ロリコンと萌え――吾妻ひでおの訃報に寄せて

 70年代末から80年代あたりに「ロリコン」がインテリ知識人文化人っぽいシルシ、として「消費」wされるようになったのって、つまり「めんどくさい (セクシュアリティなどひっくるめた内面が) 人」のシルシとして使い回されていたフシ、あったよね。

 吾妻ひでおの訃報関連、TLもずっと賑やかだが、個人的な印象としては、吾妻ひでお作品にはいわゆるロリコン系の感覚というより、拗れた女性崇拝的なニュアンス、それも♂である自身に対する性的嫌悪感忌避感をテコにした感覚の方が優先していた。

 生身三次元のオンナに対して自信がないから二次元幼女「しか」相手に「できない」のよね~、的フェミ風味な批判揶揄嘲笑の類は当時から出始めていたと思うが、もうそれ自体、「ああ、やっぱり何もわかってねぇんだなぁ」と思っていた。

 こいつらやっぱいずれ生身三次元のオンナ(つまり自分たち)相手にするのがあたりまえ、っての盾にして一方的に殴りかかってきとるだけやん、とか、な。しかもそういうあたりまえをおまえら♂はあたりまえだと思うとるんだろm9(^Д^)プギャーとかってのも一緒くたにして、な。そういうのが「ロリコン」なのだ、と言われれば、そうですか、としか言いようがないのだが。

 だからそれからだいぶ後、今で言うような意味での「萌え」が言われ始めた頃、まずもってその「萌え」自体ようわからんまんまだった(今でもようわからん&違和感ある)んだが、吾妻ひでおの頃にはあったはずの♂の性的嫌悪感忌避感の部分が、良くも悪くも後退してきとるような印象はあった。あるいは、嫌悪感忌避感をそういうカタチで昇華なり止揚wしようとしてきとるのかな、無意識のうちに、とか。

 だから、吾妻ひでお的な感覚ってのは、自分としては「無法松」(的想像力をうっかり描いてしまった岩下俊作的な感覚)の末裔、という印象をずっと持っている。*1

*1:おそらくこれだけでは何のことやら大方にゃわからんだろうけれども、このへんはもっと腰据えて展開せにゃならんと思うとるので、ここではこの程度の走り書き程度にとどめておく。