ロシア海軍が弱いわけ・メモ

 ロシア帝国海軍に下士官が少ない理由を解説しよう。


 この本によるとバルチック艦隊将兵中、戦死者と捕虜の合計は11026名、うち士官は433名(3.9%)、下士官は162名(1.4%)だ。この比率をボロジノ型戦艦の乗員定数835名に適用すると士官は約32名、下士官は12名となる。


 日本側がどうであったかを三笠へ行って調べた。准士官以上55名(6.1%)、下士官160名(17.9%)、総員889名(司令部を除く)である。士官は日本が1.7倍なのだが下士官に関してはなんと13倍にもなるのだ。元海将補である高名な戦史研究家である某氏にこの話をした所「ありえない!」という声が返ってきた。それはそうだろう。海自には下士官勤務兵なんて制度は無いんだから。N・プリボイも多くの本に下士官って書いてあるが実は下士官勤務兵なのだ。


 「下士官の仕事が勤まるんだから別にいいじゃん。」と思う無かれ。下士官の仕事をしていても身分は兵なのだ。当時のロシアに於ける兵役は基本的に徴兵制で兵の待遇は極端に悪い。だから任期が終わればすぐに除隊する。でも下士官の待遇はそう悪くないし定年まで勤められる。つまり下士官と兵では雲泥の差があるのだ。今の日本でも正規社員とバイトじゃ格差があるが、それをもっと拡大したと考えて頂きたい。つまり下士官勤務兵とは「責任は負って貰うが待遇はバイトのままだよ。それにいつでもクビにするからね。」といった感じで店長やらされる様な物なのだ。


 下士官とは公務員(当時の日本では判任官)なので就職感覚、兵は兵役で「懲役と兵役は一字の違い」って程、身分が違うのだ。現代日本だって曹(下士官)以上は普通の公務員だけど士(兵)は任期制なのだ。でもそれじゃ「うちの卒業生をそんな不安定な職場に就職させられません。」って高校の就職担当者が仰るので「曹候補士」という制度が発足したのである。まあ曹候補士と言う制度については陸海空でうまく活用できるかどうか、目的意識と勤務体系、責任の所在、伝統などが異なるので一概に良いか悪いかは決められない。陸はヒエラルキー重視のプラミッド型組織だし海空はスペシャリスト集団だからね。


 さて、ロシアに話を戻すが日本海軍では士官の3倍いた下士官が1/3しかおらず士官そのものが日本の2/3なので「帝政ロシア艦で下士官を捜すのは稀少動物を探すような物」なのである。なぜ、そうなのか? これは日露戦争時のロシアが西洋とは言いながら農奴制から脱却したばかり後進国であったからに他ならない。日本も鎖国体制から脱却したばかりの後進国だが中産階級は非常に多かったのである。下士官とは何かと問えば、その答えは中産階級だ。士官はやはり上流階級なんだよ。だって高等官でしょう。皇族だって少尉から始めるでしょう。それなのに低い待遇にするわけにはいかないでしょう。


 さて、海軍の下士官兵に必要な要件は何か?それは技術知識で、その為には字が読めなければならない。だって字が読めなければマニュアルすら...


 ところが青木栄一氏の「シーパワーの世界史2巻」だと1881年時点でのロシア海軍は水兵の文盲率50%とある。一方、日本海軍で兵の文盲は考えられず兵と下士官のみでこの様な教科書さえ編纂された。編纂するには日本語が読めるだけじゃ駄目なんだよ。日本は英海軍に範をとってるから英語がペラペラじゃなきゃ教科書を作れないんだ。主要艦艇は全て欧州に発注してるから受け取る為に乗員は渡欧しなくちゃならないのだ。英国人から全ての操作法を学ばなくちゃならないのだ。当時の日本海下士官兵がどれだけのエリート揃いか判るでしょう?それに比べロシア帝国海軍は乗員の半数が文盲なのだ。日本は江戸末期と明治中期で大きな文化的差異が見られたが日露戦争時の日本海軍とロシア海軍の差はそれを遥かに上回るよ。だから...戦争の勝敗にその結果がでたのだ


 軍隊は国家の縮図と言われるがまさにバルチック艦隊はそうだった。なおその将兵を知る時には様々な階層からの視点得る為に多くの本に目を通すと面白いよ。ロジェストウェンスキーの書簡集も出版されている。これらの本を読むと「当時のロシアって何だったのか?」が少し見えてくるよ。


 ちなみに共産主義ソ連になっても「まともな下士官が存在しない軍隊」は続いた。徴兵された同年兵の中から成績の良い者が即座に下士官に任命され任期満了と共に除隊する摩訶不思議な制度が存在したからだ。これでは高度な技術者である下士官など存在しようもない。徴兵による3年間を終えた後に志願兵として兵役を2年延長する制度も存在したそうであるが志願するよりは准尉になる道を選ぶか除隊するのが普通だそうだ。


 この流れをそのまま引き継いだのが現在のロシア連邦海軍である。だが徴兵期間が2008年には1年間に短縮化された為、どうあっても徴兵では乗員を補充出来なくなってしまった。そこでやむなく給料の高い志願兵を徴兵と共に採用し「ちゃんとした下士官の育成」に取り組み始めたばかりなのである。ロシア連邦海軍は...でもそんなもん一朝一夕には行かないよ(笑)何よりも民度の向上ってのが必要なのさ。


 そもそも下士官ってのは志願者のみが就く専門職であり「嫌々ながら兵隊になった徴兵がやる仕事」じゃないんだよ。なんでそんな事になったかというと「人民全てが公務員」と云う共産主義国家だからであろうと考えられる。職業選択の自由などあまり無く「皆が嫌々働く社会体制」だったのだ。全ての人民が公務員であるならば「下士官以上が公務員」なんて概念は通用しなくなっちゃうのだ。そして全人民が公務員だと「公務員のモラルのハードル」は滅茶苦茶に低くなり腐敗と汚職と怠惰が横行する。


 そうゆうもんなんだよ。そしてソ連は崩壊した。根元から治さない限りロシア連邦も同じだよ。