リースマンやガルブレイス、の新鮮

 古いものしか読まなくなって久しい。いまさらながらに、だけれども、その傾向は大学から放逐されて以降、よりはっきりしてきた。このところはずっと、概ね敗戦後から昭和30年代~40年代、いわゆる高度成長が本格的に「離陸」を始めるあたりまでのものを、手にとるようになっている。

 もちろん、これまた例によって、大した方法的目算などあるわけもない。柳田流の連環想起ではないが、ある本なり活字のまとまりから目についたもの、あるいはそこから何か刺激を受けて思いついた分野のものなどを、明確な脈絡など意識せぬまま、それからそれへとあてもなくつまみ喰いしてゆく、そんな気ままな、やくたいもない道行きではある。

 で、そんな道行きの中、最近はいわゆる社会学の古典と呼ばれるようなもの、それも戦後のある時期から、当時急速に拡大するようになっていた「読書人」市場に向けて出されて、それなりに読者を獲得して商業的な成功も得ていたような翻訳ものの類を、結果的に連続して眺め直してみるようになっている。たとえば、それこそリースマンやガルブレイスといったような類だ。

 いまどき若い衆世代の現役の人がたが、これらをどう読んでいるのかいないのか、いや、それ以上に、彼ら彼女らを教える立場からしてこれらをどれくらいまじめに読んできていたのか、そのへんは自分ごとと引き比べて推測してみても、いろいろと思うところがある。