ニッポンのミライは……・メモ

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 1960年前後の某有名知識人の書いたものより。単純明快、ある意味すがすがしいほどに図式的な理解で「ニッポンのミライ」をウォウウォウウォウウォウと予見されておらすのであります。
 で、こちらはそれから約40年後、今から20年前の「ニッポンのミライ」(´・ω・)つ

モーニング娘。 『LOVEマシーン』 (MV)
 でもって、〈いま・ここ〉はどうなっとるかというと、たとえばこんな具合に「ニッポンのミライ」はさまざまな詐……あ、いや、それぞれにマジメに真摯に将来を憂えている人がたによって、旺盛なビジネス意欲、活発な生存戦略によって自由自在に好き放題にweb介して日々、ひとまず選び放題でめでたく拡散されとるようでありまして。「未来」「将来」の語られ方にもまた、当然「歴史」は介在してくるわなぁ、と。
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 ただ、昨今のようにポリコレ準拠なフィルタリング施された環境に慣れてしまうと、意識の側にもそういうフィルタリングがかかるらしくて、現実にキ●ガイを眼前に見ても見えんようになったりするらしく。「ココロに障害を持った人」とかポリコレ準拠のもの言いだと日常話しことばとして咄嗟にゃ出てこんわけで。だからそういう存在自体が認識できない/しない仕組みがもうすでにわれらの大方の意識の裡にできちまってるような気もする。生身の現実のみならず、web環境においても。いや、web環境だからこそなおのこと、その意識を遮断した上でそのキチ●イの言うことや立ち居振る舞いについてもひとまず「平等」に「公平」にうっかり耳傾けてしまう、という選択的集中のような効果もあるようにも思える。「情報商材」とか何とかでひと儲けしようと頑張っとらすような界隈があれだけ胡散臭いにも関わらず、跡を絶たないというあたりの理由の一環としても、また。

 いわゆる「草食化」ってのもそういう脈絡でのいまどき情報環境に対する「適応」の現われだったりするのかも知れない。ここ20年ほどの間、「合理化」や「生産性の向上」といった題目で実現させられてきたことはある意味、日常のTSUTAYA化≒〈おんな・こども〉(的意識や感覚に準拠した) 快適性の向上、だったのではないか、とかいろいろと。

*1:ソ連と中国が「ニッポンのミライ」の選択肢として厳然としてあり得た(ように思えた)時代というのは、案外そうとんでもない昔でもなかったりするわけで。