昭和は「本質をガチで解説する」という時代だった。TVは視聴者に高度な教養理解を求め、本は細かい字で埋まっていた。しかし平成は「アホでも分かる」という価値観一色になった。令和は、この反動が確実にやってくる。価値観が多様化し、深いレベルの解説が喜ばれる時代が来ると思う。というか来てくれ
— 解答略 (@kaitou_ryaku) 2019年8月5日
なんかバズってるので自分の考えを書くと、これまでの時代は、広報技術の発達に伴い製作側と視聴者の距離が縮まり続けてきた。かつては良くも悪くもタコツボ化していた製作者集団が、視聴者全体を見渡す必要が出てきた。それが「アホでも分かる」という価値観を推し進めたのだと思う。その極地が平成だ
今やプロの製作者達は「視聴者の平均レベル・平均理解度」を完全に把握していると思う。遥か昔の製作者達が作った番組は、要するに上振れていた。そのレベルを下げて、マスの平均に合わせてきたのが平成末期までの流れだったと思う。しかしこの流れは、もはやサチったのではないかと思う(希望的観測)
要するに「全国民を対象に、全国民の平均レベルに合わせた番組を提供する」という戦略が、令和では時代遅れになる気がする。最初のツイートでは、この辺の考えを指して「価値観が多様化し、深いレベルの解説が求められる」と書いたつもりでした。まぁ蓋開けるまでどうなるか分かったもんじゃないですね
あと「昭和にも愚かな番組が多数あった」という声が寄せられまくっているのですが、そりゃそうだろうよ!アホな番組はいつの時代でも多数流れると思う。ここで書きたいのは、昭和のNHKスペシャルとか、昭和のドラマとかそういうガチなやつです。ああいう本気は平成の30年間でだいぶ淘汰された気がする
TVで言えば、娯楽番組には大金かけるより低予算路線の方がリスクが小さくコスパ面で優位だから、予算が削られていったのが平成。その結果、YouTubeあたりの超低予算とモロ競合することになり、平成路線の転換を迫られる状況に最近なった。そんな感じかな?
昭和は「本質をガチで解説する」という時代だった。TVは視聴者に高度な教養理解を求め、本は細かい字で埋まっていた。しかし平成は「アホでも分かる」という価値観一色になった。令和は、この反動が確実にやってくる。価値観が多様化し、深いレベルの解説が喜ばれる時代が来ると思う。というか来てくれ
科学系のブログで感じたのは、何かを説明する記事はアクセスが極端に減ることです。「平易簡単短く」を徹底してもダメ。画像を付けると伸びます。動画は更に。が、最近は可愛い絵で説明しないとダメ、動画は30秒以内。更に自動再生じゃないと…もうそろそろこちらから寄るのをやめようと思ってます。
— salai289 (@salai289) 2019年8月6日
残念ですがムリです。なぜなら生物学的に「人間は感情の生き物で、快感情=生存と繁殖に有利=正義で善、当然逆の感情なら悪。論理的に考えるより感情が大好き☆集団のコスト低下を計るバイアスLOVE♪」だから。令和はさらにクソバカが増えます。
— デデン兄@ゆっくり解説動画 (@surakoku) 2019年8月6日