「知ってほしい」話法と「おキモチ原理主義」・メモ

 「知って欲しい」話法、というのがある。*1 何か弱い立場、事件の被害者や社会的に不条理なポジションなどに置かれている人がたの気持ちを取り上げて、こういう事態こんな辛い苦しい気持ちを抱えている人たちがいることを「知って欲しい」、といった語り口でまとめてゆく、新聞記事などによくあるやつ。この「知って欲しい」と言っている主語はそういう記事を書いた記者なりライターなのだが、でも、これを知ったら当然自分の望むような対処してくれるよね、まで自明に当て込んで使われているあたり、それこそ昨今の「おキモチ原理主義」、「弱者/被害者」の「キモチ」をダシに手足を縛り口をふさぎにかかる手口に他ならない。

 こんなキモチでいること(「傷ついた」等ネガなキモチ) を「知ったら」あなたは、あるいは誰でもほっときゃしないだろう or 何かしら構ってくれるだろう、 それは当然自分 (たち) の望むような、そのネガなキモチをなだめて癒して、そうなっている根源の問題までも修正してくれるようなことに決まってる、だって自分はそこまで何も言わなくてもちやほやしてもらえるべき存在だから――といった次第。そんなもん、ちゃんと伝える意志もうまく見えないまんまのあんたのキモチなんかしらんがな、というのがとりあえずの常識的な対処になるはずなんだが、それを「忖度」したり「空気読む」したり「気配り」したりしなきゃいけない、という本邦いまどき暗黙の掟があることまでを当て込んでの、ある意味確かに実践的な問題解決話法&身振りではあるらしい。

 要は「気づいてよ」ってことなのだ。それは「言わなくてもわかる (のが当たり前 or あるべき状態) でしょ」であり、自分の側できっちり「伝える」「わからせる」意志とそのために必要な方法を模索する選択肢も、初手からないことが往々にしてあるし、何よりそういう了見だからまわりに気づかれようもないという現実もあるんだろうが、でもそれらを指摘すると、言いたくても言えない/言わせない空気がある、になるまでが想定内。それはそれでまた指摘の仕方も別途あるだろうに、そこらは無視して次にはいきなり大文字の能書きくっつけてきて、やれミソジニーだの男性優位社会だの既得権擁護だのと問答無用で言い募る、まあ、ざっとそういう流れになっている。

 そういう意味ではこれ、「弱者/被害者」無双になってゆく環境&からくりの一部ではある。つまり、自分の意志でその個別具体の自分の問題を少しずつ言葉にし明示してゆくことで解決しようとする、そうやって「関係」や「場」を構築してゆく過程をなかったことにして、自分から動くタフさに欠けるか、初手から「あきらめる」(それには理由があるにせよ)。当然、モヤモヤ鬱憤は蓄積するからはけ口求めるわけで、かつてはオトコなら酒か暴力か性的方向に、オンナは世間的縛りが強かった分、内攻するしかなくていわゆる「ヒステリー」その他メンタル方面に不調or支障が(癪とか頭痛とかも含めて)、といった感じで表面化するものだったのかも知れないけれども、近年それらの定型も崩れてきてるようで、その分、こういう「知ってほしい」話法がそういう問題状況を解消する処方箋ではあるんだろう、とりあえずは。

 ただ、それをマスコミが「報道」の枠内でいとも平然と、さも「正義」のようにその話法を振り回すようになってきとるのはこれまた別の問題ではある。そういう「知ってほしい」キモチなり何なり、未だ表沙汰にうまくされていない問題を抱えているのが「弱者/被害者」であり、それをいち早く「発見」し「気づいて」「寄り添って」、それを足場に問題に気づかない社会に向かって問題を知らせる「正義」のボク/アテクシたち、といういまどき本邦マスコミ様自意識のありよう。「エビデンス? ねーよそんなもん」と言い放つ/放てる自意識のからくり、も概ねこんな感じなんだろうなあ、と思う。*2

 で、そんな自意識の共同体wで内輪で日々忙しく (確かに立ち止まってもの考えるヒマなどなさげではある) 回しているお仕事の担う「報道」って、さて、いまどきどんなもんになってきとるん? というお話でもあり、それはいわゆる「運動」されとらす人がたなんかとそういう意味で同じ自意識でもあり、基本は、そういう「キモチ」を抱えている「弱者/被害者」にいち早く気づいてあげられるボク/アテクシたちってすごい、エラい、というマウンティング&承認欲求充足目的の無自覚ドヤり「意識高い」自意識、ということでもあり。まあ、それらを極めつき大文字の「社会正義」としてスローガン化してゆくことで、自分たちのそういう自意識のありように気づかないようにしてゆくまでがセット販売なわけで。かの「ポリコレ」だの「コンプライアンス」だのにしても、ざっくりそういう流れで使い回される汎用スローガン棒のひとつ、ということになる。*3

*1:いや、「ある」と言うてもまず自分がそういう具合に名づけてるだけ、って話ではあるが。

*2:もちろん、かの東京新聞は名物記者、イソコの言い放ったことであります。www.nikkan-gendai.com 池田信夫尊師あたりが速攻で反応していたあたり、まあ、立場立ち位置の違いを越えて人を一律ムカつかせることに成功した、そういう意味で「炎上商法」(だか何だか) としては成功したもの言いにはなっていたらしく。agora-web.jp

*3:ああ、ここでもまた、「学校」民主主義的な空間が勝手に想定されて、そういう言語空間、情報環境において最も効率的で合理的で、てっとり早く「情報」としてのあれこれを流通させ共有させてゆける話法や身振りの横行、の現われが……個人の内面や気持ちは常に初発の地点では個的なことばとして宿り、立ち上がってゆくしかないはずのものが、それらの過程をスキップして外化されると「おキモチ」に一律一緒くたにくくられてゆく。その間の決定的かつ本質的なズレに違和感を抱けるかどうか、は、それら「学校」民主主義的な空間を律する「速度」とそれに依拠した効率性や合理性に対峙することばや能書き以前の身体的な生身の感覚、強く言うなら生理ののありように関わってくると思って射る。このへん一連のお題に関わる要継続審議&検討ということで。