「観光」目線にも世代差、「格差」がある、という好例かと。
でも、国定忠治のことは地元の人でももう忘れているでしょう。次郎長にしても「ちびまる子ちゃん」経由で名前だけは、という程度でしょうし。股旅ものや大衆小説の英雄たちが「一般教養」だった時代も、すでに「昭和」とひとくくりにされて忘却の彼方、です。
とは言え、高橋敏さん、こういう時には役に立ちますね。なにせ主著『国定忠治とその時代』の人ですから(*^^*)
三度笠に縞の合羽、という出で立ちの背景も、今の学生には「???」のようです。ガッツ石松がなぜ「石松」なのか、もご同様。かつてのニッポン人の「一般教養」がものの見事に伝承されず、断絶して久しいことを、改めて思い知らされます。
敗戦直後、全国の農村で盆踊りが「やくざ踊り」になったこと、合羽からげて三度笠、座布団たたんで背中に背負って、忠治譚の一節、板割の淺太郎のからみなど身振り手振りでやってみせる、そんな盆踊りが誰広めるでもなく大流行した、という背景も、すでに遠い「歴史」のようです。
ばくち打ちか、窮民救済の義侠の徒か――。今年で生誕200年を迎えた江戸時代の侠客・国定忠治を巡り、出生地の群馬県伊勢崎市で議論が巻き起こっている。5月に開催を予定していた記念イベントは、市側が待ったをかけて中止となる一方、観光関係者や郷土史家からは街おこしにつなげようと再評価の声も広がっている。
記念イベントは、市観光協会と愛好家らで作る「いせさき忠治だんべ会」の共催で、忠治の遺品展や郷土史家による講演会などを企画していた。ところが、五十嵐清隆市長が「忠治は歴史的に評価が分かれている」と開催に難色を示し、中止となった。以前に、忠治のトレードマークの三度笠(がさ)とカッパをあしらった市の案内板を見た市民から「伊勢崎はヤクザの街か」と苦情も寄せられていた。五十嵐市長の判断に市民から支持する声も上がる。一方、忠治だんべ会を主宰する桜場弘美さん(55)は「街を盛り上げようと企画したのに」と肩を落とす。会の活動も中断したままだ。市観光協会の小杉英雄副会長(68)は「市から補助金を受ける立場で、市の意向を無視できない」と話す。忠治をイメージした携帯電話ストラップの製造も中止した。
侠客の清水次郎長の地元・静岡市では「全国的に抜群の知名度がある」として次郎長の生家に補助金を出し、観光に活用している。
忠治が“日陰者扱い”になったのは、連合国軍総司令部(GHQ)が「封建制度を支えたヤクザ」と評価したためとされ、群馬県富岡市の郷土史家、大塚政義さん(72)は「功績を再検証すべきだ」と語る。「国定忠治」の著者で、国立歴史民俗博物館名誉教授の高橋敏さん(70)も「人を救ったのは史実。単なるヤクザでなく、おとこ気が日本人の心に訴えるのでは」と指摘している。
◆国定忠治◆
1810~1850年。赤城山を拠点に活動し、関所破りの罪ではりつけの刑となった。講談や新国劇などの題材となり、「赤城の山も今夜を限り」のセリフで有名。天保の飢饉(ききん)(1836年)で私財を投じて民衆を救ったという記録も残り、地元の人気は高い。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20101122-OYT1T00552.htm