オープンでフリーなインターネットw

 当時関わっていたサイトではCGIスクリプトまで編集できたので、キーワード排除や合言葉システムを組み込んで業者排除を図ったけれども、昔ながらの素朴なminibbs.cgiとかそのまんま動かしていたところは壊滅した。10秒に1回とかのペースでURLてんこ盛りの広告がポストされるのだ。


 2002年頃から盛り上がったお絵描き掲示板も、2010年頃には急速に廃れていった。良かれと思って拡張された画像添付機能が仇となり、エロ画像をポストするアダルトサイト業者botに食い荒らされた。


 ユーザー同士の諍い(炎上)、炎上が起きると寄ってきて囃し立てる火事場の野次馬、悪意を持った煽り行為などはインターネット以前、Nifty-Serveのフォーラム時代からあった。炎上が嵩じて本人の自宅に押しかけた事件は新聞にも載った記憶がある。


 それでもパソ通には機材の壁や電話料金の壁があり、商用サービスなので度を越した事件に対しては運営の手が入った。「フリーでオープンな」インターネットは参入の敷居が下がって底辺も下がった。掲示板で暴れる困ったちゃんの中には「こいつリアル中学生だろ?」と思うアカウントも少なくなかった。


 最初に使ったSNSmixi(2006年から)だったけれど、「ほとんどNifty-Serveじゃん!」と思ったことを覚えている。


 結局「フリーでオープン」な、悪意を持つ荒らし常習犯やアフィリ収益だけが目的の業者も含めた全ての参加者に自己責任と善意を求めるネットワークは成立しなかった。だからこそSNSに「退行」した、と僕は理解している。SNSがインターネットの理想を潰したんじゃない、順序が逆だと。


 日本におけるインターネットの普及はBekkoameDTIがサービスを開始した1995年だと思っている。IIJが2-3年早くサービスを開始しているけれど、料金も高額で一般人がお遊びで使えるものではなかった。IIJ以前には専用線を引いてIPアドレスを割り当てて貰わなければインターネットに接続できなかった。


 ベッコアメDTI、RIMNETが低価格なダイヤルアップ接続やWEBホスティングのサービスを開始して、「ようこそ○○のホームページへ!(Sorry, Japanese only)」というマイホームページブームが起きた。これももう四半世紀昔の話になってしまったのね(´・ω・`)


 その頃に「ネチケット」という言葉が流行っていた、あるいは流行らせようとしていた。これからインターネットで誰でも世界への情報発信者になるんだから、世界に恥じないネット上のエチケットを身につけよう!みたいな運動だった。今から考えたら笑っちゃうよね🙃


 当時雨後の筍みたいに乱立した「マイホームページ」の多くが入り口に「Sorry, Japanese only」と書いていたのは「ネチケット」の影響だった。世界共通語は英語なんだからホームページは英語で発信すべきだ、それが出来ないならせめて英語で謝っておこう、という理屈で。


 その10年後くらいには、英語圏のエロサイト業者のbot書き込みで日本中の掲示板が壊滅的被害を受けるんだから「なーにがネチケットだよ」という気にもなるけれど、1995年当時のインターネットにはまだアカデミックな雰囲気が強く残っていた。


 それまで長いこと「専用線を引いてIPを貰ってサーバを立てなければ接続できない」世界だったので、インターネットの主なユーザーは大学、政府、企業の研究機関だった。面白おかしいWEBサイトは大抵、大学の研究室の学生が作っていた。だから卒業すると更新停止したり消滅することが多かった。


 インターネットの向こうにキラキラして見えた可能性は、そこに接続する権利を社会的地位で限定した結果生じた幻想だった。低価格プロバイダーが増えて一般人参入が増えるにつれ、その幻想は急速に色あせて揮発していった。


 そうそう。ネット社会の良き市民たらん、というニュアンスで「ネチズン」という言葉も流行らせようとしていた。こっちは「ネチケット」より流行らなかった印象がある。字面がどうにも不吉だ。