レジと民度・メモ

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 終始無言で威圧的でお釣りやレシートを奪う様に取って去っていく客が本当に多くてびっくりする。店員って人間だよ?? 日本人の民度ってここまで低いのかよって日々げんなりしてる。別に無言でも良いんだよ。ぺこっと会釈したり問いかけに身振り手振りで答えたりしてくれる人はちっとも嫌な感じしないし。ただ、上記の態度は人として最低限のラインだよね。


 レジ打つ前に「お願いします」。ポイントカード持ってますかとかの店員の問いかけに「ないです」とかってちゃんと答える。最後お釣り渡されたら「ありがとうございます」。こんな極当たり前の事を出来る人って客の1割くらいしかいないんだよね。


 別に店員を敬えなんて思ってないけどさ。人として接する時の最低限のマナーってあるじゃない。レジ打ちに限らず対店員になった時にその最低限のマナーが崩壊する日本人ってきっとものすごく多いんだろうね。店員は人間だから、日本国民全員店員への態度を改めるべきだよ。

 まぁ、そのうちに、ほとんどがセルフレジになるだろうけどなぁ。

 そんなものです。というのも、その状況は私が(実体験から)知る限り30年前と変わってないから……(本当はもっと前からでしょうね)。そしてそれは地域と服装で一定のパターンがあるみたいです(もちろん、例外多数)。なので働く地域を変えると改善すること多し(根本的には解決しないけど)。

 お疲れ様です。私もレジしている者です。イヤホンしたままマスクしたまま小声で注文する人も多いですね。店員が間違ったら面倒くさそうに首を振る。なにを要求しているか、最低限のコミュニケーション取らないと。キミのアタマの中が私に見えると思うのか? と思いますよ😥

 レジの人ってどこに行っても接遇に差がない。他の店員さんがアレでもレジの人接客、悪口あまり聞かない。

*1:コンビニの普及によって、レジ係が対面で向き合う局面が日常的になったこともあるのだろう、接客という意味でのレジ係の立ち居振る舞いが、実際にその仕事にあたっている側からの目線や証言も含めて、世間一般その他おおぜいの意識の銀幕に投映されることが増えてきたと思う。そのひとつの例としても。

社会のしくみ

https://twitter.com/karamazov012/status/1216328098565640193

そしてその「特権階級」になるには、できれば旧帝大、最低でもマー関や国立大に入るのが一番の最短ルートなんすよね。まあそっから就活を戦い抜かないといけないんですけど。。。— カラマゾフ (@karamazov012) 2020年1月12日

ちなみに、「Fランでも人間性があれば大企業に!」みたいなの、
大企業という「体制側・権力側」に取り入る過程において、「Fランでも人間性!」みたいな「反体制・無頼」を気取ってる時点でかなりズレてるとも思う。大企業という王道をいきたいなら学歴という王道をきわめないと。

だけど、社会全体でみたら、大企業正社員や公務員も上級国民や特権階級ではなくて、こっちも割と捨て駒に近くて、将棋の駒の歩がバイトや派遣なら、公務員や大企業正社員は香車でしかないというね。ホンマの特権階級の金や銀は歩の立ち位置からは、姿さえ見せない。

「誤射」にまつわる記憶・メモ

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news.yahoo.co.jp

 開戦前とかに、空襲に備えて即時発砲状態で待機してる時に、防空演習とかかかったり、索敵評定射撃の手順を確認しようとしたら、テンパってるもんだから安全装置かけるの忘れたり弾抜くの忘れて、実際に射撃してしまう砲座が結構あったらしい。


 彼の担当は、目視照準で発砲までが至極簡易な高射機関砲だったらしいけど、戦闘を間近に感じると普段では考えられない事をやってしまうとか。手順が複雑で、二重三重にセーフティかかってる地対空ミサイルシステムも、そんな緊張とミスの連続でシュートしちゃうのかもね。性能悪ければ外れたのに。


 彼から聞いた話で、ほほーと思ったのがもう一つ。開戦直後に空爆されるバグダッドで、曳光弾がバンバン飛んでく映像見たことあると思うけど、あれ士気を上げるのと市民向けのプロパガンダ、そんで米軍への威嚇の目的で曳光弾の割合マシマシだったとか。開戦から数日経って、曳光弾が少なくなってる映像で、解説が反撃が衰えてると言ってたけど、彼が言うには空襲慣れして、標的が見つからない時は発砲を控えるようになったのと、曳光弾の在庫が切れてしまったからだとか。中小口径火器は弾が見えないだけで、開戦直後並の射撃可能だったと胸張ってた。


 片言の日本語と英語と筆談とかでの会話だったけど、そんな感じで。彼は実際に米軍機を目にすることなく、巡航ミサイルが飛んでくのを数度見ただけだけだったって。んでも、未だに千歳基地直近の職場でF15の爆音聴くと首がすくむらしい。


 と、10年ぐらい前に聞いた昔話でした。

*1:「戦争」「戦場」の〈リアル〉という、ある意味われらポンニチの日常から最も懸隔のある現場のことばについての素朴なメモ。

*2:イラクで、地対空ミサイルがウクライナの旅客機を「誤射」した事件があり、それにまつわるtweetではあった。

氷河期ロスジェネの「不人情」について


 氷河期ロスジェネ世代の「勝ち組」のネオリベ原理主義的になってゆくのって、熾烈な競争に生き残ってきた経験からくる身の守り方ではあるんだとおも。殊に学歴その他で優越性持ってたりした分、なんでこの自分がこんな目に……的鬱屈は傍目よりずっと発酵して拗れとる可能性が高いような気がする。

 一般的な労働者とは意味も文脈もまた違うんだろうが、大綱化以降のポスドク野良博士で非常勤渡世や任期付き縛りをくぐりぬけて何とか片隅のポストにありついたような人がたの発想や身のこなしなどを見とると、そういう当人がたのおそらく自覚していない「闇」の深さを切実に感じることは多い。

 「連帯」とか「共助」とか、いずれそういうものが必要な局面でも、そういう人がたは腰が上がりにくい。いわゆる冷笑的ならまだしも、それらと逆の動きを平然として臆面無く保身に走ったりする。それに対して旧来のリクツや倫理道徳義理人情系もの言いで説得しようとすることはほぼ無意味で無力らしい。

 保身やわが身の安全が最優先でやってこざるを得なかった(らしい)分、自分のいる環境を少しはマシにしてゆく、とかそういう方向への営みに自分のリソースを割くことの意味や価値、さらにはその中長期的な得失や損得も(゚Д゚)ハァ?でしかないらしく。「中長期」というターム自体が(゚⊿゚)シラネに。

 「その日暮らし」の視野狭窄が常態になっとるようなところがある、かつてとは違う意味で。そんな状況で「労働組合」だの何だの、維持してゆけるはずもないわなぁ、と。

 「おたくの不人情」ってのはずっと昔から指摘してきとるけれども、昨今のこういう「不人情」(ととりあえず言うとく)はまた別の背景、異なる内実に支えられてのもの、という気がする。

多様な人生行路・雑感

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 本邦の4年制大学が少し前、ある時期までうっかり担保していたような「自由」という名の「ムダ」の意義について、われわれはもうちょっと本気出してことばにしておかねばならないのだろう、と本気で思っている。

 さよう、それは確かに「ムダ」であった。何かひとつの確実なゴールに向って一意専心、まっしぐらに積み重ね、進んでゆくようなものでは、まずなかった。効率的でも合理的でもなければ、日々是精進の脇目も振らぬぶれなさでもなかった。とりあえずやらねばならないこと、というのはあったし、それはそれで「こなして」ゆくくらいならそう大した苦労もなかった分、その残った部分、余ったリソースを好き勝手に〈それ以外〉に配分してゆくことができたし、またそういう「ムダ」こそがそれまでの「学校」と違う、「大学」ならではの「自由」という風に感じられていた。

 とは言え、昨今の若い衆世代にとってそれは敢えて尊重すべきものとも思えなくなっているフシがあり、それはこちらが想像するよりも強く、言わずもがなの前提になっているように見える。そんな期間限定の「自由」などよりも、先行きの保証を。確実に食ってゆけて生き延びられるための何らかの後ろ楯をよこせ、という無言の同時代気分。それがどんなに根拠のない「資格」や「免許」であっても、あるいはその場しのぎの美辞麗句で煽られるだけのコンサル系話法の釣りであつても、すでに日常からある程度あたりまえと感じられるくらいに享受してきている「自由」のことさらの称揚などより、自分がこの先生きてゆく上で確かなもの、と思えるのは致し方ないところがある。

 大学のそのような「自由」が、その後の人生でもかけがえのない原点として、あるいは準拠枠として保持してゆけたのは、ならばいつ頃までだったろうか。あるいは、どのような人生行路であれば、それが幸せにも信心抱けたままで実際に生きてゆけ得たものなのだろうか。

 「教養」と言おうが何しようが、それはすでに具体的な実利、確かに「役に立った」と自らしみじみと身にしみることのできるようなものとして、〈いま・ここ〉の若い衆世代に説得し、実感してもらえるような言葉やもの言いを獲得できないままでは、それらはこれまで以上に空虚な、年寄り世代のお題目としか世の中に響いてゆけなくなってゆくことは確実だろう。

 まず何よりも、「転職」がすでにあたりまえな人生体験、ほとんど誰もがくぐるイベントになってしまっていること。それも30代にさしかかる前に概ねそうなっているということ。このあたりの現実を穏当に織り込めないことには、「キャリア形成」だの「人生設計」だののもの言いは身につかないコピーの水準のままでしかない。それは違い言い方をすれば、「学校」を「学歴」の積み上げの段階から抜け出してなお、労働力としての「市場」的な世界に放り込まれ続けることに他ならない。常にそのようなものさしで比べられ、「評価」され、それによって他でもない自分の暮らしもまた振り回され続ける、そういう種類の「永遠に続くかのように思える安心立命のなさ」が、いまどき30代以下の若い衆世代には鈍く共有されているらしい。巷間言われる「氷河期ロスジェネ」世代の困窮などは、そのような「安心立命レス」の生活感覚が世代横並びにいきなり来襲した最初の衝撃に端を発したもので、そのファースト・インパクトがその後の世代にまでずっと波及、浸透している。そのような意味での「世代」差、「格差」の存在は、ずっと言い続けている「公」「公共」の後退などにも当然、連なっている眼前の事象ではあるはずだ。

 

*1:大学の意味が本当にかつてと様変わりしてしまっていることを、世間一般その他おおぜいの側がアップデートして・できていない問題、ここでも。

「非モテ」「インセル」「ナード」の聖戦

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 「非モテ」「インセル」「恋愛工学生」etc.たる俺たちナードは、元マッチョどもしか味わえなかった「恋愛」「結婚」を自分達の手に取り戻すために各自戦っている最中だと認めて欲しいのだ。「〜〜〜だからモテない」のではなくて「モテないから〜〜〜」なのだ。一番はじめのスクールカーストに合理性なんてないでしょう?被差別階級男性はつらいんだよ。

 モテる/モテない、という、そもそも「ただそれだけのこと」だったはずのことが、うっかりと知らぬ間にいきなりしちめんどくさいハナシにつながってしまうのもまた、いまどきの情報環境というか言語空間の特性かも知れないのだが、それにしてもおまえら、なんでもかんでもどうしてそう「自己分析」方向にだけものごとをこじらせてゆくようになっとるんだ、と。

 「インセル」ってなにそれ、という向きにとりあえず以下、wikiの定義から。

 インセル(英語: incel)は、"involuntary celibate"(「不本意の禁欲主義者」、「非自発的独身者」)の2語を組合せた混成語である。望んでいるにも拘わらず、恋愛やセックスのパートナーを持つことができず、自身に性的な経験がない原因は対象である相手の側にあると考えるインターネット上のサブカル系コミュニティのメンバーを指す。また、そのような状況下にあることを彼らの間では「インセルダム(inceldom)」とも言う。

 「ミソジニー」とかもそうだが (未だにようわからんし手に合わん……)、いわゆるフェミニズムジェンダースタディ系由来とおぼしきそういうカタカナ術語がどんどん流れ込んできて、それらの界隈でだけ問いや事案が取り沙汰されてゆくことで、「そもそもそんなに大層な問題だったの?」という素朴な観点はすでにとっくにどこかへ追いやられてしまい、残るはお約束の手癖と習い性とでもっともらしく本質の表層をなで回してゆくことだけがそれこそ笑い猫のように延々残ってゆくというワヤが末路。

 仮に「異性の恋人」を獲得できたとしても、ナード達の歪んだ認知はそう簡単には治らない。それこそ「女性をモノ扱いする」って言われるヤツでしょう。みんなウディ・アレンの「アニー・ホール」でも観るんだ。だからさ、もう論争するんじゃなくて社会問題、それも福祉の問題として見るべきだと思うのですよ、「非モテ」「インセル」「ナード」。

 異性(じゃなくてもいいが)に「モテる/モテない」ということが、本当にその英語圏彼の地で、ぶっちゃけ北米アメリカ社会で問題化されていることと対応しているのかどうか、本邦日本語母語でのその「モテる/モテない」というもの言いが彼の地のその問いの内実にどれくらいうまく対応できているものかどうか、そのあたりの自省や留保がこれらの「議論」においては、どんな立場をとるにせよあらかじめ欠落させられているようで、自分などはまずそこがものすごく違和感であり、敢えて他人事として言うなら「どっちにしても、そりゃ救われんなぁ」という感慨になってしまう。

 たとえば、「モテモテおじさん」という、加藤芳郎の半世紀以上も昔の秀作があった。そこにおける「モテ」とは、見てもらえばわかるようにその主人公たる「モテモテおじさん」の造型もキャラクターも、たとえ当時としても「ありえない」想定が前提になっていたけれども、不特定多数のオンナ衆にとにかく好かれる、追いかけられる、勝手に愛を打ち明けられる、一方的につけまわされる、とにかく当人にとってははなはだ「迷惑」でしかなくなってしまうというその「モテ」の難儀を一貫して描き続けていたあたりの「理由」や「背景」というのは、今となってはそう簡単にわかったつもりになれるような領域のことでもなくなっているように思う。*2 
お定まりな泥棒ヒゲを生やした短髪むっくりの中年(当時としても、だ)がどうしてそんなに「モテる」のか。その秘密は最後まで明かされることもなく、当時の若い衆世代に現われ始めた「プレイボーイ」の類型 *3 からも「そんなんじゃない」と迷惑そうに逃げ回り、確か最後には当の主人公自身、不条理な失踪をとげてしまうのが結末だったように記憶する。

 「インセル」と自らを規定してしまうことを、そのようなカタカナ術語で性急に自身を囲い込んでしまう習い性自身をまず立ち止まってみること、そうでないといつまでたってもそりゃフェミ系出自の笑い猫な言語空間に幽閉されて消耗してゆくしかないだろう。少なくとも、日本語環境の内側からそのような難儀を自らふりほどいてゆきたいと思うならば。何かうまく説明できてしまうような、一瞬「あ、そういうことなんだ」と閃いて感じてしまうような、そういう「わかり方」こそがもしかしたら自分たちの〈いま・ここ〉の不自由や鬱屈を持続可能wなものにしてしまっている源泉かも知れない、と思い直せるかどうか。*4
king-biscuit.hatenablog.com
 不特定多数のオンナ衆に好意を持たれ、興味関心向けられることが「モテる」なのか。たとえひとりやふたりであっても、この自分自身の実存(このもの言いもそろそろアップデートかけとかんとまずいんだが)を十全に受け止めてくれる関係が持てるような存在がいれば、それもまた同じ「モテる」ということになるのか。自分から好意を持って働きかけることと、そのような「モテる」との関係はどのように折り合いをつけてゆけるのか。働きかけた結果、それが失敗した地点から、報われなかったそのような働きかけに対する悔恨や自責の念の裏返しの事態が、過剰な理想としての「モテ」として一気に輪郭をあらわにしてゆくようなからくりはすでに実装されていないか。

 単に「失恋」でこれまでは片づけられてきた、そしておそらく今もそれで始末してしまってとりあえず構わないような「生きてりゃよくあること」が、「インセル」や「非モテ」やいずれそのような目新しい術語でベタベタ装飾されることで特別な体験になってしまう不幸。そこからは「関係」をつむいでゆくことで相手も自分もまた「変わってゆく」可能性を常にはらんでいるということや、そのような過程をひとまず信じて「働きかける」ということへ踏み出すことさえ、自らしないようになってしまう自縄自縛が待ち受けている。そしてそのような自縄自縛は、あっさりと「めんどくさい人」というくくられ方で片づけられ「処理」されてゆくもまた必定なわけで。
king-biscuit.hatenadiary.com
 「モテ」とは「マッチョ」で「スクールカースト上位層」で、それに対する自分たち「非モテ」は「ナード」で「インセル」で「スクールカースト階層」で、という囲い込み方の手癖からすでにそのような自縄自縛は期せずして露わになっている。そしてそれは、そろそろもう社会の敵と認定され始めてきているあの本邦フェミニズム界隈の症状と基本的に同じだったりするのはさて、どこまで自覚されているのだろう。
king-biscuit.hatenadiary.com

*1:倭フェミに対する抵抗や批判、反論の類の足場として近年、割とはっきりと表明されるようになってきたある種の開き直りめいたマニフェストの話法。これらにももちろん来歴はあるし、たとえば「おたく」第一世代以来の被害者意識と「選ばれし者」意識のないまぜになった自意識のありようなどと地続きの現象のように見えるあたりも含めて。

*2:加藤芳郎の「作風」の脈絡において理解しようとしないことには、この作品の特異性というか、当時の世相や社会状況においてどのように読まれ得たものか、といったあたりの十全なわかり方には届かないとは思う。たとえばこの主人公、まつげがはっきりとある意味と共になにげに強調されていたりするし、「キャッ」と嬌声をあげたりもするわけで、まあ、このあたりはまた別の機会にでも。

*3:あの野坂昭如も世に出てきた当初はその類型を自らなぞってみせるようなキャラクターだった、当時の勃興期マス・メディアの舞台における立ち居振る舞いとしては。

*4:かつて盛んに言われるようになっていた時期もある「恐妻」といったもの言いの来歴や変遷について考えてみようとすることもまた、そのようないまどきの不自由や鬱屈を違う方向からほどいてゆく可能性を見つけてゆくことにつながってゆくのだと思う。

僕の中の「ウエマツ」

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 僕は臨床心理士の資格を持って障害者支援施設(入所)に入職しました。重度から最重度の方がほとんどだったので津久井やまゆり園とほぼ同じような施設です。最初は利用者さんの暮らしを守る仕事も十分臨床的だ、そう思って働いていました。しかしすぐに違和感はやってきました。


① 環境がまるでなってない
 利用者さんが過ごすリビングのような場所にお菓子を収納してるので、お菓子を要求する利用者さんに引き摺り回されたり、お菓子を出す日に決まって不穏になる。別の場所で職員がお皿に入れて運んでは?と提案したら「自分で選びたいだろ、利用者さんにも人権がある」と。


② 適切な行動を教えられない
 不適切な行動を適切な行動に置き換える関わりを提案したら「君は成人に教育や訓練をするのか?人権侵害だ」とか「飴と鞭で調教する気か?(応用行動分析を指してます)」と言われる。


③ 不適切な行動がさらなる不適切な行動を誘発する
 拘束や体罰は虐待になる反面、力ずくで要求を通す事を覚えた(そして他の平和的な手段を知らない)利用者さんは力ずくでやってくる。職員は受け止めるしかないが、場合によってはかなりの実力行使をしないと双方の安全が守れない。


④ 気付けば職員が不適切な人材として評価される
 そうこうしてるうちに職員も人間なので病み始める。何かがプツっと切れた職員から「もう知った事か」と実力行使を始めるが、他の職員が虐待だと自治体に通告する。職場の人間関係でマウント取るために"後ろから撃つ"奴も出てくる。


⑤ 気づくと脳がバグっている
 一生懸命頑張っているのに気づくと上司に呼ばれて如何に自分が不適切な事をしているか責められる。気付くと利用者さんへの恨みが芽生えている。「こいつが余計な事するから」でも適切な行動を教えるのは人権侵害らしい。


⑥ 利用者さんから人間らしさが消える
 そうこうしてる内に職員は病み疲弊し辞めていき、利用者さんは高齢化も手伝って出来ない事が増えていく。いや不適切な行動は新規で学習するので、適切な支援が出来ていなかった。僕は人間を人間らしくない何かにするためにいるんじゃない。


⑦ 救いは仲間
 僕が完全におかしくならなかったのは、多少不謹慎ではあるものの、あらゆる事を笑いに変えて割り切って仕事が出来る同僚がいたから。クソ真面目に仕事していたら僕は檻の中にいたかもしれない。


⑧ それでも人が壊れていく
 医療ケアが必要になり、手術の頻度が増えていく。「それ必要?」って手術を施設長と看護師が勝手に決めて行う。家族はNOは言わない。利用者さんの自己決定はゼロだ。結果、一人寝たきりになった。そして同じ手術をまた別の人にやってまた寝たきり。何人壊せば気が済む。


⑨ 職員も壊れるか割り切るか
 ここまで現場が泥沼化したら職員が適応するには一つしかない「割り切る」。しかし人間はそこまで器用ではない。真面目な人ほど変な沼にハマる。"変な沼"なので自己弁護が出来ずに完全な悪者になる職員もいる。


⑩ こうして至る「障害者は不幸しか生まない」論
 ここまでズタボロにされた職員が「植松思想」に至るのはごく自然な事で「植松思想」は彼のものというより構造的なものでしょう。


終わりに①そして僕は辞めた
 僕も虐待の疑惑をかけられ市役所の人間に取り調べを受けた事もあります。僕が幸運だったのは、適切に自己弁護出来た事です。役所の人間も「◯◯しただろう」としつこく迫るので言語化能力が低いと冤罪くらいます。僕はここで辞めました。本気で危ないと感じました。


終わりに②そんな福祉の運営層は他人顔か被害者面
 やまゆり園でもそうですが、こんな構造を作り出しておいて、運営側はその自覚は無く他人顔か被害者面をしています。僕は滅多に人格を否定するようなクソとかカスという言葉は使いませんが、福祉を回している層には「おぞましい」としか言えません。


最後
 今の僕は療育という障害のある子ども相手の仕事をしていますが、子どもは伸びます。いや人は適切な環境と関わりがあれば伸びるんです。今の仕事では力ずくで何かしたり叱る必要すらありません。だって出来る事がどんどん増えるから。

 いわゆる戦後民主主義的な、「人権」思想を「個人」の「自由」が自明の価値として下支えしている状態が日常の生活言語の水準も含めた言語空間として共有されるようになってしまった環境において、広義の「教育」「支援」系サービスを業務とする現場がどのように追い詰められて構造的に病んでゆくのか、ということについての、ひとつの証言であるのだと思う。

 サービスをされる客体とサービスを提供する主体の関係だけでなく、その提供する主体の側の職場としての相互関係も共に、それら戦後民主主義的な言語空間に構造的に浸食されてしまっていること。それがここでの証言のような病み方、追い詰められ方を駆動していってるのだと思うが、しかしそのことをその場に属する主体の側からことばにしたりほぐしたりしてゆくことはまずできない。互いに同じ「人間」であり、その限りで「自由」な「個人」であるという前提は自明に強固であり、なのにその前提に首根っこおさえられたまま、職場の上下関係、指示命令系統を動かしてゆかねばならないという相反する論理の葛藤が常態化する。指示する方もされる方も、共に同じ「個人」であり、関係をつむいでゆく際に使われる言葉やもの言いもまた、それらの前提の上にしか成り立たなくなっているらしいから、言葉本来の意味での「関係」も、その上に成り立ち得るはずの「場」もまた、当然風通しのよいものにならない。具体的にヘンだと思ったことを改善しようとしても、それらを問題として具体的に認識する言葉やもの言いはすでにそこには立ち上がらないまま、あらかじめ事態を大文字で隠蔽してゆくような「人権」思想に代表される戦後民主主義的な話法・文法だけが、主体の制御を外れたところで半ば自動装置のように動いてゆくだけ。

 そりゃ病むし、健康な生身の関わる場になろうはずがない。俗にブラック環境などと呼ばれる事態にしても、ごくおおざっぱに言えばどこかでこのような構造的な病み方を招来する意味で、人が日々生活せざるを得ない環境のありようとしては共通しているのだろうと思う。そして、別のところでも何度か触れてきているはずのあの「接客」というもの言いが肥大していった過程と、このような「サービス」という認識のされ方をする仕事のありようが知らぬ間にどんどん拡張されていった経緯とは、やはり大きく言えば同じ大きな同時代のからくりのもとにあるはずだ。

 障害者であれ高齢者であれ、はたまた子どもであれ生徒学生であれ、いずれ何らかの「支援」なり「教育」なりといったモードで関わってゆかざるを得ないような対象≒客体を、どのような存在として認識してゆくのか、そのためのツールとしての言葉やもの言い自体がすでにそれら客体を個別具体として把握し、その上で具体的な関わり方を選択してゆくために役立つようになっていない上に、同じ言葉やもの言いがそれら関わってゆかねばならないこちら側≒主体もまた等しく、同じ言語空間に閉塞されてしまっている。共に生身の「個」であるような実存を見失ったまま、それら言語空間の自動的な駆動に従属するしかなくなっている不自由が、いまどきの「サービス」なり「接客」なりの切羽に最も深刻な重圧と共に現前している。*2

*1:ひとつの事例であるけれども、確かに〈いま・ここ〉眼前の事実であり、期せずして何が本質的な問題なのかをうっかりあぶり出してくれてもいる断片というか挿話。

*2:「民主主義」がどのように言語空間を浸食し、それらが日常までを規定し、結果として主体も客体も共に平等に闊達な生身のありようから疎外され続けているこの構造自体が問題ではあるのだが……