くら寿司「炎上」事案から考える、いまどきの対「社会」意識


くら寿司バイト炎上。

 くら寿司(だけでもなくその他含めて)で昨今またぞろ続出してきたらしい、バカッターの件。*1

 「いたずら」なのにそれをそのままwebにあげてしまうあたりの対社会/世間or内輪感覚のいまどきがそもそもの問題なんだろう、と。自分のやんちゃなりバカなりをひけらかしたいのは若気の至りでわかるとしても、それを果たしてどっちに向いて誇示したいのか、という意識がそもそもそうなっちまっとるから、本来そんなものを見せる対象でもない雇い主までも容易にしゃしゃり出て対社会/世間向けな対処をしなければならんというワヤにもなるわけで。

 そもそもがバイト仲間の内輪で(゚∀゚)アヒャる「いたずら」だし、だから仮に「バレた」としてもそれはその店のバックヤードの範囲で粛々と対処すべきことで、だったらその場の店長なり何なり責任ある立場の者がシメてそれで終わりのはずが、どういうわけかいきなりwebを介して「社会」の間尺の事案になる/させられてしまうことの不自由。バイトばかりで店長なり何なり責任ある立場の管理者がいない。そんな状態で日々の仕事を回されているあたり、そんな職場にまず「現場」の枠組みなどあるわけがないし、その分いきなり「会社」に直結されている感。客もその店の客以外の世間一般、潜在的に客になり得る「消費者」一般までいきなり短絡直結して、それらがそのまま観客化するわけだから容易に「炎上」ということにもなるわけで。

 つまり、「現場」という枠組みがもう初手から煮崩れとるわけで、そういう意味ではいまやバイト仲間の内輪で(゚∀゚)アヒャるのにも、スマホとweb環境とが必要になっているらしい現状。予備軍含めたそれらバカッター連がSNSというツールの特性を理解していない、その程度のメディアリテラシーしか持ち合わせていないからそういうことになる、というのはひとまずその通りではあり、だから彼らをバカだDQNだヤンキーだと嘲り嗤うのもそれまたとりあえずの道理かも知れないが、だが、そんな彼らがいまどき本邦若い衆その他おおぜい的に見てとりわけのバカとも思えないのだ、実感として。特に昨今のこのスマホ&web環境常態化における意識のありようとして。

 スマホとwebの組み合わせの日常の中に「内輪」があると自明に感じるようになっているんだろうし、「ウケたい」心性もそういう「内輪」(≒実は「社会」に直結短絡した「観客」)に向かって全開放になっとる感。YouTuberその他のいまどきヒーローの自意識制御がけつまづいた事案もそろそろ出始めるような気がする。

 スマホとwebへの常時接続環境の普及は、それらの環境に身を置ける条件を手にした者全て老若男女門地出身出自来歴その他一切不問でwebを介した「情報」とそれらの形成する〈リアル〉の前に一律「消費者」となる/なれてしまう、そんないまどきの情報資本主義体制下の最終形態への一環としての、まさに「情報」の下の「平等」の実現。*2そりゃあそれらを使い回す機会は確かに「均等/平等」に開かれてはいるけれども、同時にそれらに対して「消費者」的受け身にしかなれないように日々横並びに馴らされもするわけで、結果的にある決まった方向、ないしは文脈でしかそれら「情報」を受け取らないし事実受け取れないようになるのが大方の流れ。そんな「消費者」的受け身に馴らされ、日々の生身の生活感覚から主体(性)が後退すれば、どれだけ多量で多様な「情報」にアクセスできる機会が開かれていても、それらを介して立ち上がる現実は一定のあらかじめ決められたかのようなものにしかなら/れないらしく。

 何度か触れてきた、大事なハナシは対面でなくLINEでする、といういまどき若い衆世代の感覚も、「内輪」の構築が生身等身大ベースである程度できるより先にスマホとweb介した環境に先廻りしてできあがっちまう情報環境ゆえの適応態なのかも知れん分「社会」と「個」の関係の静かな煮崩れ変貌期として。何でもかんでもいきなりうっかり「社会」に直結短絡されちまう環境。そこには関係や場からの紐付けなど全部すっ飛ばしたフリーダムな「観客」が常に待ち構えていて好き放題評判する。「現場」の仕切りや敷居がなくなった(という前提の)環境ばかりが前景化される日常。トーキョーエリジウム的環境の前提。*3

 だから、それら「観客」にタイムラグなしに対面するのと同じく、雇い主もまたいきなり企業レベルに直結短絡しちまうわけで。だからその「コンプライアンス」とやらもいきなり「社会」に、それも「観客」てんこ盛りなイメージのそれに対する話法&身振り制御に限定されちまうわけで。いずれ本来の「現場」は初手からお呼びじゃないまま事態はそんなエリジウム内で淡々と粛々となめらかに「処理」されてゆく。

 マスコミとかメディアとか称するからくりも、すでにかつての「報道」とは違うそういうエリジウム内の「処理」の過程を映し出す装置にしかなっていない感。「現場」(≒現実の〈リアル〉)とほぼ紐付かない「情報」の「処理」機関として。あるいは、いわゆるコンサル話法&身振りあたりもそのへんと地続き感なわけだし、おそらくあの「ポエム」系ことばやもの言いが猖獗を極めるようになったのも同じハコの過程かと。「情報」化した瞬間にそれらエリジウム的空間&環境に同期して淡々と「処理」の過程(≒お約束の定型プロトコル)に流し込まれてゆくばかり。

 と同時にまた、そんなのいまさらわざわざ論うことないよ、こうこうこうでいまどきの時代の流れなんだから、的な達観でことを収めてしまおうとする態度も珍しくもないけれども、しかしそれは本当に事態をつぶさに把握認識した上で、よりよい対処を見つけてゆこうとする上で好ましいものなのだろうか、という杓子定規な問いも、また。

 自分が足つけ紐付いとる現実、半径身の丈のそれをまず見定めて輪郭確かめておくこと、を自前で少しずつしてゆくより先に、スマホとwebな情報環境で「社会」や「世界」を脳みそ意識の銀幕に絢爛豪華に多様に24時間態勢でプロジェクションマッピングされちまうようなもんだわなあ。


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*1:「バカッター」というのもTwitterに対して失礼とか何とかの斜め上な能書きもスピンアウトw的に、でもう何が何やら……rocketnews24.com]

*2:そしてこのような本質的なコメントがうっかり飛び込んでくるのもTwitter空間なわけで……

*3:自分的に便利だから使うようになっとるし、内実についても使いながら整えてゆくしかないと思うとる「エリジウム」の比喩。その元ネタ「エリジウム」の予告篇はこちら。
エリジウム (字幕版)

*4:継続的にゆるゆると考えて続けているお題というかモティーフがらみなので、とりま関連しそうな過去のものなどもついでにこのへんかな、と。king-biscuit.hatenadiary.com king-biscuit.hatenadiary.com king-biscuit.hatenadiary.com