「バブル」という歴史・メモ

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二度の石油ショックを乗り越えて奇跡の復活を遂げつつあったのが80年代前半。わが国のコスト競争力に対する自負はまさにこの時期に培われたので、ここを相対化しないことには今の「コストダウン絶対主義」を乗り越えることができないと思っています。

実際80年代前半~半ばのイメージって難しいと思います。70年代が二度の石油危機で不況だったのは知ってるけど…みたいな学校社会科的な理解にどうしてもなってしまう。

 改めて強調しなくてはいけないのは、バブル期は高度成長の延長ではないということ、石油ショックが当時すでに「第二の敗戦」とすら呼ばれていた事実だ。


 さらに言えば、七十年代以後に社会に入った団塊世代の業績は「高度成長とはなんの関係もない」ので、彼らが日本を先進国にしたわけじゃない。単にコストダウンに貢献するためにブラック労働を蔓延させただけだ。


 高度成長はドルショックと石油ショックで終わったとされていて、戦後に生まれた団塊世代はその時点ではまだ新人、社会の戦力にはなってない。むしろ戦前世代が主力だった。歴史を修正するのも大概にして欲しいもんだね。

実際80年代前半~半ばのイメージって難しいと思います。70年代が二度の石油危機で不況だったのは知ってるけど…みたいな学校社会科的な理解にどうしてもなってしまう。

で、むしろその逆、手前の方、80年代前半あたりからヘタすりゃ「80年代」くくりで「バブル期」的記憶に一緒くたにされちまっとるフシが最近、どうもあるような。

その前に「昭和っぽい」で大分くくられちゃってるよーな

田中康夫『なんとなく、クリスタル』があたかもバブル期の蜃気楼のように読めるのも興味深いですね。実際は「こんな生活は長続きしないけどまあそれなりに」という作品……だと勝手に思ってます

小学校のストーブは石炭で、100人近い犠牲者が出た炭鉱事故があって、外国人を見かけると友だちとサインをもらいに追いかけていたのが1980年代(の北海道)でした。

自分が大学出た81年なんて一応、「不況」で「就職難」ではあったんですよ、そりゃ程度としては大したことなかったかも知れないけれども。大学生活自体そんなにキャホってたわけでもなかったし。大学内も就職関連の事情も、うわぁ違ってきたなぁ、になったのはその数年後くらいから、という印象でした。

一浪で都内世田谷に実家があって、確か財閥系信託銀行に入った同級生に、卒業単位かかった試験なんかノートその他でいろいろ面倒見てもらったけれども、彼なんかその後の人生、どういう具合に「勝ち組」なり「逃げ切り世代」なりの行程踏んでいったのかどうか、会って話してみたい気はする。

*1:現代民俗学的な文脈での、個々の体験や見聞の感覚含めた記憶の一端として。