最近この手の指摘があちこちで増えて来てるなあ https://t.co/RmGwCYfVYh
— お助けマン虎太郎 (@spa_inquisition) 2019年1月23日
呉座が百田より正しいって言ってる人の中には歴史学者の言ってることだから正しい、っていう盲目的権威主義者が多数含まれているのはツイッターTLだけでも看取できますよね。人文学はつねに素人が正しい可能性を内包するので、その辺りの価値観が駄目な人は正直百田の本読んで喜んでてくれた方が助かる。
象牙の塔内部でやってる分には構わないんだけど、最近俗世を管理しようというケッタイな野望を抱き始めたからなぁ。
実は学者たち本人もそうだけど、自らファンネルになって暴れてる「周りの奴ら」にもその傾向が強いからアレ。
「熱心な歴史好き」を自称する輩。
てか人文系の専門家よりも人文系好きな輩の凸の方が鬱陶しい。
文学部系の人は「自分たちが一番史料が読める」的な語学的優位性で、実際文学部系は史料は読めると思うんですけど、そういう心性って近代学問と相性悪い師弟相承的な、訓詁学的な優位意識だったりするんですよね。近代政治史とか複数の学部学科が交錯する専攻だと、あれは割と厄介。 https://t.co/07wyMABFDM
— 死もまた社会奉仕 (@pvvbzROgo32zWXo) 2019年1月24日
昔から「諸学の王」とか言うてみたり、そりゃ同じ人文社会系界隈の中でもとりわけ権高なのにはいまさら驚かんけど、とりわけ近年の歴史「学」世間ってそういう自意識の高さを内輪で過剰にブーストしてきとったんでないか、という疑いは持っとる。
脱マルクス主義の社会史による細密研究化と政治史の復権がくっついたデータ至上主義的政治文化制度史研究みたいなものが、「実証」という「イデオロギー」をまとったような形ですかね。科学としてのマルクス主義の排撃が究極の科学データ主義を招いたのではないかと。「実証」は必要ですが。 https://t.co/rePD1Ayc9E
— 死もまた社会奉仕 (@pvvbzROgo32zWXo) 2019年1月24日
*2その「読む」主体の側も否応なく歴史内存在である、ということ、だから同時代の情報環境との関係で規定されとる部分が必ずあってしまうこと、などをどれだけ方法的に自覚できるか、という問題ですわなぁ(;´Д`)y~~ https://t.co/jQVdgUf1AZ
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2019年1月24日
*1:自分のためのささやかな備忘録として。長年の、そしてこれから先はこれまでとは違う位相においての大きなお題に間違いなくなってゆく確信と共に。
*2:その他、関係してきそうなノートやこれまでの書きつけの類からいくつか。king-biscuit.hatenadiary.com king-biscuit.hatenadiary.com king-biscuit.hatenadiary.com king-biscuit.hatenadiary.com king-biscuit.hatenadiary.com king-biscuit.hatenadiary.com d.hatena.ne.jp