戦前から戦後へ、左翼的〈リアル〉への追及の仕切り直し

 児童文学の側での、そういう「戦後」の始まり方。

「戦争が終わったときに、ぼくは山中峯太郎の本などを自分の日記と一緒に燃やしているんです。あとになって、民主主義で山中峯太郎が書けないだろうかという、非常に教条主義的な発想がありました。」

「『赤毛のポチ』は、吉屋信子に対するアンチテーゼとして書かれたものです。つまり、貧乏というのは吉屋信子の書くようなきれいでにおいのしないものではないというかたちで、作品で反論したかったんです。」

 山中恒の回想。「貧乏」という〈リアル〉へのこだわり方と、その足場としての吉屋信子。「少年」と「少女」の分裂、ないしは棲み分けの「戦後」的な、そしてかなりの程度無意識ではあったらしい仕切り直しの痕跡。

 戦前からの「左翼」的〈リアル〉への追及の手癖習い性もまた、同様の「戦後」的な、そしてかなりの程度無意識ではあったらしいこういう仕切り直しに巻き込まれていたことは言うまでもなく。そしてそれらは正しく「同時代」の同じ時空において起こっていた事態であったこと。

 「左翼」的〈リアル〉への追及は、山中に代表されるような「少国民」世代、戦後間もない頃のくくり方だと「戦後派」とされていたような中から鋭く出てきたことは、それこそ吉本隆明などとの同世代でもあり、ある意味必然ではあったとは思う。それは、その上の世代、つまり「戦中派」的な立ち位置と目線からのそれが相対的に微温的なものであり、彼ら自身が自覚していなかったところが大きいとは言え、「少国民」世代からすれば明らかに生ぬるいものだったということも含めて、「左翼」とそれに伴うものについての距離感に決定的な「違い」が戦前/戦後間に出てきていたということのはずだ。

 大正リベラリズム由来の昭和モダニズムを実際に生活感覚として生きることのできた世代と、それに間に合わず、ものごころついた時はすでに戦争中の生活文化に染まっていた世代、その間の決定的な「違い」。それは、「都市的なるもの」に対する感受性や肯定感含めた価値評価の有無などに規定されているところがあるらしい。