「本質をガチで解説」の復権可能性・メモ

 なんかバズってるので自分の考えを書くと、これまでの時代は、広報技術の発達に伴い製作側と視聴者の距離が縮まり続けてきた。かつては良くも悪くもタコツボ化していた製作者集団が、視聴者全体を見渡す必要が出てきた。それが「アホでも分かる」という価値観を推し進めたのだと思う。その極地が平成だ


 今やプロの製作者達は「視聴者の平均レベル・平均理解度」を完全に把握していると思う。遥か昔の製作者達が作った番組は、要するに上振れていた。そのレベルを下げて、マスの平均に合わせてきたのが平成末期までの流れだったと思う。しかしこの流れは、もはやサチったのではないかと思う(希望的観測)


 要するに「全国民を対象に、全国民の平均レベルに合わせた番組を提供する」という戦略が、令和では時代遅れになる気がする。最初のツイートでは、この辺の考えを指して「価値観が多様化し、深いレベルの解説が求められる」と書いたつもりでした。まぁ蓋開けるまでどうなるか分かったもんじゃないですね


 あと「昭和にも愚かな番組が多数あった」という声が寄せられまくっているのですが、そりゃそうだろうよ!アホな番組はいつの時代でも多数流れると思う。ここで書きたいのは、昭和のNHKスペシャルとか、昭和のドラマとかそういうガチなやつです。ああいう本気は平成の30年間でだいぶ淘汰された気がする


 TVで言えば、娯楽番組には大金かけるより低予算路線の方がリスクが小さくコスパ面で優位だから、予算が削られていったのが平成。その結果、YouTubeあたりの超低予算とモロ競合することになり、平成路線の転換を迫られる状況に最近なった。そんな感じかな?


 昭和は「本質をガチで解説する」という時代だった。TVは視聴者に高度な教養理解を求め、本は細かい字で埋まっていた。しかし平成は「アホでも分かる」という価値観一色になった。令和は、この反動が確実にやってくる。価値観が多様化し、深いレベルの解説が喜ばれる時代が来ると思う。というか来てくれ