霞ヶ関の鬱病救済記・メモ

 私も霞が関官僚をやってた先輩をうつ病地獄からサルベージしたことあるんだけど、メールの文面や電話の声がどんどんおかしくなっていって、ある時点で「これ放っておいたら自殺するかも」と思ったので、ある朝、先輩から「ヘンなメール」が届いた瞬間に、自分の職場に電話して休暇を取り、助けに行った


 先輩は「とにかく職場に行かなくちゃ!」という宗教の洗脳状態になっていて「自分のアタマで考えようbyいんちきりん」は全くできない状態だったので、「今どこに居ますか」「今からそこに行くので動かないで下さい」「仕事は休んで下さい」「私も仕事休んだので私と会って下さい」等と全て指示を出した


 仕事は休みたくない、というので「私が仕事を休んで先輩に会いたいと言っているのに先輩は私より仕事優先なんですか」と情に訴えかけて「どうしても休んで下さい」「何が何でも休んでください」「休まないと駄目」「職場に行っちゃダメ」をひたすら繰り返して「とにかく今すぐ会いましょう」と説得した


 仕事を休ませることに成功した後は、喫茶店で待ち合わせて、先輩の話を全て聞いたうえで、「病院へ行くこと」をすすめた。先輩はもちろん「私は病気じゃない」「カウンセリングなんて嫌だ」というので「カウンセリングを受けることが目的ではない。カウンセリングなんか受けなくてもいい」と説明し、


 「病院に予約を入れて医者に会うだけで良い」「カウンセリング受けろという意味ではなく"精神科に通っているという既成事実をまず作る"ことが目的」「辛い職場から自分をガードするために"病院に通ってます"とオフィシャルに宣言できる状況を作ってしまうことが今の最重要タスク」と説明したら納得した


 「先輩の心の問題」ではなくて「休める状況作りの問題」という環境整備の話に持って行ったら本人も納得してくれて「そうか、病院を探そう」ってなった。「上司には今、なう、私の目の前で電話かけてください」って指示して、その場で電話をかけさせて「病院に行くのでしばらく休みます」って言わせた。


 病院探しも手伝ったけど、最終的に自分で良さそうな病院を見つけてきて、予約は取った。気が進まない感じだったけど「既成事実を作るためだから!」とプッシュして足を運ばせたら「思った以上に、良い先生」に当たったようで、結局カウンセリングも受けて、多少の助けにはなったようだった。


 あとから「あのとき通院をすすめてくれてホント感謝してる」と言われたけど、職場のほうには「実は精神科にかかっています」と告知した途端に、上司も周囲も対応が180度変わったそうで、結局、上司の上司まで出てきて「どうか穏便に」みたいな態度に豹変したらしい。それまで残業鬼地獄だったのが。


 結局先輩は鬱の原因になった職場を「きわめて穏便に」退職して、今は別の就職先でちゃんと働いてちゃんと生きてる。私としては自分のソウルメイト的先輩が、くだらない仕事が原因で死んじゃったりしたらそれが一番イヤだから、あの時、自分の仕事を休んでまで助けに行って本当に良かったと思ってる。


 自分の身近な人が、仕事地獄が原因でどんどん心を病んでいく状況を見るのは本当につらいし、おんなじ方法で全部のうつ病患者を救えるとは全然思ってないけど、少なくとも、あの経産省のヤク中官僚は、「本気で心配してくれる友達」とか「相談する友達」が、いなかったのでしょうか…と思ったりした。


 先輩は本来は非常に聡明な人でアタリがソフトなのに自分の芯・核・意見をしっかりハッキリ持っている人なのだが、あの時は「完全にもぬけの殻」状態で「なんでもかんでも全て私の指示通り、完全に言いなり」というのがすでに「相当、異常な状態」だったんだけど、まあそのおかげで私が助かった感じ…。


 ちなみに私は「ミイラ取りがミイラになる可能性」(私が先輩に引っ張られてしまう可能性)も考慮して、自分の休暇を取った直後に別の友達に連絡して「今から仕事休んで先輩を助けに行く」と伝え、「先輩と自分の行動を他の友達に実況中継するスタイル」で「自分自身が溺死しないように」も気をつけた。


 先輩に直接かかわった瞬間に自分も「当事者」になっちゃうから、周りが見えなくなって、自分がヘンな方向に舵とっちゃわないか心配だったので、「自分の舵取りが、間違っていないかどうかのジャッジ」を「第三者的目線を確保できる位置に居る、他の友達」に頼んだ形です。


 「仕事が終わったら会おう。」じゃダメなの。
「私はあなたに会うために仕事を休みました。だからあなたも仕事を休んで私に会って下さい」って言えば、「うつ病になるような真面目な人」なら絶対に「うわぁ、、、それは申し訳ない、、、悪いな、、、」と思うに違いないから「休ませやすい」んですよ。
「冷静に対応したのがすごい」というコメントを多くいただくのですが、当時の自分は全く冷静じゃなかったと思うので(文字通り膝がガクガク震えた)、なぜああいう対応ができたのかは自分でも良く分からないです。


 とにかく「うわー、先輩が死んでしまうかもしれない!!!!」ってなった瞬間に(そのメールが残ってないので掘り返せないですが、読んだ瞬間「先輩の緊張の糸がプツンと切れた音が聞こえた気がするようなメールだった」ので、膝がガクガク震えて「とにか助けに行かなければ!!!!」ということで必死だった。


 そういう状況になると「自分の仕事」なんて完全にどうでもよくなるので、ソッコー電話かけて、ちょっと今日具合悪いんで休みマースなんていうのは1-2秒の出来事だった。言ってみたら「自分の子供が風呂で溺れかけてる時に冷静でいられる親がいますか」という感じ。まあ先輩は自分の子供ではないけどw


 どなたかの返信にも書いたけど「火事場の馬鹿ぢから」的なものだと思う。プールや海で溺れてる子どもを前にして、自分のすべてを投げ出してでも全力で助けに行かないと相手が死んでしまう。というような状況で、本人の能力以上のパワーが出たとしか思えない。なんかもう「雷に打たれた」みたいな感じ。

「デバッグ」の必要

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 「弱いものいじめ(・A・)イクナイ!!」的な言わずもがなになっていた「常識」の水準に、敢えて言語化可視化させて「政治」文脈の武器として振り回す作法への素朴な「民俗」レベル含めた違和感嫌悪感、ってのは、かつての社会主義者なり左翼なりの身ぶりや現前に対する「アカ」などのもの言いの内実に。

 「公正」はそれなりに維持され担保される仕組みがある、と大方の世間一般その他おおぜいが(それ以上しょうがない、も含めて)「常識」として共有していたところに出現した「それまでと違う作法&身振り」での「公正」像とその創出&維持の作法の「異物」性、について。

 それは概ね半径身の丈の「公正」でなく、一気に大文字な「社会」の「構造」「仕組み」からして「公正」にしてゆく、という一点からしてまず、(゚Д゚)ハァ?……(つд⊂)ゴシゴシなものだったはずで。

 それまでもそういう荒療治的なものはあったし、たとえば「一揆」「世直し」なんかそうだけれども、ただそれは「社会」の「構造」「仕組み」を言葉とリクツとで「客観的」に整序して「認識」した上での動き方、では必ずしもなかった(忖度表現)わけで。それもまた、「そういうもの」の土俵の上で動いてゆくもの、ではあったというあたりへの認識や配慮や斟酌忖度の類が、「大文字」の「公正」前提のその実現にうっかりココロ奪われた人がたにゃまずなかったというあたりの不幸&不自由、どっちの側にとっても。

 「一揆」「世直し」と「革命」の違いと(実は)違っていないところについて。

 たとえば、関東大震災時の「(朝鮮人)虐殺」(と言われるもの)についても、そういう脈絡含めた解釈なり「わかる」の試みってまだほとんどないままだったりせんのん?「そういうもの」としての「公正」への毀損という危機感とそれの回復運動、という「民俗」レベル含めたダイナミズムも含めての。それってでも、これまでの「先行研究」をマジメに言われた通りに全部「読破」する、的な方向でだけいくら頑張ったところでおそらくまず気づくことのできない「わかる」のありようみたいで、な。

 前から言うとる「デバッグ」的な「読む」をどこまで意識した上で、それら「先行研究」と共に〈それ以外〉のとりとめない「雑」を淡々と補填してゆく視野資格を持てるかどうか。何よりそういう「デバッグ」的「読み」がいま必要だわ、と切実に自覚できるかどうか。そういう視線視角視野からしたら、「(朝鮮人)虐殺」をめぐるあれこれも、たとえば(何でもいいけど)60年安保をめぐるあれこれも、「できごと」としては同じ文脈で見るor「わかる」ことは可能なんだけど、な。

*1:Twitterを備忘録代わりに使うことと、それらを適宜まとめておくこと、は、フィールド・ノートと机上のノートの関係に近いのかも知れず。

「流れ」について

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 駅構内でも歩道でもコンビニの駐車場でもどこでも地べたにへたりこむ人がた、殊に若い衆世代が珍しくなくなってきたのはあれ、都市部だけでなくどこでも舗装された地面が当たり前になって、土が露出している地面が日常からほぼなくなったってことが大きいんだろう。

 「キャリー」と呼ばれるあのキャスターつきの小型トランクが一気に普及したのも。あとあれは都市部だとエスカレーターやエレベーターが増えて段差を階段などで自力で昇降する場所が減ったことも含めて。クルマや電車、飛行機などの交通手段抜きの徒歩でしか移動手段がない環境だとあの「キャリー」一択ではなく、バックパックなり何なり身につけるギアになるはず。「移動」自体のあり方がそういうものになっている。

 あと、舗装完備の都市環境は「室内」「室外」の敷居を意識の上でも減らしてゆくらしく、自動ドアや自動改札、バリアフリー化などもそれを側面援護する。それらに支えられた「流れ」が日常の常態となるのは、あの品川駅コンコースの映像を見てもわかるいまどきニッポンの日常のありようかと。

 そのような「流れ」はできる限りシームレスに、停滞することなく維持されるべきであり、だから自動改札やレジ先でトラブることは最も忌避されるインシデントになる。ムカつく、や、イラッとくる、などのココロの発作みたいなものも、それら「流れ」が阻害されたことを契機に瞬発的に起こることがどうも多いような気がする。

 ココロやキモチはそのような「流れ」に同調していて、生身の視覚聴覚その他の感覚もイヤホンなどを介することも含めてスマホなどのデバイスに直結している状態。耳にワイヤレスイヤホン、手でスマホをいじりながら眼は画面に、というモードで「移動」の「流れ」に乗るのが「合理的」な状況。

 で、そのような状況のある極相のような都市部の通勤電車における「痴漢」行為というのは、以前までの「痴漢」行為と果して本当に同じものなのか、という素朴な疑問も、また。それら行為をする側と共に、される側も含めて。

*1:シームレスに、超伝導のように何らかの「流れ」を阻害しないようにすること、が最優先されるような意識の遍在化、について。都市化/現代化/トーキョーエリジウム化、のある側面としても。

痴漢と冤罪の関係

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 そこで男性専用車両推進派は、私鉄の株を買って、株主総会男性専用車両を提案する手段に出た。だが「女子差別撤廃条約」の関係で「男性専用車両=女を排除する車両」はアウトなンですね。まだMeTooの洗礼を受けてなかった外資が反対に回り、総会で敗北したのが2008年。


 そこで自転車の出荷台数。
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 2chで痴漢冤罪の存在をを広めた「○村○子事件」が1999年~2000年の出来事。実は911同時多発テロより前なンですね。


 今は第2次痴漢冤罪ブームと言える。第1次の人々で可能な層は「自転車通勤」や「クルマ社会の田舎に転居」に流れてるでしょうな。とにかく女を避けよ。


 男性差別や痴漢冤罪関係のツイ見て思うのは「歴史は繰り返す」ですな。00年代当時の喪男板と同じ内容が流れて来るから、書き手=非モテ喪男と当初は錯覚したワケで。ネトナン氏とかも居るので、男性差別喪男(真っ先に被害を受ける)から一般男性にまで拡大したのでしょうな(笑)

*1:痴漢と冤罪の関係もまた、時代によって変わりつつある気配が……「痴漢」というもの言いが時代と共にどのようにその内実を変えてきているのか、などの補助線もまた当然、人文系「教養」目線からは必要だと思うのだが。

恋愛結婚家庭の歴史性

 男女関連の話、おおむねすべてロマンティックラブイデオロギーが悪いし、ロマンスと労働再生産と共同体維持がセットになった恋愛結婚家庭なんて「めったに揃えられない」上がり役を狙うから良くない。歴史的には本物の上流層は結婚は家のためにして召使に家内労働分担させて恋愛は愛人としてたわけで。


 これ「上流層は不足する要素はつねにそうしてカバーしてきた」でほぼ間違いないと思う。歴史読むとわりとふつうに「愛人」とかそれに類するものの記述があるし、当時は非常に大っぴらにそうしていて、現代がむしろ情報化でみんなの目が厳しくなっただけだと思う。


 欧米圏はロマンスと共同体維持はセットにしたが、召使への家事分担はむしろいい事としてるし、日本の都市部だと共同体維持はあきらめ気味の人が多い(だから出生率下がるの当然)だし、けっきょく三つ揃えるの現実には「運と努力がないとムリ」でしょ。ないものねだりですよ。


 麻雀知ってたら、よっぽどの手牌じゃなきゃ初手から清一色狙わないじゃん。それを狙えってイデオロギーにみんな苦しんでる

 たまに「最近の日本アニメはエロしかない」みたいなことを言ってくる人がいるが、今の日本アニメは20年、30年前のアニメより、遥かに規制されてる。昔は「謎の光修正」もほぼなかったし、普通にキャラの下着見えてましたから。まぁ、信じてもらえないだろうけど。

遠ざかる「オシャレ」・雑感

岡崎京子のまんがは現在のティーンエイジャーにはまったくウケないのだそうだ「なぜわざと不幸になるのか」という点が理解不能の由、しかしおれ世代に太宰治がまったく響かなかったことを想えばさもありなんではある。 pic.twitter.com/wj62F85Ue0— 𝙏𝙖𝙠𝙖𝙜𝙞 𝙎…


𝙏𝙖𝙠𝙖𝙜𝙞 𝙎𝙤𝙩𝙖 on Twitter: "岡崎京子のまんがは現在のティーンエイジャーにはまったくウケないのだそうだ「なぜわざと不幸になるのか」という点が理解不能の由、しかしおれ世代に太宰治がまったく響かなかったことを想えばさもありなんではある。 https://t.co/wj62F85Ue0"

記事元:twitter.com/TakagiSota

 かるく衝撃ではあった、このtweet

 あ、いや、もちろん「ああ、そういうことってあるよなぁ」という既視感も含めてのことではあるのだが。

 「なぜ、わざと不幸になるのか」――この違和感は、少し前まであたりまえに共有されていた本邦「民俗」レベル含めたある種の「おはなし」のたてつけ自体に対する違和感でもあるだろうな、と。そしてそれは、たとえば貴種流離譚だの、ビルドゥングス・ロマン何だのと、いずれそのような人文系ガクモンの脈絡であれこれリクツづけられてきた、それはそれでグローバルでもあった「おはなし」一般のそれに対する異議申し立てでもあるような。もちろん、本邦の「ブンガク」自体に対する破壊力は言うまでもなく。まあ、「ブンガク」とその周辺の当事者たちがそのように気づくかどうかは知らんけれども。

 フリッパーズギターもただただ奇怪なだけで、これのどこが「オシャレ」という概念と結びつくのか、どうしても理解できない由、まあこれもおれ世代に石原裕次郎小林旭が奇怪なものと映ったのと同じである。現在のティーンエイジャーにも80年代の音楽やファッションを愛でる者はいるが、それはおれ世代にも戦前SP盤やモボモガの衣装を集めている好事家がいたのと同じで、決していにしえびとと感覚を共有しているわけではない。

 「オシャレ」というのを「流行の尖端」とするなら、それゆえの異形ぶりというのはいつの時代であれ常にあるのだとしても、ただ、その突出した異形ぶりに何を見出すのか、言い換えればどう「よむ」のか、というあたりの問いになってくるのだろう。

 そんなもの、味気なく言えば万人に受け入れられるようなものでもなく、これまたいつの時代もごく一部のちょっと「変わった」感覚、何らかの鋭敏な「センス」を良くも悪くもうっかり持ってしまったような人がたにとって、初めて「オシャレ」と解釈され意味づけられるようなもののはずで、それがその時代なりその社会なりのある程度の普遍として一般的な「オシャレ」となってゆくと、そこで初めて「流行」となり、同時にそこから陳腐化通俗化も始まる、と。古今東西おそらくそう変わりのない「世相」と「オシャレ」と「流行」の相関のありよう。

 ただ、ここで言われているのはそんな一般論などではもちろんなく、自分自身が生きているこの〈いま・ここ〉の内側にすでにそのようなズレ、かつて自分が間違いなくそう感じていたはずの「オシャレ」という判断やそれらの感覚の基準の記憶に否応なく介在してくるらしい〈それ以外〉の気配についてのおどろきや当惑、なのだろうが。

 友人のファッション専門学校講師の授業「戦後の欧米諸国でLSDがいかに思想政治文化に広範な影響を与えたか」ベトナム戦争からS・ジョブズまで熱弁を振るったが、10代の生徒たちはまったく要領を得ない「なぜ違法な毒物をわざわざ摂取するのか?」その一点がどうしても理解できないらしいのだ。若者も賢くなり、リスクを取ってワクグミから逸脱しなくとも、既存のワクグミの内側にも広大な未知の領域を見出せるようになったのである、これこそインターネットの功績ではないか。

 ズレは常にあり、〈それ以外〉からの侵犯もまたいつの時代もあり得るものだとしても、その間をつないでゆくための道具だての類から何か深刻な亀裂がはらまれているらしい、という懸念。先の「なぜ、わざと不幸になるのか」と全く同じ水準で、「なぜ、違法な毒物をわざわざ摂取するのか」というギモンの遍在の現在。内面的な懊悩だの苦悩だの、いずれそういう「個」と「自分」「自意識」「自我」にまつわってくるあれこれの七転八倒が、時代が変わったからとてそうそう解消されるはずもなく、いや、それどころか時代はさらに「近代」を深めて別の何ものかの方へとうっかり底を抜けてゆくような事態になりつつあるのに、「個」や「自意識」の七転八倒がなかったことになるわけがない。

 だとしたら、その七転八倒のあらわれ方が変わってきている、その可能性は見ておかねばならない。「ワクグミから逸脱しなくとも、既存のワクグミの内側にも広大な未知の領域を見出せるようになった」のだとしたら、それはあの攻殻機動隊などの設定の背後に見られる世界観、「内面」の意味がこれまでと裏返ってきているらしいこととも通底しているのかも知れず。

 人間の幸福は要するに脳内麻薬物質さえ大量に分泌できれば手段など何でも良いわけで、昔は権力に脳内麻薬物質が統制されていたのが、インターネットによってコンテンツ量が爆発的に増えて統制しきれなくなったという話なのではないか。

 「脳内麻薬物質」などという言い方に収斂させてゆく手癖はこちとら持ち合わせていない野暮天だから、ここはひとつ、何らかの生身の躍動、グッときたりいたたまれなくなったり、いずれそういう自分自身ではにわかに制御しかねるような「感動」の類、という具合にゆるく開いておこう。それら「感動」をもたらす「関係」や「場」が、必ずしも「感動」のための必須の条件でもなくなってきたように感じられる分、その「インターネット」という空間に充満しているらしい「コンテンツ」の「量」が、生身同士の「関係」や「場」に何らかの掩体を設定して、擬似的な「感動」を宿せるくらいの密度や濃度を達成している――ざっとそういう見立てがここには示されている、ということになる。

 それでも、なのだ。

 そのような昂奮なりラリパッパなりに等しい状態、「感動」はそこまできれいに環境にだけ規定されると考えていいものだろうか。「権力」に統制される「感動」というのは、構造なり制度なりとしてはひとつの見立てとしてあり得るにしても、最後の最後、他でもないこの自分の生身ごと「感動」するというどうしようもない〈リアル〉については、それら見立てに全部回収させてしまえるものなのだろうか。
 

「面倒みる」ということ・雑感

 あれらにはあれらの世間がある、という言い方に伴う尊重の仕方。この世は決して誰にも均質な空間ではない、という「あたりまえ」が前提になっているということを忘れないようにしたい。

 子ども、というもの言いにしても、「子」ども、のはずで。その「子」にしてもある意味「そういういきもの」という「そいつらの世間」の存在が前提の上でのことだったりしたらしいわけで。

 カタチ見てくれは「小さなおとな」であっても、だからこそ同時に存在としては「そういういきもの」という「別の世間」を生きているらしい、でも/だから「大きな≒ちゃんとしたおとな」の型を真似させてゆくことで「こちらの世間」に引き寄せてゆく、そういう「民俗」レベル含みの「教育」の考え方。

 年上が年下の面倒を見る、世話をする、という「関係」とそれによってできる「場」がそういう「民俗」レベル含みの「教育」には必要だったわけで、それを「上下関係」とだけ解釈して「個人」「個性」への「抑圧」とだけとらえるようになっていった過程と、それによる弊害について。

 たとえば、旧軍での「戦友」というもの言いにも込められていた、でもおそらく戦後の過程ではどんどんなかったことにされていったココロやキモチの領域。

 この「面倒みた」の背景に当時共有されていたある内実、とか。

 めんどうみたヨ/植木等

www.youtube.com
 
 こっちの方がわかりやすかったか(´・ω・)つ 
youtu.be

 「言いたかないけど、めんどうみたヨ」というキメの部分。「昔、面倒みた(だから)その「恩」は感じてくれているはずで、その分いま助けてくれる≒「恩」を返してくれるはずorべき」というリクツ。「敢えて言いたくはない&言うのは野暮だけど」というあたりも含めての機微(´;ω;`)

 でも、戦後のこの時期(1963年?)にはもうそういう機微自体、距離感持って半ばギャグとして受け取られる程度にゃ、そういう「民俗」レベル含めた戦前由来の世間の感覚に対する相対化or世俗化が始まっていたわけで。

 昨日だか触れた、初期の美空ひばりを「子どもらしくない」と糾弾するようになった「戦後」のある種の「市民」感覚とも通じる何ものか。「カタチだけ小さなおとな」を真似て演じてみせることを喜ぶ世間、ってのはそれこそいわゆる演歌や浪曲(少年浪曲ってのがあったくらいで)なんかの「民俗」と地続きな芸能領分じゃフツーだったわけで。そういうのをグロだキッチュだ、と見る感覚は「市民」的で「モダン」なもので、むしろ「カタチだけ小さなおとな」をうまくやってのけることは、おお、こんなに立派におとなに近づいている、的な称賛の対象だったはずで。

 初期のタカラヅカにしたところであれ、「お伽」というフィルターがかかっていたから「市民」的「モダン」の側からすんなり見てもらえた面あったはずで、でも見ていた側の心性的にゃ「カタチだけ小さな何ものか」を見る感覚は未だたっぷり共有されとったんでないかいな、とかいろいろと。

 そういう文脈含めた「学芸会」の歴史性の解明ってもうやられとるんだっけか。

 小林一三モダニズムってのはもう定説的に語られてるし、それがタカラヅカの下地に、的な脈絡も同様に、だけれども、でもその小林一三の趣味性癖が無自覚な「足ながおじさん」だったかもしれんことは前々から示唆しとるんだがな……「市民」的「モダン」ゆえの闇というか。