ある「卒業論文」のこと・メモ

僕の高校には、卒業論文があった。
僕は「『不登校権』という人権があるのではないか」「主体性が成長するまで学校休む権利が子どもにはあるのではないか」「多様な成長のあり方が人にはあるのではないか」という趣旨の論文を書いた。
指導教官は国語の先生だった。
おそらく批評に通じた先生だった。


先生は僕の論文の内容を掴んだ後、こう僕に言った。


「『主体』というものが本当にこの世の中にあるかい?」
「僕は『多様』という言葉を聞くと吐き気がするんだ」


先生がいったい何に向き合ってたのか良くわからなかった。今もわからない。
でも僕は、それからずうっとこのコメントを考え続けている。


先生は論文を一読した後、こう言った。


「君は本当に学校に来たくなかったんだなぁ」


僕の論文の評価は「A」だった。
最上位の評価だった。


先生は「主体」「多様」という言葉に懐疑的だった。
しかしその先生こそが、この一般論だらけの論文から「多様でいたいのに一様でいてしまう」という、僕の個人的なあり様を読み取り、そこから抜け出したいという願望を受け取った。
「主体」や「多様」はぶつかり合いの中で生まれるということだろう。