妖怪画、の系譜・メモ

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 絵巻の妖怪は基本、浮世絵(勝川・葛飾・歌川)とかとはぜんぜんクロスした発達をしてない点はわかってるので、武家や支配階級な市民の画技たしなみ(仕事で絵図を書くための習い事)の空間で描かれたり、達者なひとや本絵師の美品は端午の節句とかの贈り物になったりとか、そのくらいの認識ですね。


 暁斎とか永濯みたいな「本画を習った、版下仕事(浮世絵)もした」みたいな層は特殊例だけど、そんなふたりとかでも絵巻(狩野家)の画像妖怪を錦絵とかにはほとんどさっぱり描いてないからね。(例が本当に限定される)


 来歴が結構はっきり出てるのは、藩主が描いたとか藩のお抱え絵師が描いたとかの結果、大名家に伝来してたもの以外はわからなくなってるのがほとんどだよネ。あとは徳川さまの持ち物になってる絵巻みたいに「若様に贈られた」とかみたいなケースしか無い。


 そのへんの画格や階層差が欠落した結果、「妖怪を封じるために絵にしたもの」といった特に根拠の無い説も70年代後半あたりから茶説的に使われてるけど、結局は小山田さんが言ってるみたいに来歴と目的と当時のひとのたのしみ方を明確に示す傍証が乏しすぎるのが狩野家タイプの妖怪絵巻の弱いトコ。


 大陸だと鍾馗さまの妹がお嫁に行くときの行列として鬼たちがいっしょに荷物はこんだりご祝儀芸をしたりするために並んだりする絵巻とか掛幅が、魔除けの飾り物みたいな感じでも贈答されてたりするけど、そういう役割とかが日本の貴顕社会にもあったかどうかの日記類とかからの調べはもっと要りますネ。


 徳川時代の、「絵巻物の画像妖怪たち」と「版本・錦絵・芝居の画像妖怪たち」は階層断絶がすごくあるし、後者は連続性を保って明治~昭和まで活きてるもの(河童、天狗、狐狸、傘など)が多い反面、前者はそのまま1970~90年代あるいは2010年代にならないと個々の存在すら世代連続して知られて無い――ってあたりは画像妖怪についての基本理解だけど、現状そのへんを踏まえた考察が世に多いかというとぜんぜん無いのよナ。


 十何年も前に「おとろし」とか「うわん」が芝居とかにぜんぜんいない点についてを「それは民間伝承の妖怪だから出て来ないんでしょう? 芝居は都市的なものだから」と言われたことあるけど、そういう複雑骨折したような理解は根深くあると思うよ。(石燕や絵巻がたまたま民俗的な取材をしたという誤解)


 単純に「おとろし」とか「うわん」の60年代以後の「こういう伝承があります」という体で新しく添えて書かれた性質(民俗的な雰囲気偽装してるから厳密には「江戸時代」じゃ無いけど)を「昭和の創作」と認識してる人は多いとは思うけど、絵そのものは民俗的な取材だと思ってるひとは多そうなんだよネ。

*1:妖怪や怪談、UFOなど含めて都市伝説界隈、については、本間尺の学者研究者よりもそれこそ草莽、趣味の人がたの相互つながりの方が、よっぽど闊達で本質的な蓄積をやってきているのがよくわかる。たとえばこういう知見を備忘録に組み込んでゆくことが、現代民俗学の下ごしらえのひとつになる、と。