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「現在」≒〈いま・ここ〉は常に自分ごと、「個」の体験としての現実でしかない。
だから、そういう「現在」から「歴史」を考えてゆくことは、「個」の体験としての現実の上にどのような時間が堆積してゆくか、を考えることでもあったりするらしくて、な……「個人史」とか「オーラル・ヒストリー」wとか持ち回ってはしゃぎ回る向きは、そういう意味で初手からおそらく縁なき衆生なんだと思う。
「個」と「社会」とか、「部分」と「全体」とか、いずれそういう図式の範疇からとりあえず「おりる」ことを仮説的にでもやってみようと思うかどうか、あたりがまず分岐点かな……「個」はそのまま「まるごと」でもあったりする、とか、な。そういう方向からの「多様性」の認識の仕方ってのも、実はあるんだろうと思う。
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