メンヘラの親・メモ

 サブカルチャー系メンヘラの親ってほぼ例外なくメンヘラの親だよ。
 あれはメンヘラの親というカテゴリしかない分類されていない何かで、他に適当な名称がない。


 マンガの悪い親みたいに虐待したりするわけでもないし、貧乏でもない(むしろ所得や学歴や社会的地位は並以上)。でも社会性が弱い


 ツイッタージェンダー系の論争に熱くなってる人達とメンヘラの親はかなりの程度、被る。
 学歴職歴は並以上、常識もあり理屈も話せるという点では知性に恵まれている。でも、なんか伝達や言語情報の受け止めに難がある。周りに流される傾向と独善的な性質を併せ持つ。交渉力が無いが押し付けがましい


 今って、恋愛や結婚のハードルが上がっていて、お金があろうがあの手の社会性に難がある人は子供をつくることが難しくなっている。メンヘラカルチャーっぽい外見の何かは残るけど、支え手はヤンキーカルチャーをやっていたような層に移っていって変質すると思う。何なら既に変質しつつある。

情報環境とリテラシー、そして異文化としての歴史

 広い意味でのいわゆる「リテラシー」の時代差、世代差と、情報環境の違いとの関係によって、否応なしに生まれてきていたはずの「読み方/読まれ方」の違いについて。それが概ね自覚的に対象化されにくいままだったらしいこと、なども含めて。

 過去というのは、そういうたてつけも含めて、現在に対して常に「異物」であり、敢えて先廻りして言えば「異文化」としての位相をはらみながら、そうして初めて〈いま・ここ〉に宿るもの、だったりするらしい。

 そういう意味で、人文社会系の営みにおいての「正しさ」「正解」などは、常に更新かけられ「修正」されつつ「そういうもの」化してゆく過程の裡にしか、もしもあり得るとしてもそのようにしかあり得ないもの、だと思う。

 「異文化」という枠組みは、その「文化」というたてつけが「発見」されることと裏表の事象だったりするわけだが、そもそものところ、その「文化」は自らの裡、自分たちの日々の立ち居振る舞いやものの見方、考え方などの中に発見されるよりも先に、それらが自分たちとは明らかに異なる様相を呈している対象において、先に見つけられたものではなかったか。

 「異物」がまずありき。「異なるもの」があって、認識されて、初めてそれが自分たちの裡にもあるものらしい、ことに気づいてゆく――それは人類学的な認識のあり方の「はじめの一歩」として教科書的にも記述されているようなものだろうが、ただ、それは同時に、自明に「自分たち」の範疇にあるはずの「歴史的過去」についても、同じように「異なるもの」を発見してゆく過程にも該当するものだろうか。

 違う角度から言えば、「歴史的過去」が「異なるもの」として「発見」されてゆくためには、もしかしたら同時代的な地平、それこそ共時的な軸においての「異物」が見出されるよりも、ずっと難しいことだったのではないか。

 「歴史的過去」は、おそらく常に「自分(たち)」の側にある。自分(たち)というアイデンティティと共に、「歴史」はおだやかに整えられて存在している。時代がくだり、あの「科学」という認識枠組みがそれを可能にするさまざまな技法と共に発見され、それらが新たなツールとしておだやかだった「歴史的過去」に対しても無慈悲に適用されるようになってから、「歴史」もまた、「自分(たち)」からかけ離れた現実、「異なるもの」としての相貌を鋭く見せる局面が増えてきたのではないか。

 「異文化」としての「歴史的過去」という認識は、そのような意味で、おそらく相当に耳ざわりで違和感をかき立てるものになるのだろう。

「大学」という場への不信感の増幅

 いまさら改めて言うまでもなく、そして殊にウクライナの一件が勃発してこのかた、本邦国内的な情勢の変化の一環としても、人文(社会)系の「学問」に対する不信感、違和感が世間一般の間にも強く抱かれるようになっていて、それはひいてはそれら「学問」の宿る場としてあってきたはずの「大学」への信頼感が、それらの中に棲息している人がたに対するそれごと、不可逆的に大きく減退していることでもあるんだろう。

 ただ、それがさて、果してどれだけ本質的で致命的ですらあるらしい危機なのか、当事者であるはずの中の人がたほど、それらの本質的な部分に対して鈍感に見えるのは、果してなんでなんだろう。

 たとえば、自分が現に「大学生」である、あるいはそうであって不思議ない年代・世代の若い衆や、これから社会に出て生きてゆかねばならない10代以下も含めて、そういう年回り、そういう立ち位置にある人がたの間の「学問」感、「大学」感が大きく毀損されていることの危うさが、未だ大文字の能書きの水準でしか言語化されていない印象なのだ。

 さらに別のたとえばとして、コロナ禍このかた、遠隔授業が当たり前になって、具体的な「場」としての「大学」が否応なしに形骸化させられていることが、それら「学問」「大学」に対して抱かれてきたイメージにも大きな影響を与えていて、そしてそれは今後簡単に修復できなくなっているらしいこと、など。

 自分はそういう意味での「大学」に、振り返ってみても実はそれほど実際的な恩恵を受けてきていないみたいなんだが、それでも、あるいはだからこそ、「学問」がそういう「場」としての「大学」と不即不離の関係で成り立っていたことに対する信心みたいなものは、人より強くあるらしい。

 私大の学部と院を底辺人文系で過ごし、30歳で当時の国立大の隅っこに職を得て、その後10年足らずで思うところあって辞して野良暮しを10年ほどした後、再度ご当地例の大学に、というワヤな経歴だから、偉そうに「場」としての「大学」だの「学問」だのどうこう言える分際でもないのは十分自覚しとるが。

 裁判の行方は、勝敗別にして未だ不透明だし、「懲戒解雇」無効と復職訴えているものの、すでにフルタイム定年期日を過ぎ、特任保証の年限もあと2年を切っとる以上、遅滞戦術とられたら最終的な判決出ても実質「大学」に戻ることができない可能性は少なくない、それもそろそろ覚悟はし始めているが。

 地方の零細私大、巷間言われる「Fラン」とは少し違うご当地地元文脈の意味でもすでにワヤだった「大学」としての内実が、ここにきてさらに最終的な破綻に向けて取り返しのつかない地点をとうに過ぎたように見える、そんな「大学」であっても、まだ「場」としての失地回復は夢見ておきたいもので、な。

 どこか新たに大学その他に職を求める気持ちはないのですか、的なこと言われる機会もたまにあれど、「懲戒解雇」で裁判係争中の凶状持ちが、公募であれ何であれ手を挙げたところで門前払いが当然で、加えてそれ以前の経歴からして「なかったことにされる」身の上渡世だったからさらに言わずもがな。非常勤とかは?とおっしゃる向きも、おそらく善意であったりするが、ご当地に本格的に腰落ち着けるようになって15年ほど、ひとつも非常勤やっておらず、そもそも声すらかけられていない「ヨゴレ」がこの歳になってどうやって、という説明を、まあ、あたりさわりなくしておくしかなく。

 研究室その他に「拉致」されたままの資料・古書の類も、2年間触れられぬままなわけで、どうやら人文系不毛(らしい)のご当地では図書館その他でまず手に取れないようなわけのわからん雑書が大方な分、日々蝸牛の歩みなあれこれ考察沙汰に不便・不自由が常態化しているのもまあ、間違いなく。

ロシア海軍が弱いわけ・メモ

 ロシア帝国海軍に下士官が少ない理由を解説しよう。


 この本によるとバルチック艦隊将兵中、戦死者と捕虜の合計は11026名、うち士官は433名(3.9%)、下士官は162名(1.4%)だ。この比率をボロジノ型戦艦の乗員定数835名に適用すると士官は約32名、下士官は12名となる。


 日本側がどうであったかを三笠へ行って調べた。准士官以上55名(6.1%)、下士官160名(17.9%)、総員889名(司令部を除く)である。士官は日本が1.7倍なのだが下士官に関してはなんと13倍にもなるのだ。元海将補である高名な戦史研究家である某氏にこの話をした所「ありえない!」という声が返ってきた。それはそうだろう。海自には下士官勤務兵なんて制度は無いんだから。N・プリボイも多くの本に下士官って書いてあるが実は下士官勤務兵なのだ。


 「下士官の仕事が勤まるんだから別にいいじゃん。」と思う無かれ。下士官の仕事をしていても身分は兵なのだ。当時のロシアに於ける兵役は基本的に徴兵制で兵の待遇は極端に悪い。だから任期が終わればすぐに除隊する。でも下士官の待遇はそう悪くないし定年まで勤められる。つまり下士官と兵では雲泥の差があるのだ。今の日本でも正規社員とバイトじゃ格差があるが、それをもっと拡大したと考えて頂きたい。つまり下士官勤務兵とは「責任は負って貰うが待遇はバイトのままだよ。それにいつでもクビにするからね。」といった感じで店長やらされる様な物なのだ。


 下士官とは公務員(当時の日本では判任官)なので就職感覚、兵は兵役で「懲役と兵役は一字の違い」って程、身分が違うのだ。現代日本だって曹(下士官)以上は普通の公務員だけど士(兵)は任期制なのだ。でもそれじゃ「うちの卒業生をそんな不安定な職場に就職させられません。」って高校の就職担当者が仰るので「曹候補士」という制度が発足したのである。まあ曹候補士と言う制度については陸海空でうまく活用できるかどうか、目的意識と勤務体系、責任の所在、伝統などが異なるので一概に良いか悪いかは決められない。陸はヒエラルキー重視のプラミッド型組織だし海空はスペシャリスト集団だからね。


 さて、ロシアに話を戻すが日本海軍では士官の3倍いた下士官が1/3しかおらず士官そのものが日本の2/3なので「帝政ロシア艦で下士官を捜すのは稀少動物を探すような物」なのである。なぜ、そうなのか? これは日露戦争時のロシアが西洋とは言いながら農奴制から脱却したばかり後進国であったからに他ならない。日本も鎖国体制から脱却したばかりの後進国だが中産階級は非常に多かったのである。下士官とは何かと問えば、その答えは中産階級だ。士官はやはり上流階級なんだよ。だって高等官でしょう。皇族だって少尉から始めるでしょう。それなのに低い待遇にするわけにはいかないでしょう。


 さて、海軍の下士官兵に必要な要件は何か?それは技術知識で、その為には字が読めなければならない。だって字が読めなければマニュアルすら...


 ところが青木栄一氏の「シーパワーの世界史2巻」だと1881年時点でのロシア海軍は水兵の文盲率50%とある。一方、日本海軍で兵の文盲は考えられず兵と下士官のみでこの様な教科書さえ編纂された。編纂するには日本語が読めるだけじゃ駄目なんだよ。日本は英海軍に範をとってるから英語がペラペラじゃなきゃ教科書を作れないんだ。主要艦艇は全て欧州に発注してるから受け取る為に乗員は渡欧しなくちゃならないのだ。英国人から全ての操作法を学ばなくちゃならないのだ。当時の日本海下士官兵がどれだけのエリート揃いか判るでしょう?それに比べロシア帝国海軍は乗員の半数が文盲なのだ。日本は江戸末期と明治中期で大きな文化的差異が見られたが日露戦争時の日本海軍とロシア海軍の差はそれを遥かに上回るよ。だから...戦争の勝敗にその結果がでたのだ


 軍隊は国家の縮図と言われるがまさにバルチック艦隊はそうだった。なおその将兵を知る時には様々な階層からの視点得る為に多くの本に目を通すと面白いよ。ロジェストウェンスキーの書簡集も出版されている。これらの本を読むと「当時のロシアって何だったのか?」が少し見えてくるよ。


 ちなみに共産主義ソ連になっても「まともな下士官が存在しない軍隊」は続いた。徴兵された同年兵の中から成績の良い者が即座に下士官に任命され任期満了と共に除隊する摩訶不思議な制度が存在したからだ。これでは高度な技術者である下士官など存在しようもない。徴兵による3年間を終えた後に志願兵として兵役を2年延長する制度も存在したそうであるが志願するよりは准尉になる道を選ぶか除隊するのが普通だそうだ。


 この流れをそのまま引き継いだのが現在のロシア連邦海軍である。だが徴兵期間が2008年には1年間に短縮化された為、どうあっても徴兵では乗員を補充出来なくなってしまった。そこでやむなく給料の高い志願兵を徴兵と共に採用し「ちゃんとした下士官の育成」に取り組み始めたばかりなのである。ロシア連邦海軍は...でもそんなもん一朝一夕には行かないよ(笑)何よりも民度の向上ってのが必要なのさ。


 そもそも下士官ってのは志願者のみが就く専門職であり「嫌々ながら兵隊になった徴兵がやる仕事」じゃないんだよ。なんでそんな事になったかというと「人民全てが公務員」と云う共産主義国家だからであろうと考えられる。職業選択の自由などあまり無く「皆が嫌々働く社会体制」だったのだ。全ての人民が公務員であるならば「下士官以上が公務員」なんて概念は通用しなくなっちゃうのだ。そして全人民が公務員だと「公務員のモラルのハードル」は滅茶苦茶に低くなり腐敗と汚職と怠惰が横行する。


 そうゆうもんなんだよ。そしてソ連は崩壊した。根元から治さない限りロシア連邦も同じだよ。

押し入れ、のはなし

 あれは2015年か、そこらのことだったか。当時、成年向け漫画のスレか何かで、誰かが奇妙な話を語りだした。何でも、ある作家の描く成人漫画には、毎回必ず押入れが出てくる。ここまではまあそんなこともあるだろうな、という話だ。だがそれだけではないという。


「押入れが開いていくんだ」


 男はその作家のファンだったというわけでもないが、ある時作品を読んでいて、微妙に開いた状態の押入れが執拗に背景に描き入れられていることに気づいた。他のインテリア等は省略されることもあるのに、押入れだけは決して省かれず描き続けられているのだ。


 そして作品の途中、一切の脈絡なく、押入れだけが描かれているコマがある。件の男にはその隙間がどうにも不気味に思えたらしい。以前スレでぼそりとそのことを話すと、誰かが「その作家、前からそうだよ」と教えてくれた。気になって調べてみる──彼の作品集を買って読んでみた。


 押入れ。押入れ。押入れ。すべての作品に一貫して押入れが出てくる。毎回必ず1コマ、最後の方にキャラクターが一人も出ずに押入れだけが無言で映し出された。性癖なのかもしれないが、あまりに奇妙だった。


「……何でかわからないんだが、それ以降彼の作品のことしか考えられなくなってしまって」


 男はその作家の作品を──それこそ活動最初期のものから集め始めた。オークションで出品された大量の雑誌集の中に探していた号を見つけ、大枚叩いて丸ごと買い取ったこともあるという。


 それら作品を集めて分析していったところ、わかったことが3つある。

 1.  押入れが本格的に描かれだしたのは、2011年の作品『……出会っちゃったね』からだった。当時はまだ、せいぜい1~2cm程度しか開いていなかったという。


 2.  押入れは作品を経るごとにどんどん開いていく。3cm、5cm、7cm……着実に隙間は開き、暗闇の占める割合が大きくなっていっていた。


 3.  押入れだけのコマが移りだすのは、2013年の『忘れられた記憶』からだ。以降、ずっと現在に至るまですべての作品に押入れだけのコマがある。

 スレは一時盛り上がり、確認と調査が更に進んだ。問題の作家と絵柄が類似する全年齢作家が発見され、そちらもある作品に開いた押入れが登場していたことで別名義であると見なされた。


 とうとう、作家の側も事態に気づいたようで、Twitterで言及があった。しかし奇妙なことに、彼自身も押入れのことに気づいていなかったらしい。ただの背景としてしか認識していなかったようなのだが、徐々に開いていっていることを知って気持ち悪がったようだ。いつしか彼の作品からは押入れが消えた。


 2年後、作家はぷつりと活動を止めた。彼の最後のツイートは、夜中3時に投稿されたこの写真で終わっていた。

おたくの「保護区」異論・メモ

オタクのコミュニティは本当にオタクにとってのサンクチュアリー(保護区)なのか。-利己主義と排他主義が生むオタクのコミュニティの実態|ニッセイ基礎研究所,

「簡潔に言えばオタクという言葉が多様化したことにより、オタクという言葉を使う事やコミュニティに参加すること自体のハードルは下がったものの、そのコミュニティには多くの若者が望むように、必ずしも「仲良くなりたい」という帰属欲求承認を目的とした者ばかりではないことに注意する必要」


「これらのオタクは、他のオタクに対して敵対意識を持っている者も多いため、若者のオタクが描くような共通の趣味を媒介として、和気あいあいとした人間関係が構築されるわけではない。」


「(1)ライトファンやにわかオタクに対して高圧的な態度をとる(他者排他)、(2)同じコンテンツが好きな人に敵対意識を持つ(同担拒否)、(3)コンテンツに対する熱心さを消費量やオタク歴で測る(マウンティング)、の3類型をオタクのコミュニティで垣間見ることができる非友好的な行動」


「オタクはコンテンツを嗜好することが自身の精神的充足に繋がるため、そこに独自の価値観を見出し、強いこだわりを持っている。この強いこだわりという側面からみると、本来オタクは誰とも分かり合えない。」

分析の「わかってる感」も含めて著者自身もかなりのオタなんだろうけども、ツイッタもツイ廃レベルでやってそうな予感w

廣瀨 涼|ニッセイ基礎研究所, https://nli-research.co.jp/topics_detail2/id=61776

感想述べる前にちゃんと読んでここに注意するように→「若者の中にも熱心に好きな対象と向き合う所謂昔ながらのオタクも存在しており、そういった若者のオタクは、本稿で言う「若者のオタク」には含まれない。」

可視化される「ポリコレ当たり屋」・メモ

 今日の朝会で聞いた話をメモっとく。キーワードで「ポリコレ当たり屋」というのが大分聞かれるようになったらしい。たわわ、例の駅のバリアフリーの人、本当に改善するつもりではなく、ただ騒ぐのが目的の人。もう企業でも「ポリコレ当たり屋に絡まれたら無視しろ」というのが普通になりつつあるという


 ポイントは「一般企業はとにかく騒ぎを嫌う」と思われてること。当たり屋はそれが目的でとにかく騒ぐ。企業はごたごたが嫌だからすぐに謝る。当たり屋は社会的に自分の主張が認められたと主張する。昔の街宣右翼と一緒


 これまでは企業もSNSに慣れてなくて「炎上した!担当者を呼べ!鎮火させろ!」「謝罪しかありません!」とかやってたし、担当者もすごく叱られてた。でも今ではSNS担当役員なんてのがいるようになった時代


 広告のオリエンでも「SNSをどう活用するか」が1ページ目のでかでかと書かれるようになった時代。本気になった企業の勉強量をなめちゃいけない。Twitterでも炎上案件はとっくにリスト化され、共有されてる


 そうすると炎上案件のほとんどでフォロワー0とか一桁のアカウントがかなりの割合を占めてることに気づくわけ。それを研究、報告するとSNS担当役員は「当たり屋に絡まれたらSNS担当社員を怒らない方がいい」と分かってくる


 ああいう話題ではこの学者が出張ってくる。こっちの話題ではこのジャーナリストが出張ってくる。するとこの辺のフォロワーひと桁が反応する。そういうのを企業はもう把握しつつある。炎上の反応からフォロワーゼロ、一桁を取り除いてみる。すると、なんだ炎上させてるのは10人程度じゃん、となる


 本当に悪いんだったらクレベリンの件のようにちゃんと手続きを踏んで改善することができる。それが法治社会。そうした手続きを踏まずに恣意的に世の中を動かそうとする。これまでは企業の弱みがそれにつけ込まれてきた。それが「当たり屋」だとバレてきた。いいことだよね


 私は個人的にはネットの集合知、多くの人の意見が可視化されてそれが企業や自治体、国を動かすことができるという、メット発の草の根民主主義みたいなのを信じてたし、信じたい。でも今はその弊害の方が目立ってきてしまった


 これから5年くらいで「当たり屋対応マニュアル」みたいなのがどんどん整備されるだろう。そうすればあの界隈のああいう活動は通用しなくなる。あそこまでエスカレートさせて国連まで担ぎ出しても、謝罪なんてしなくてよい、という前例もできてしまった


 「ああまたあの人でしょ。あれポリコレ当たり屋だから」「当たり屋は無視が一番」かつての「嵐はスルー」みたいに、もう共通のキーワードになりつつある。特に今回のは騒ぎを大きくし過ぎた。それがかえって主張や方法論の無理筋さを周知させる結果になった


 これはよくあるハッシュタグ運動なんかでも言えることで、企業の担当者なんかは(直接関係ないとはいえ)あれも冷めた目で見てる。フォロワーゼロとか一桁とかがもう可視化されるからね。SNSに慣れてない人をだませるのも最初のうちだけなんだよ


 一応いまだに当たり屋やハッシュタグ運動なんかが有効なのは「こんなに炎上してます!」とTVのワイドショーなんかが取り上げるから。でもこれの寿命もあと5年以下だよね。TV視聴のメイン層はどんどん減っていく


 今では企業のパブリシティ予算も、TVで取り上げさせることからインフルエンサー施策にシフトして来てるし「ワイドショーで炎上が取り上げられた!担当者を呼べ!」というのもどんどんなくなりつつある。「あんなん〇〇だけのメディアでしょ」企業は冷徹に見てる


 こういう引用RTをいただいてそうだなあと思った。「ポリコレ当たり屋」が可視化されたのもSNS担当者がネットでの論調をウォッチしていたからだし、草の根民主主義の善なる側面にも、これからも期待していいかもしれないですね(了
twitter.com/Calcijp/status…

草の根民主主義が根付いたからこそネット当たり屋みたいな存在が視覚化されたのだと思います。 twitter.com/kettosee/statu…

twitter.com/Calcijp/status/1523466245760499712

 追記)あちなみに「これは『ポリコレ当たり屋』ではなくて正当なクレームなんだ」という向きは堂々と持論を主張されればよいと思いますよ。企業は「炎上」は無視しますが「正当な根拠のある改善要求」は聞いてますので。逆にちゃんとした意見は届きやすくなってると思いますよ


 追記その2)ポリコレ当たり屋ではなく「ネット当たり屋」なんじゃないなか、についてはそうかもと思います。たまたま今日聞いたのがこのワードだったもので。実際10年くらい前に企業が警戒してたのは、韓国関連の炎上でしたしね。ただ…


 「右派も炎上させるが、あまり組織的、意図的なものは感じられない」というのが企業の炎上対応者の肌感覚なんじゃないかと思います。ハッシュタグ運動なんかもそうですよね。なんででしょうね。よくわかりませんが