などから踏襲されてきた、ある意味世界共通のものだろうが、これらの映像の文法から喚起されていただろう「速度」と「現在」の組み合わせ――〈いま・ここ〉とはそのような「速度」で忙しく「動いている」ものであり、それこそが「時代」の「尖端」なのだ、といったイメージは、ちょうどこの高度経済成長の初期に、新聞記者に対するある種のパブリック・イメージとして輪郭が整ってゆく過程の表現でもあるだろう。この「事件記者」という表題にしても、同じ新聞記者ではあるけれども「事件」を追う社会部系の記者であることが当て込まれているわけで、忙しく「動いている」「時代」の「尖端」の「速度」と共に働きながら社会正義の実現に日々走り回る、そういう英雄像として彼らが意味づけられ始めていたことがわかる。*1
*2
 社会正義の体現者、といった自意識を、実際の新聞記者の現場が持ち始めるようになっていったことと、「トップ屋」と称された出版社系週刊誌ジャーナリズムの勃興と足並みを揃えて前景化していった、「取材」を旨としたルポ/ノンフィクション系の「ライター」の英雄化の過程とは、共に同じ高度経済成長期に起こっていたことだった。
*3

 そもそも、取材してものを書く、といった営みが仕事として成り立つのは、新聞記者や雑誌記者、いわゆるジャーナリストなら当たり前なようですが、しかしそれが徒手空拳の個人、フリーランスのなりわいとして継続的に、しかもある程度のボリュームを伴って「群れ」として可能になるためには、もちろんいくつかの前提条件が必要でした。(…) ルポライターやトップ屋といったもの言いはその少し前、60年代半ば頃に出現したと言われ、(…) 彼らの多くは、70年代の初めに週刊誌の契約記者などから、そのキャリアをスタートしました。高度成長が一段落しての第二次週刊誌ブームで、それまでとは別の出版社系の週刊誌が新たに市場参入、雑誌市場がさらに賑わいを見せていた時期です。彼ら「団塊」が流入するようになって初めて、それらフリーランスのメディア稼業が「群れ」としてのプレゼンスを示すようになったと言っていいでしょう。

 確かに、彼らの多くは無名の、いまどきなら「名無し」に等しい営みとして、時には自ら「行」を課すようなストイックさすら伴い「取材」に、「現場」に赴くこともありました。立場としては契約記者やライター、取材費が出るとは限らず、何か事故やトラブルがあっても裏付けも補償もない、そんな不安定な境遇のまま仕事を続けていたわけで、それでも何らかの使命感、それが社会的なものであれ私的なものであれ、自分の仕事に対する何らかの誇りや矜持を抱きつつの営みだったことは確かでしょう。

 70年代になって、高度経済成長の「豊かさ」が単に経済的な、統計的な水準だけの現実としてでなく、その成果が具体的な個々の生活の局面に、国民一般その他おおぜいにとってわかりやすい具体的なモノやコトを伴いながら浸透してゆく過程において、国内の矛盾や抑圧、貧困といった問題に光を当てることで、自分たちの体現する社会正義の内実を伴わせることができていた新聞記者やルポ/ノンフィクション系ライターたちは、その対象と共に自分たちのアイデンティティを支える社会正義もまた見失うことになった。

 確かに国内は「豊か」になった、でも国境の向こうにはまだ、少し前までの国内と同じような矛盾や抑圧、貧困はいくらでもあるじゃないか、そしてそれらはひとり勝手に「豊か」になったこのニッポンのもたらす影響を直接蒙っているのだ――概ねこのような理路と文法とで、彼らは国外に、主に「アジア」に問題を、自分たちの対象とアイデンティティの内実を見つけてゆくことに注力し始めていった。

 それは自分たちとは違う他人の、言わば「よそごと」の現実をダシに自分たちの正義の内実を埋めてゆこうとする、その限りで足もとを失った営みでもあったはずなのだが、しかしその「よそごと」としての「アジア」の多くは当時まだ、ニッポンの「豊かさ」からは遠い現実のまままどろんでいたし、だからこそ彼らの営みもまた、一定の効果を国内のメディア市場に対して果たした部分はあった。

 けれども、それから40年近くの時間をくぐり抜けるうちに、その「よそごと」だった「アジア」はどうなったか。冒頭、「なつかしい感じさえする」と言ったのは、その頃の彼らの芸風、当時と変わらぬ問題意識の持ちような対象の見つけ方、そしておそらくそれらを文章化し、商品としてゆく際の手癖や約束ごとといったところまでも含めてのことだ。
 で、〈いま・ここ〉の本邦のありよう、21世紀は2019年のこのニッポンのジャーナリズムのあり方として、これはどう考えたらいいのだろう、と。

 そう、まさにこういうこと。「あんまりですね」なのだ、素朴に言ってしまうならば。

 問題意識の持ちようも、取材対象のとらえ方も、そして書き方まとめ方も「変わらない」のだとしたら、そしてその「変わらない」ことを当のメディアの生産点に関わる人がたや彼ら彼女らの作っている「関係」や「場」は、もしかしたら何かある種の矜持や誇りの類と共に維持しているのかも知れないとしたら、*4 よろしい、もういっそそのままでいいから、その視線を〈いま・ここ〉のニッポンの側へ、「失われた30年」の間に半ば常態化してしまった「もうひとつの貧困」「あたらしい困窮」があちこちで露わになってあえいでいる国内の現在の方へと臆することなく、堂々と「復員」してもらいたいと思う。*5

*1:このようなヒーロー像はその後、さらに「ガードマン」といった形になり虚構化≒「おはなし」化が進んでゆくらしい。同じく社会正義を体現してゆくヒーロー像を宿した「おはなし」としての、いわゆる刑事ものや探偵ものといった方向とは少し別のかろやかさというか、「現実」に即した社会派的生真面目さから自由になる度合いが強くなってゆき、それと反比例するかのように、実際の新聞記者たちの間に先の「事件記者」的な社会正義の体現者といった自意識が当たり前に実装されていったフシがある。この「ガードマン」時代の虚構化≒「おはなし」化から、のちの「大都会」シリーズから「西部警察」(1970年代から80年代)へと至る石原プロ製作の一連の派手で荒唐無稽な作風までは、地続きと言ってもいいかもしれない。
「ザ・ガードマン」テーマ曲

*2:追記気味に。このへんはさらに展開しないといけないお題ではある。たとえば、こんなうっかりとんでもない指摘を足場にしながら。「東映の「捕物帖」の構造を考えてみるとよくわかります。まず初めに猟奇があって、事件があって、最後に正義がある――これが何かという、実に「新聞」なんです。「人殺し」という猟奇事件があるけど、それには深入りしないで、飽くまでも社説は「社会正義」である、と。」(もちろんこんなとんでもないことをうっかり指摘してしまってるのは当然、 “あの人” しかいない……)

*3:http://king-biscuit.hatenablog.com/entry/2010/12/16/000000king-biscuit.hatenablog.com

*4:本邦左翼/リベラル陣営の、その最もコアでこじれた界隈の見せる思想的「純粋さ」(≒彼らにとってはまた「正しさ」でもあるらしく)へのカルトめいた偏執ぶりからすると、そういう推測はおそらく当たらずとも遠からずかと。

*5: オルタナティヴな選択肢に入れるに足る野党が存在しないままであることの不幸についてもまた、同じくこのような意味での、現実と紐付かないもの言い任せに肥大し膨張しきったグローバリズムという「よそごと」からの堂々たる「復員」が求められているはず、だと思うのだが……