「話し合い」への不信感、その来歴・雑感

 「話し合い」「対話」「議論」で何か事態が好転したり問題が解決したりした経験、あの小学校の教室このかた、まずないままのような気がしている。そういう「学校」における「話し合い」のやり方やその場の雰囲気、そこで使い回される言葉やもの言いなども全部ひっくるめての「そういうもの」に対する、かなり根の深い違和感、不信感として。

 そういう「話し合い」系の場で使われる言葉やもの言い、しぐさなどは、それら「学校」の価値観――いや、もっと絞り込んで言うなら「教師」「先生」という一点透視的な光源に照らし出されて可視化される何らかの世界の「そういうもの」に、どうも抵抗なくなじんでゆく/ゆけることの証明でもあった。そしてそれは、そのような言葉やしぐさで、そういう価値観に沿った「きれいごと」をうまく切り貼りモザイクにしながら平然と、さもさもそれだけが「正しい」ことのようにして提示してくる人がた、に対する不信感でもある。まあ、ひらたく言ってしまえば「いい子」「優等生」「ティーチャーズ・ペット」的な存在に対するムカつき方、にもつながるものだったろう。

 だから、ものすごく雑に一般化通俗化した形としてならば、「口のうまいやつにはかなわない」「頭のいいやつはあんなもん」的な、昔から根深くどんよりと世間一般その他おおぜいの間に澱んでいる「反知性主義」(敢えて誤用)的気分にもつながるものではあると思う。そのようなある種の言葉やもの言いと、それを平然と駆使する/できる者たちへの、鈍いけれども本質的な反感。大風呂敷広げるならば、「近代」をわかりやすく現前化してゆく書き言葉/文字的な〈リアル〉に浸透、制圧されてゆく、日常生活の現実を統御、編制していた話しことばの〈リアル〉の側からの根源的な反発、抵抗感でもあっただろうことも含めて、言うまでもなく。

 違う角度から言えば、それは「政治」に対する理解が雑なままになっていることとも関わっている。言葉という道具を現実を制御するために、つまり他人との関係を調整し、関係によって織りなされ成り立っている場を何らか望ましい形(自分の利害も当然含めて)に制御してゆくための最も本質的なツール、という前提で認識できていないままゆえのバグというか。そしてそれは、そのような道具やツールとして手もと足もとで抑え込んで「使う」というこちら側、つまり「主体」の輪郭も同時にくっきりしたものにしてゆく過程もあいまいにしてゆく合併症も併発して、ということと共に。

 そもそもそういう稽古の場、そのような言葉の使い方を実地に学べる演習場としても「学校」はあるはずなんだが、その「学校」においてまず「言葉」と「政治」の関係がそういう「話し合い」的な不自由や窮屈、どうしようもない抑圧としてしか現前化されていないままだと、そりゃそうなるわな、としか。

 そのような「きれいごと」をどれだけうまく提示できるか、という意味での「話し合い」しか認識できないままだと、その場から疎外される〈それ以外〉の部分、つまり個々のもやもや鬱憤、不満など、つまり「おキモチ」が常に身の裡にわだかまった状態になるわけで。で、それはあの「おキモチ」原理主義な界隈だけのことでもなく、それこそ「平等」に、「学校」をくぐってきた人がた本邦同胞ひとしなみに。

 また同時に、「学校」が本来そのような、日常生活ではあまり意識されないしそのように活用されることも乏しい言葉やもの言いの使い方を稽古する場である、というたてつけも、その「学校」以外の場所が担保されていて初めてうまく機能するものだったはず。いわゆる「家庭」もそうだが、それだけでなくまさに子どもの世間、橋本治堀切直人が言っていたような意味での「原っぱ」「空き地」の存在のあらためての大事さ。

 まあ、いわゆる悪口陰口罵詈雑言の類にしても、そのようなわだかまりがガス圧となって発射暴発されるものでもあったりするわけだが。そしてそれが、「きれいごと」エリジウム空間においては「誹謗中傷」とだけ変換、翻訳されてゆくものでもあるらしいが。

 そこには関係と場、そのような生身の実存介して現前している空間がきれいに「なかったこと」にされるわけで。つまり「芸」とくくってもいいような身体性、相互性の機微、ある種の審美的wなものさしも含めたふくらみの裡にやりとりされる解釈の水準もまた、きれいに「なかったこと」にされるわけで。「おキモチ至上原理主義」界隈が硬直して「シャレが通じない」というのも、そういう文脈からはまあ、必然っちゃ必然のワヤなんだろう、と。 「芸」(とここも敢えて言っておくが)がない、「シャレ」が通じない、というのは相互に解読のための約束ごと、難しく言えばコードが共有されていないから起こるわけで、そういう意味ではすでに立派に「文化が異なる」相手ということにもなる。

 まあ、ならばその「学校」で稽古されるべき「政治」の場での立ち居振る舞い、言葉やもの言いにおいて、それら「芸」や「シャレ」といった部分はどのように組み込まれ得るのか、というのもまた、別途考えねばならないお題ではあるんだろうが、でもそれは開き直って言うなら、生身の実存介した話しことばのやりとりが本来のありようで担保されているのなら、程度や質の濃淡はあれど、そして何らかの制御はあれど、全く「なかったこと」にして運用できるようなものでもないはずなのだが。

 このへんは、国会における「ヤジ」「怒号」の類――「不規則発言」とひとくくりにされ「議事録」からはあらかじめ「なかったこと」にされて「記録」されないものだろうが、公式に「記録」されずとも、その「記録」が生成される現場においてそれらがどのような役割、機能、立ち位置を占めて、その「場」とそれを成り立たせていた生身も含めた「関係」を編制していたのか、といった部分の認識まで、あらかじめ「なかったこと」にしておいたままの「政治」理解が、闊達で自然なものであるはずもない。このあたりは継続審議のお題として、また別途。*1

小学校の学級会や帰りの会等で「自分の気に食わないクラスメートが何かやらかしたら関係ないような小さなことまで槍玉にあげて吊し上げ、泣くまで追い詰めて恥をかかせる」なんて事を最高の快楽と受け止めた人が大きくなったとしたら、確かにまともな「話し合い」ができるとは感じないな。

「話し合い」なんて道徳的優位性を補強するためのお約束に過ぎず、糾弾するための即席の舞台に過ぎないですからね…。


……ふと思ったのですが、自身を「正しい」と疑わないから他者を「裁く真似事」をしたがるのかな…?

小学校時代の「話し合い」て、大人決めたことを一方的に押し付けることを「話し合って決めた」言われるので、もんのすごい不信感があった…

話し合いというのは双方に後ろ盾があるから成立するのであり、それがない場合は一方的に要求を飲まされる蹂躙や陵辱を正当化する為の茶番劇に成り下がります。

小説と随筆、の違い (とは)・雑感

 最近、あらためてわからなくなっているのが、小説と随筆の違い、というやつ。

 散文で書かれた(もちろん日本語で、という前提だが)文章であるなら、とりあえずどんなものであれ「読む」ことはできるわけで、その文章が小説なのか随筆なのか、エッセイなのかコラムなのか、はたまたルポなのか何なのか、といったことをあらかじめ意識して、その「読む」を調整するようなことは、まず普通はしていない。日本語で書かれた文字列ならばとりあえず「読む」ことが、半ば自動的に行われるようになっている。

 というか、それは何も文章に限ったことでもなく、それこそ道端の看板や標識、貼り紙から注意書きの類などまで、とにかく文字で書かれているならば、視野に入って合焦した瞬間にその「読む」は発動されている。我慢しようとしてもできないくらいにそれは、ほんとに日々の習い性、生身にあらかじめインストールされてしまっている挙動になっている。

 かつて椎名誠の「もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵」だったか、眼に入るものすべて読まずにはいられない症状の友人(「活字中毒者」と称していたが)をお題にした小説(だったのかな、あれも)があったけれども、別にあれはあのモデルになった目黒考二(北上二郎だ)が特別異常というわけではなく、また日本人に限ったことでもおそらくなく、こと言葉を介して第二の現実(クリシン流に言えば「パンツ」か)を穿いて/穿かされてしまったわれら人類一般についてのことなのだろう。

 でも、日本語で書かれた文字列、ある程度まとまりがあり、文脈らしきものがあるならば散文と言っていいだろうが、とりあえずそういう散文表現に限ってみても、さてそれが「小説」か否か、といった形式的な分類は普通、あらかじめ気にすることは、まずない。眼に入れば「読む」し、文章であれば行を追って読み続ける。小説だから、随筆だから、といった分類によってその「読む」自体が規定されたり、何らかの調整が加えられることは、そうとわざわざ意識する/しなければならないような特殊な場合を除いて、まあないと言っていいだろう。

 全ては「読みもの」であるし、本来そうなのだ。なのに、ならばなぜ「小説」という分類はあるのか。あるいは、小説「以外」のものの代表格のようにして「随筆」があるのか。そのヴァリエーションとして「エッセイ」「コラム」なども含めて、でもそれらも「小説」ありきで生まれてきたジャンルというか整理箱なのであって、たとえば音楽ならば「音楽」に対しての「軽音楽」、芝居でも「軽演劇」などというように「軽」をつけて〈それ以外〉であることを示してきた、そういう何らかの権威や箔付けを前提にした分類と同じようなたてつけではあるらしい。「正しい」「まっとうな」散文や音楽や芝居というのがあらかじめ「そういうもの」としてあって、その上で初めて成り立つような〈それ以外〉。まあ、「随筆」というのもそういう意味での〈それ以外〉代表、ではあったのだろう。

 そういう意味でなら、いわゆる学者・研究者世間で言われる「論文」というやつと〈それ以外〉、普通はまあ「研究ノート」や「資料紹介」といったたてつけになるらしいのだが、これらもまた同じように、実はいまひとつよくわからない分類ではある。章立てが明確で、脚注その他もお約束に沿ってつけられていて、といった形式的なものさしは、そりゃまああるとしても、でもその中身についての基準というのは、実はそう確かなものではないと思う。いわゆる「科学」という神が厳然として鎮座し、かつそのご威光の下に統治されている理科系はともかく、少なくとも本邦の人文社会系について言えば。

 狭義の作家、文学者の類の書いたもののうち、「小説」とされるものと、〈それ以外〉の「随筆」などとの間の違いというのは、人により、また時代にもよる部分があるとはいえ、並べて読むとそうそうはっきりした区別がつけられるものでもない場合が多い。小説だから虚構だ、フィクションだ、つくりものだ、随筆はそうじゃない身辺雑事や日々の雑感を漠然と書き綴っただけのものだ、といった基準で仕切ろうとする向きもあるのは知っているし、それはそれかもしれないが、でも、だったらあの私小説と呼ばれてきた散文の類は、どこまでが「小説」でどこまでが〈それ以外〉の「随筆」なのか、というと、正直、自分のように「文学」界隈への信心が乏しいまま歳を重ねてきたばちあたりには、腑に落ちないままなのだ。

 「随筆」はもちろんのこと、比較的新しい響きがある時期まではあって、特に女性の書き手などには好んで使われる傾向にあった「コラム」「エッセイ」の類にしても、最近はあまりわざわざ言わなくなったような印象もある。「評論」「批評」なども同じかもしれない。散文表現の文章として書かれたものに対して、いちいちこれは小説、これは随筆、これはコラムでこっちのは評論、といった風に仕切ろうとする意識をあらかじめ持つ、そんなめんどくさい必要すら感じない程度に、文字/活字による散文表現はいわゆる紙媒体を越えたところに、これまでもあったような路上の日常空間においてというだけでもなく、それこそスマホの画面やパソコンのモニタなどまで含めて、何でもありに存在するようになった。それらの多くはすでに一定の文脈を宿した文章ではなくなっているかもしれないし、断片的でバラバラの、短い分節や刹那的な短文がたまたまそこに凝集してみているだけ、といった代物かもしれないけれども、でもそれにしても、散文の眷属であることはまず間違いないし、またそれらの眷属であるまま、もしかしたらうっかりと韻文的な、何らかのフシや調子、リズムといった話し言葉の側への開かれ方をもはらみ始めているのかもしれない、と思ったりもする。

葬送のフリーレン(アニメ)・断片 & 走り書き

 浪花節、なんでないか、これ (おい)

 例によって唐突すぎて、わけわからんだろうが。

 まあ、そもそもさらに例によって、いまどきのアニメの制作現場の論理やら現実的な条件のあれこれからして、ほとんど何も知らんしわからんまま言うとるんだから、あたりまえにムチャクチャかも、だけれども。でも、それでも気づいたことは言っておくけれども。

 要するに、あれだ。動きの少ない≒おそらくは手間も時間も予算もかけない/かけられない部分と、その分思い切ってリソースぶっこむ部分と、そのメリハリの効かせ具合が、単なる作画制作の台所事情というだけでなく、いや、それがまずありき、なのかもしれんけれども、でもそれを逆手に取って、「おはなし」としての話法・文法とおそらく相当意識的・方法的にシンクロしてるのではないか、ということなんだが。

 で、そのへんの匙加減が、結果として「おはなし」として、あの浪曲浪花節におけるフシとタンカ、の配分なんかに近いような気が、ふと、な。

 動きが少ない絵を「おはなし」として提示してゆくには、そりゃ「語り」で見せてゆくしかないわけで。それは、こういうアニメの場合は主として「会話」であり「モノローグ」であり、それらをむしろ前景化させて意識させることで、動きの少ない絵を良い意味での「紙芝居」的に見せてゆく――うまく言えないけれども、そういうところがあるんじゃないか、と。*1 おそらくそれは、挿絵と本文、そして絵物語から紙芝居などもひっくるめての、本邦「おはなし」話法・文法における「映像・ビジュアル」と「文字・語り」との関係とそれによって醸成されてきた何らかの国民的リテラシーのありようと共に。

 対照的に、動きが必要な局面、それこそ魔法を駆使して対戦する場面などには、節約してあるリソースを集中的に投入して動かして、「語り」は思い切り背景に後退させるというか、むしろ必要ないくらいまでにする。あるとしたら、それら「動き」により論理的な後ろ楯の説明や解説が必要な場合、とか。たとえば、ユーベルの立ち廻りの場面みたいに。てか、あれは「語り」がないと平板なわけで、そういう意味では「動き」は本質的な要素にはなっていないし、ってことはそういう意味では「語りもの」的な流れ方をしている局面、タンカで見せる/聞かせるところではあるような。

 ……このへん落ち着いたらもう少し展開して考えとくべきお題ではあるんだろうが、とりあえず忘れないうちに走り書きだけ。*2
*3
*4

 あと、そもそもの話、もともとのコミック版の掲載が『少年サンデー』ってことは、あの「サンデー」がこういう作品を許容して掲載させて、ちゃんと市場的な成功も収めることができるようになっとる、そのこと自体、ああ、ほんとにもう時代は変わったんだなぁ、としみじみ思う。もちろん、「サンデー」のためにも、そして本邦マンガないしはコミックの文化としての〈そこから先〉のためにも。

*1:「紙芝居」って、二次元の「絵」を「語り」と併せ技で「動かして」ゆくところがあるわけで、少なくとも受けて/観客≒子どもだが、にとっては。挿絵つきの「おはなし」文芸ではあるんだが、ただそれが子ども相手に商売になるようになっていった経緯とか、リテラシーの浸透共有過程を補助線にしたら、また違う何ものかが見えてくるような気はする。

*2:追記……アニメってのもそういう意味で、実は「おはなし」≒いわゆる「文学」「文芸」と呼びならわされてきた文字/活字ベースのリテラシー前提の、とあたりまえに地続きの表現であり、少なくともそういうリテラシーを共有してきている読み手/受け手の側との関係と場において立ち上がる「おはなし」のありようについては、という懸案のお題のひとつにもあらためてあれこれと……240324

*3:だから、「絵」や「ビジュアル」の部分にだけ特化して語ってゆくような、あるいは、それらと〈それ以外〉の語り(「声」の要素なども含めていい)などの要素とをことさらに別ものとして考えてゆくような、そういう考察なり分析なり印象なりばかり精緻化してゆくような動きは、どこかで牽制して歯止めかけないとどんどん悪い意味で蠱毒化してゆくだけじゃないかな、と。

*4:挿絵と本文の関係、とか、その挿絵の比率がどんどん高まっていって絵物語的なものになってゆく過程、とか。あるいは逆に絵解きやのぞきからくりなどの民俗レベル含めた背景とか、そういう「精緻化」「精密化」とは別の、ある程度画角や視野を広げて「解像度」をさげてみる、という方向での考察や分析も同時に必要なんだとおも、いまさらながらにあらためて、ではあれど。

耳で観る芝居、のこと・雑感

 浪曲浪花節が、ある意味「耳で観る芝居」的な受容のされ方していたのと地続きで、戦後の流行歌/歌謡曲の、のちに「演歌」とくくられるようなものが輪郭定まってゆく過程でも、「耳で観る芝居」的要素は案外濃厚に意識されて創られていたようにおも。要検討お題のひとつとして。

 それこそあの「長編歌謡浪曲」なんてまさにそれを反映した惹句だったし、それほどあからさまでなくても、三橋美智也や村田英雄などが無双し始めた頃の楽曲は、いまそういう視点・観点から素朴に聴き返してみるとほんとにそうだし、それは当時同時代の量産型日本映画のたてつけなどとも共通してたかと。


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 そういう聴き手、消費者の側にそういう「耳で聴くことで脳内に心象風景的な引き出しからのイメージと共に複合されて立ち上がる芝居」を普通に構成できるリテラシーが共有されていたんだろう、と。

 で、それはもちろん同時に、同じ当時の生身、同時代の情報環境を生きる主体を介して、文学でもマンガでも映画でもラジオ番組でも、さらには日々の何でもない会話のやりとりにおいてさえも、そのような「脳内に心象風景的な引き出しからのイメージと共に複合されて立ち上がる」何らかの筋書きなり、淡い「おはなし」なり、輪郭未だ定らない何らかのうつろう心象なりを宿らせるようなものだったはずで。

 流行歌でも歌謡曲でも、呼び方は何でもいいが、そういうその頃からはっきりある輪郭を定め始めていたように思える商品音楽、大量生産大量消費を前提にした複製メディアの楽曲群の、たとえばいまいちど「歌詞」にだけ焦点を絞ってみて、それらの「歌詞」が「うた」として耳に響いてゆく際、果してどのようなそれら「脳内に心象風景的な引き出しからのイメージと共に複合されて立ち上がる」芝居でも寸劇でもコントでも何でも、まさに多種多様に日々その瞬間瞬間に立ち上げていったのだろう、そんな例によってのとりとめなくも茫洋とした問いを、本邦日本語を母語とした環境での何らかの考察沙汰がこういう時代のこういう状況だからこそ、立ち止まって「おりる」ことであれこれこころゆくまで、手もと足もとの間尺でちみちみといじっておきたい、そう思うのだ。

「文学」と呼びならわされている多様な表現の形式、と、その不自由・雑感

 いわゆる「文学」と呼びならわされてきている多様な表現の形式――とりあえず話し言葉も含めての言葉を介してのものに限っておくけれども、それが「個人」の「創作」としてあたりまえに認識され定義されるようになってゆく過程の外側、〈それ以外〉の部分をどのように包摂して考えてゆけるのか、という問い。いまさらながらに、でもやはり避けて通っていてはよろしくないだろうささやかながらも難儀な問いのひとつとして。

 「個人」が晶出されてこないことには、そのような意味での「作者」も存在しないし、つまりは「文学」の「作者」の誕生というお題になってくるのだろうが、しかしそれではあまりに味気ないポスモ系丸出しの顛末にしかならない感じがして、そこに早上がりすることもペンディングにしておきたいわけで。*1

 文化人類学の本邦人文系の世間における煮崩れ凋落ぶりもまた甚だしいみたいで、それはそれでまた別途、考察しなければならないことでもあるのだが、*2 かつてまだ正気を保てていた頃の本邦の文化人類学に教えてもらっていたたてつけにおいては、文字以前、口承による伝承とそれを支える共同性しか現実の〈リアル〉が宿る余地のなかった、そんな社会においてはそのような「作者としての個人」はあり得なかっただろう、ということになる。口承による伝承と同時代の〈いま・ここ〉における上演とがそのような言語表現のほとんどだった状況では、それはある程度の揺れや振幅はあれど、基本的に定型に収斂してゆくような「おはなし」の形式にはなっていたと考えられている。ならば、そのような「おはなし」の受け取られ方がどのようなものだったのか、川田順造の仕事などをあらためてそのような視点から読み直してみるしか当面、自分にとっての糸口もなさげなのだが、それはまた別途の作業としてピン留めしておくとして、少なくともそのような社会、そのような共同性を共有する世間に生きる個体としての個々の個人のものの感じ方、感情の動かされ方というのも、日常からすでに相当に社会と共同性の側に開かれたものになっていただろう、ということはこの時点でも言えることのはず。

 個と群れ、個人と社会との関係性が、今のわれわれが普通に考えるよりもはるかに混沌としているというか、個人の感じることがある程度そのまま社会の感じることの水準へ通底している、そんな印象なのだ。

 で、いま普通に「文学」と呼びならわされているような表現のありようを前提として、そこから解釈枠をあててゆく限り、そのような口承による伝承とそれを支える共同性しか現実の〈リアル〉の宿る余地のなかったような社会における「おはなし」のありようは、その受け取られ方も含めて、やはりどうしても〈それ以外〉の領域、自明の「文学」というたてつけからあたりまえに疎外される「残余」のものとしてしかうけとられないだろう。つまり、いまある自明の「文学」という枠組みの側からものを考えようとする限り、文字以前、口承と伝承がドミナントな情報環境にある社会の「おはなし」のまるごとの〈リアル〉はうまくこちら側の認識の銀幕に合焦してくれないように思う。

 今ある「文学」においても、そりゃ「おはなし」(「物語」でも「ナラティヴ」でもいいが)は認識の対象のひとつになってはいるが、その「おはなし」という認識枠自体が今ある「文学」の認識枠と紐付けられている限り、そしてそれもまた自明の約束ごとになっている限り、「おはなし」もまたその残余部分について認識できないままになる。

 例によってのしちめんどくさいあれこれ千鳥足の考察沙汰だが、要はこのあたりの問い、そういう風に「そういうもの」としてものを見たり考えたりしているあんたって何者なん? ということであり、そんなあんたが「そういうもの」として振り回して使い回している認識枠の成り立ちってのも、立ち止まって留保してみてもバチはあたらないんでないん? ということなんだろう、これまた例によっての方法意識と主体の関係の問題ということになるんだが。

 どのようなものであれ、ひとまず「おはなし」という、少なくとも〈いま・ここ〉からそのような語彙で捕捉しようとして構わないような何ものかを仮に認識しようとするための形式、に依拠することによって、その表現の受け取る側にとって何らかの〈リアル〉が――花田清輝流に言うならアクチュアリティが、うっかりと宿り得る、そんなからくりが今のわれわれの「そういうもの」としての理解と比べて、まだ見えてないほどの大きな違い、想像を越える目新しい現実を引き出してくれるかもしれないこと。

*1:「個人」が社会の裡で晶出されてくる、それがそれなりに例外でもないようになってゆく過程「以前」の社会のありようや、その頃そこに生きていたその他おおぜいな人がたのものの見方や感じ方「も含めて」の経緯来歴≒「歴史」(と言うていいものなら言う)について、というあたりの認識をどこまで共有できるか否か。

*2:「個人」の晶出が社会の裡に埋め込まれるようになる「以前」の社会のありようについての認識をもらったのは、まず文化人類学(の当時紹介されていたような仕事群)からだったこと。ポスモの呪いの上にあり得ていたことも含めて、そのデバッグをかけてそのもらった認識を救い出すことの必要。

アクチュアリティ、と、リアリティ・メモ

 花田清輝の言うところの、アクチュアリティとリアリティの関係について。

 アクチュアリティを、一応、偶然としてとらえ、現在の偶然を踏み台にして、過去の必然と未来の可能とを弁証法的に統一したものが、現実――つまりリアリティだ」というのが、花田の説。

 あるいはまた、「リアリティへ飛躍するための結節点(クノーテン・プンクト、とドイツ語のルビを振っているあたりが花田のなんちゃって衒学趣味ではあるのだが、それはともかく)であるアクチュアリティ」とも言っていて、そのアクチュアリティをとらえる操作を「アクションの問題として――いわば、冒険の問題としてとりあげている」と続ける。さらに、「右の定義における偶然という言葉を、実存という言葉で置き換えたにしても、わたしにはいささかも異存はない」とも。

 ということは、彼にとってのアクチュアリティとは「偶然」であり「実存」でもある、ということになり、それをとらえる手段としてのアクション≒「冒険」、つまり今風に言い換えるなら、取材でありフィールド・ワークであり、といったようなものになるらしい。

 ところが、彼は次の段で、リアリティを、インチキでもある、と言い放つ。「わたしは冗談をいっているのではない。わたしのみるところでは、リアリティとは、インチキ以外のなにものでもないのだ。インチキをフィクションといいなおしてみるがいい」と。

 「これまで不明のまま放置されてきた、ポール・ローザのいわゆるアクチュアリティを対象とするドキュメンタリー・フィルムと、リアリティを対象とするフィクション・フィルムとの関係が、わたしの定義によって、はじめてハッキリするではないか。」

 そして、「いや、単にそればかりではない」と引き受けながらの、キメのひとこと。

 「今日、われわれの周囲で進行しつつある、らくがき運動や生活綴り方運動と、民主主義文学運動との関係もまた、ヨリ厳密に規定することができるではないか。」

 山口昌男が、少なくともジャーナリズムにおけるもの書きの資質や芸風といった面において、花田清輝を意識していたはずなことを、あらためてまた確信。と同時にまた、このへんのドキュメンタリーや記録映画にまつわるあれこれの学術研究アカデミア界隈の近年の、まあそれなりに汗牛充棟具合を遠望しつつ傍観してきた身からすると、個々の情報収集とその集積、分類などにおいて効率的であることは確かでも、それらをもとにした飛躍なり投企なり、それこそここで花田が言うような意味での「冒険」なり、といったモメントがどうも想定されていないようにしか見えないことも、また。論より証拠、それらのビブリオグラフィーなり書誌目録なり資料集なり、いずれいまどき風に行儀良さげに整えられている文書やリストの類には、この花田の示した見解などについては、まず反映されていないものらしいのだからして。

「「戦艦ポチョムキン」の軍医に扮したのは、カメラマンの助手で、牧師に扮したのは、果樹園の園丁であった。そして監督は、彼らの自然な動きや、さりげない表情を巧みにとらえ、いささかも演劇的でない、徹頭徹尾映画的な演技を創造しようと試みたのである。」

……考えたら(考えるまでもないのだろうが)、文字/活字表現にも、話し言葉のそれにも、映画/映像界隈の言うような意味での「モンタージュ」はあり得ないのではないか。あの「ミシンとこうもり傘」的な「出会い」は、同一の空間において初めてその効果を主張できるのであって、それは二次元的な平面においての出自来歴文脈を無視した断片の切り貼りに同じ効果を言い募ることと同じく、視覚を介した映像的な把握を必須としたもので、「読む」の本質とは異なるのではないか。

高卒で就職した、ある先輩のこと

 高校時代のラグビー部に、高卒で大手都銀に就職したという先輩がいた。一緒にプレイしたのでなく、自分が現役の時すでにOBだったから四つか五つ年上だったのだと思う。こわい先輩ではなく、気のいいタイプで、ごくたまに顔を見せては年下の自分たちと一緒になって馬鹿言ったり、近くのパン屋で奢ってくれたり、まあ、そういういい意味での「兄貴分」的な人だった。

 そんな彼がある時、ふと、

「おまえらは大学行くんやろ?」

と言ってきた。進路や進学の話なんかしたことがなかったので、不思議な気がしたんだろう、自分だけでなくその場にいたみんな顔をあげて先輩の方を見た。

「わしは高校出てそのまま銀行員なって、このまま30年ほど勤めて定年なるまで今のまんまやと思うし、そんなもんやとおもて別に後悔はないけど……」

 先輩、そこでひと息おいて、こう続けた。

「けどなぁ、大学出とるやつらと給料やら何やらほんまに違うんやなあ、というのは入ってからようわかったんや。いろんな家の事情とかあるやろけど、大学行けるんやったら行っといた方がええかもしれんで。」

 まあ、それだけの頭があれば、の話やけどな、と最後は冗談めかしてオチをつけていたけれども、その時のその会話だけは、半分ほどになったコカコーラの500㎖壜と喰い散らした神戸屋のマイケーキやら豚まんやらの残骸と共に、なぜか音声付きの映像みたいにくっきりと記憶に残っている。

 自分は地元離れて東京の大学に行って、下宿したのだけれども、ある日、自分の下宿の近くの駅で、その先輩とばったり会ったことがあった。駅前の銀行の支店に配属されているという話だった。

 ほんとにあり得ないような偶然だったけれども、お互いびっくりして、でも仕事の営業まわりか何かの途中だったのだろう、ちょっとサテンへ、ということもなく、確か立ち話くらいしかできなかったような気がする。

 でも、その時も、先輩は「そうかあ、おまえこっち(東京)の大学入ったんや、ごついなあ、そのうちええ会社入って出世するんやろなあ、その時はうちの銀行使うたってな」みたいなことを、地元で会った時とは少しだけ違う、軽い韜晦の気分をにじませた話し方と表情とで、言っていた。

 おそらくもう定年になって、70歳くらいになっているはず。小柄で細身で、確かポジションはスクラムハーフスタンドオフだったかな。でも、一緒にプレイしたのは、OB戦で一回あるかないか、それくらいだったけれども。

 自分が兄弟姉妹いない分、こういう少し年上の先輩だったり、兄貴分的な距離感での親しい関係というのが、たとえ短い期間だったり一瞬だけの交錯だったりしても、なぜか鮮烈な印象となって記憶に残っていたりする。それも案外、男女不問で。