現代民俗学、ということ・メモ

 「現代民俗学」ということが成り立つのだとしたら、それは民俗学という今ある学問のありようをその成り立ってきた経緯やその背景などを社会的歴史的文脈なども含めて十全に自省しようとする態度がまず求められるだろうし、さらに言えば、単に民俗学のみならず、日本語環境における人文学のありよう自体を同じように自省するだけの腹のくくり方が求められるだろう。

 民俗学、殊に敗戦後「戦後」の情報環境で「学問」の体裁を整えてきたという文脈での民俗学のありようをカッコにくくってみることで、それを糸口にしてさらに日本語環境での人文学そのものがどのように現実から遊離していったのか、という大きな問いに気づくことでもあるだろう。

 歴史学社会学など、大学の大衆化と通俗化に構造的に成り立ちをあずけてしまうことで学問として、「学界」として身動きとれないまでになってしまった領域とは異なり、たまさか高度経済成長とその「豊かさ」がもたらした文教関連環境の変貌にひきずられて体裁を整えた、言わばハリボテだったがゆえに、等しく人文学が抱え込んだ問題がより顕著に、あからさまに見えてしまう地点だったということが、おそらく民俗学が本質的にはらんでいた立ち位置だったのだと思う。

 ジャーナリズムへの視線がまず必要になってくる。それは大衆社会化の現在をどのようにことばの側からとらえてゆくのか、という素朴な「記述」についての問いから始まり、それらが単に狭い意味での「学問」の内側でのみ流通する形としてだけでなく、一般的な読み手と出会うジャーナリズムとその市場でも期せずして流通してゆくようになっていった経緯にまず自覚的になることでもある。

 「民俗」とひとくくりにされてきた、近世以来の日本の農耕文化および農耕文化に根ざしたと思われる文化要素の概ね20世紀初めくらいまでの残存は、しかし記録された地点からそれらが新たに商品として、異なる意味を伴って流通してゆく宿命も同時に持っていた。

 いわゆる「観光」化の視線の浮上ともそれはからんでくる。「都市」としての視線、「民俗」を対象化し意識化してゆく枠組みが宿る場としてのそれらは、常に「観光」へと回収されてゆきかねない動きをその内側にはらみながら展開してゆくことになる。