「報道」「ジャーナリズム」の退潮・メモ

実を言うと、「新聞社の本質的な強み」は、

1)大規模な印刷工場の保有
2)大規模な即日流通網
3)大規模広範囲な小売り(宅配)店の店舗網

にあって、取材や記事執筆は真似たり代えが利いたりよりよいものがいたりしても、このハードウェアだけは太刀打ちできなかった。
かつては。

新聞社の本質的な強みとは本来、「知性ある記者・編集者」が「取材やエビデンス」に基づき、「信用できる情報」を届けてくれることにあったはずだ。
はまさにそう。一方で… twitter.com/azukiglg/statu…
twitter.com/hirokazu926/status/1643387733715582977

これは、「放送局」も同じで、「番組を収録するスタジオ、収録機材、電波放送施設、電波中継網、(受信装置は別売)」というシステム全体をおいそれと模倣できなかった。電波は許認可ビジネスなので参入も難しかった。


が、インターネットの爆発的な普及で、「印刷が不要になった」「情報を配信する、流通させるハードウェアはインターネット上のインフラで代替できるようになった」ので、新聞社と放送局の強みは実は怪しくなってしまった。


では、「取材、記事執筆、映像制作は熟練者でなければ」っていうところで面目躍如すべきだったんだけど、既に御存知の通り「スマホと当人がいれば映像も写真も記事も書いて編集できて、何なら取材地からそのまま発信できる」ようになり、アマチュアのジャーナリスト、動画製作者が爆増した。


ここでも「放送、新聞の専門家のアドバンテージ」が意味を失い始めた。後は「長年勝ち取り続けてきた信頼」「記事の信憑性に裏打ちを与える」というところを拠り所とするしかなかったんだけど、「誰でも同じ題材を取材できる」に加えて「誰でも記事を顕彰でき、検証結果を再発信できる」ようにもなった


フェイクの検証とか、デマの裏取りとか、「新聞やテレビを賑わす【識者】の検証」とか、まあ野生のプロ、野良専門家、呼ばれてないほうの権威wが特に咎められることなく、番組が用意した台本と無関係に意見を発信するようになった。


そこにとびついて迂闊なことをやる(取材内容を改変するとか切り抜くとか)と、それもSNSで暴露されるようになってしまった。


今、商業的報道の最前線にいる20~40代くらいまでの記者は、古くは2ch、最近ならTwitterなどの洗礼を受けているはずなんだけど、受けていれば「迂闊なことをやればどうなるか分かっているはず」。そして、洗礼を受けなかった輩が「やらかしている」のでは?という気はせんでもないw


「かつての強み(ハードウェアと流通網の専有)」が強みでなくなりつつあるのは、まあインターネットやSNSスマホの普及の結果ではあるとは思うけど、挽回できるチャンスだった「内容の信頼性の担保」を怠ったのは、自業自得っちゃ自業自得。


一方で「昔に比べて今のジャーナリズムは劣化した」という批判があるが、そんなこたなくてw【昔のジャーナリズムだって、言うほど洗練されてなかったよ?】というのが実態なのでは、と思う。西山事件とかあったじゃろ?あれは氷山の一角だろ、と。あれを庇って称揚する人がいっぱいいるくらいで。


昔と今で違うのは、「記事を読者が検証し、検証した結果を読者が【再発進する】こと、再発進された検証結果を不特定多数の一般人が【拡散する】こと」ができるようになったか、どうか、だとは思う。


昔は、新聞や論壇誌の批判記事が載って、それに再反論が掲載されることがあったとしても、タイムラグは数週間か月刊誌なら二カ月はラグがあった(月刊誌の内容への反論が収録されるのは、編集・印刷工程の都合で翌月号ではなく翌々月号)。


でも今は、「朝出た記事の間違いが昼には指摘され、午後には広まって手が付けられなくなってる」とかザラ。検証する能力がある人(社外の部外者)が個人的に発信する能力を獲得していて、それを拡散する「ただの読者」がリレーするに足るだけの規模と(RTするw)能力を持っている。


結果、「記事の落ち度の検証が素早く出回るようになり、記者のアラが発見されやすくなった」、と。
また、読者が求める分野が幅広くなり、複数の分野に跨がって知識がないと正確に書けないような話が増えた。


例えば安全保障の話なら、「軍事」だけでなく「部品流通、形式、他国の国内事情、歴史的背景、文化的背景、経済、金融……」とかなり幅広く網羅できていないと、一面的な意見しか書けない。
そんで、ありとあらゆる記者がありとあらゆる分野を網羅できているかというと、それは物理的に無理。


たぶん、「最近の記者ができなくなった」じゃなくて、「昔の記者だってできてなかったけど、発覚しなかった」ってだけだとは思う。また、昔の読者は今ほどに多角的な情報を求めてなかった。読者が何を求めているかを知る機会が、昔の記者には「飲み屋で聞き耳立てる」くらいしかなかっただろうし。


じゃあ、記者がたくさん勉強すればいいのかというと、もちろん専門分野についてたくさん勉強ができている(質問するまでもなく分かっている)記者もいるだろうけど、これが複数分野に跨がるものとなってくると、記者が勉強する能力が追い付かない。


まあ、この「勉強する(データを幅広く学習する)」「獲得した幅広いデータを俯瞰対照する」とかっていうのはそれこそAIの得意分野で、「記者の情緒的な願望、哲学、正義、理想を記事に交えない」ことを求めるなら、【AIに任せたほうがええな】ってなるのは時間の問題だとは思う。


Opinionはさておくとしても、少なくともNewsには人間の記者はもう要求仕様を満たせないところまできてはいるので、新聞・放送各社はNewsには早めにAIを導入すべきだとは思う。OpinionはNewsを正確に踏まえることで導き出される展望になるけど、これも遠からず「個人的な願望の除外」は求められそう。


「私は正義。がんばる」とかやってる場合じゃねえぞ?って思うよ(´・ω・`)