「妬み」とアナーキー

 それはおそらく「エリートの妬み」ではなく、ある程度「豊か」になってそういう生活できるようになってきた当の世間一般その他おおぜい自体が、漠然とある種のうしろめたさ的な感覚と共に抱いていた部分がほったらかされたままでいた結果、のちのちいろいろ悪さし始めていったようなところがあったんだと思う。

 これもまた年来の持論のひとつだけれども、戦後に達成した「豊かさ」が果たしてどういう理由、どういう経緯で実現できたのか、というあたりの一般的な了解ができない/しないままで、だから「豊かさ」に根拠づけがうまくできない分、〈いま・ここ〉の現状に自信がなくて常にどこかうしろめたい、「こんなのウソだよな」的な不安が構造的にあったんでないか、という。「清貧」論なんてのがある時期、あれだけ売れたっていうのも、そういううしろめたさにクリティカルヒットしたわけで、それ以前の「モノよりココロ」的心性にしても同じこと。こんなにみるみるうちにぜいたくに(「豊かに」はその忖度&婉曲表現) なってもいいんだろうか、バチあたらんだろうか、的な。

 ああ、貧乏性と言えば貧乏性、近代100年足らずをやみくもに考えなしにとにかくやっつけちまえ、でやってきた結果、〈いま・ここ〉の現在の自分、この今生きている現実に対する確信や信頼の類がうまく持てないままだったわれらポンニチ、日本人というこのアホで健気で小心な民族よ、とここは柄にもなく出羽守テイストで敢えて。90年代のあの「歴史教科書問題」の頃から、こういう〈いま・ここ〉に至る「歴史」の不在がいきなりの失地回復運動として鬱憤晴らし的に、痙攣的に噴出してしまう習い性みたいなことは感じていたし、また実際そういう理解で間違っていないと今でも思う、昨今の「ネトウヨ」呼ばわりに至る草の根常民その他おおぜいレベルでの「ナショナリズム」めいたルサンチマンの表現の背景にわだかまっている何ものか、というのは。そしてそれは、「ナショナリズム」などという他人行儀から逃れられないカタカナ用語のよそよそしさでは到底理会することのできない、もっと根源的で本質的な〈いま・ここ〉のわれらポンニチの民族的心理を構成する重要な要素としてさらになお無視できないものになってきているし、今後おそらく今世紀半ばから後半にかけての文明史的間尺での課題にまでなってくるように感じている。

 自分のこの「豊かさ」や生活の安定ぶりそのものがどこか嘘っぽく、あてにならないものである、という感覚。敗戦後の喪失感や崩壊感覚などを実際に自分ごととして体験してきた世代でなくても、どうやら自分らのこのニッポン自体がそういうもの、あわただしくジタバタあくせく七転八倒した挙げ句、何かのきっかけでひとつ瘧が落ちたように茫然自失するしかないような事態に陥るものらしい、だってほれ、親もじいちゃんばあちゃんも、生きた時代は少しずつ異なれど、みんな似たような仕打ちを生きている間にそれぞれそれなりにされているみたいじゃないか、と。だから、自分以外の他の誰かがどこかでうまいことやっていい暮らしをするようになっていたとしても、それもまたたまたま今だけのこと。だから、「妬み」や「僻み」「嫉み」の類よりも、いやそれも間違いなくあるのだけれどもそれ以上に切実に、大丈夫かなそういうことで、またどこかで形勢逆転、世の中自体がひっくりかえってチャラになるような事態がきっと起こるに違いないのだから、という屈折した共感、大変ですなあご同輩、的な諦念までも含み込んだ淡く沈んだ連帯感みたいなものが底の底にたゆたっているように思うのだ。

♬カネにあかしたガラバさんの庭も/ひとつ間違や海の底 *1

 なぜだかは知らない。知らないが、みんな自分の外側に「正解」を手っ取り早く求めるようになっている。その分、いまどきの「ポリコレ」というのはある意味、そういう誰にもお手軽わかりやすく拾える「正解」(≒往々にして「正義」にまで横転する) として機能しているところがあるのかも知れない。だから、自分より、自分たちの水準よりもうっかり「豊か」になっている御仁を見ると、「そんなわけはない」「そんなことがずっと続いてゆくはずがない」といったある種の対現実認識、「そういうもの」としての自明の法則みたいなものがあるところまでゆくと必ず発動される。されて、「どこの馬の骨とも知れない、この自分や自分たちと同じような連中」が栄耀栄華、運否天賦の人生双六の結果、大当たりの目を出して得手に帆を上げるさまを見ることになっても、「人としてそれ、どうよ」とか「お天道さまに申し訳ない」とか、そういう感じのもの言いと感覚とに想定されていた、いつどこで誰に教えられたわけでもない漠然とした、でも当然そうだよね、といった確固とした「常識」(敢えて呼ぶなら) がぬっ、と姿をあらわしてくるものらしい。

 だからそれは、本来の「妬み」とか、そういうものではないのだと思う。「あんたかてアホやろ、うちかてアホや、ほなさいなら」*2 という本邦常民的、いやより正確に町人的と言うべきだろうか、いずれそういう種類の底知れぬニヒリズムをはらんだアナーキーの表現。問題は、そのことを当のわれらポンニチ同胞自身が、ああ、やはり未だにうまく自覚も自省もできていないままらしいということだろう。

*1:もちろん、かの熊本協同隊は宮崎兄弟が田原坂から後退する際、拾った三味線かき鳴らしながら半ば自暴自棄に高歌放吟したという唄の一節。「ガラバさん」はあのグラバー邸の主、武器商人にして政商トーマス・ブレイク・グラバーのこと。

*2:かつて、一世を風靡したこの中島タメゴローの、もうひとつの名セリフなのであった。www.youtube.com

「頼りになる」オンナ・メモ

*1
 経済的にであれ何であれ「頼りになる」ってのは今でもオンナの人がた側からオトコを評価する要素として上位なんだと思うが、逆にオトコの側からオンナの人がたを評価するのに「頼りになる」ってのはあまりおおっぴらにしたらあかんようになっとるみたいなのはこれ、いろいろと思うところはある。

 「頼りになる」を「信頼できる」に言い換えてもとりあえずいいとは思うんだが、少なくとも恋愛や結婚を視野に入れた場合の伴侶 (パートナー、てか?) としてどうよ、てな局面でその「頼りになる」ってのをオトコの側から積極的に評価基準に入れるのは、その表現の定型が乏しいままということも含めて未だキツいだろ、と。まして近年のように、オトコの側から見るオンナの評価ポイントが性的存在としての部分と直結したところでしかなくなってきている状況だとなおのこと。

 いや、でもこれってこれまでだってあったはずだし、実際あったんよ、そういうオトコの側からオンナの人がたへの「頼りになる」という信頼感の水準。それこそかの「九州男児」定型なんてのもあれ「九州オンナ」と入れ子のセットで初めて成り立つありようだったりしたわけで、そこにゃ「頼りになる」も介在しとったわけで。だから、見合いでも仲人でも、そういう「頼りになる」をある程度客観的かつ経験的に計測してくれる仕掛け、という意味はあったんだとおも。いわゆる恋愛、好きだけでつがいになって世帯を持つことのリスクを軽減してゆくための知恵という側面、こういう意味でもう少し振り返ってみてもええとおも。

*1:例の “tough” という評価の基準、価値のものさしなどにも連なってくることは言うまでもない。男女の違い、年齢世代の違い、はたまた背景の文化の違いなどさまざまな「差異」を越えて、「信頼できる」「頼りになる」個体というのはどういう存在なのか。もちろん「リーダーシップ」などのありようにも関わってくる。

「よく調べてある」ことの現在・メモ

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 これ、とても大事な感覚であり違和感。単にその書き手の資質やスタイルというだけでなく、いろいろ根の深い問題を垣間見せてくれる糸口となる表明だと思う。

 個人的な違和感不信感でしかないっちゃないんだが、ただ、前々から言うとる「情報」化「コンテンツ」化や、それらを前提にしたいまどきのしらべもの (「調査」「研究」の類でも別にいいけど) に特徴的になっている「スキャン」的、2次元的平面的検索の視線など、近年の情報環境の変貌とそこに宿る〈知〉のありようの変質などと必ずどこかで関わってきているのだろうし、また、ある種の「ロンパー」的マインド *2、マウンティング前提での勝ち負けでしかものごと考えられないゲーム感覚、みたいなものが薄く広く自明に実装されているらしい事態などと共に。

「内容は、よく調べてあると思うところもありますが、自説に合わない事例を無視して論を進めているところが散見されるので大変モヤモヤします。」

 「よく調べてある」ということが昨今、その調べた事実や細部、個別具体のありようなどに対する「自分」との関係を、どこか「情報」化「コンテンツ」化した水準においてしか構築していないことと併せ技にしか成り立たなくなっているかも知れない、という懸念。あらかじめ「情報」化「コンテンツ」化されてあるからこそ、「よく調べてある」も容易に効率的に、一見きれいに現出されるようになっている、という状況。「よく調べてある」になるにはもちろん能力が必要なのだが、その能力は少し前までの情報環境において求められ、生身に宿っていたものと、昨今一律に「情報」化されたデジタイズ環境でのそれと、地続きであると共に、しかし〈知〉のありようとしては本質的に別のものという部分ももしかしたらはらんでいるのかも知れない、ということも含めて。

 「自説に合わない事例を無視して論を進めている」と感じたのは、その「自説」に向かってきれいに整序されているのとは別の〈それ以外〉の「情報」を手もとに持っていて、それらの〈それ以外〉をあらかじめ除外したところでこの「よく調べている」が成りたっていることが見えた(と感じた)からだろう。もちろんいまどきの情報環境のこと、それらもまた「コンテンツ」化された「情報」だったりするわけで、それらが共に一律にフラットに平面的に「情報」として一望できるようになっている(と感じる)がゆえに、それらを同じ水準で「資料」として「パーツ」としてどれだけきれいに整理して見せることができるか、の結果が眼前の「自説」として提示されている。手もとにある使われていない「資料」もまた、その提示されている「自説」を組み立てている「資料」と同じ水準、「コンテンツ」「情報」として突き合わせて見えやすくなっているからこそ、こういう違和感も抱きやすくもなっているはず、なのだが、しかし、昨今眺めている限り、このような違和感や不信感の類をとりあえずそのまま表明することは案外少なく、むしろ「できない」ような印象すらある。逆にそのような留保をはらんだ表明などすっ飛ばして、それら「自説」とは別の「自説」を手もとの〈それ以外〉の「資料」含めて駆使してとっとと構築、さっさと体裁整えて勇躍反撃に向かう、という「ロンパー」モードの即時始動がプロトコルになっているように思う。もちろん、その結果はそれらの過程で生成された「自説」という、ある種ヴァーチャルな「正義」のぶつけあいによる不毛なものにしかならないのも含めて、言うまでもなく。

 だから、それらいまどきモードの対話なり議論なりのプロトコルに従った結果がロクなものにならない、という経験的な認識の上に「モヤモヤする」がちゃんと表明できる、そのことの貴重。手もとにあるそれら〈それ以外〉の「資料」についてはどう考えたらいいのか、も含めて当面「モヤモヤする」というあたりで立ち止まるしかないこと、も含めての。

 すでにしてほぼ自明の前提になっているのは、同じ水準で素材を「情報」として共有する状態で、それらを取捨選択としてどれだけきれいに整った「自説」を生成してゆけるか、という「競争」のイメージらしい。フラットに共有された「情報」の広大な広がりとなめらかな水準を約束されたフィールドとして、その上できれいに整った「自説」の開陳合戦をしてマウンティング前提の勝ち負けを決してゆくのがガクモンであり、〈知〉の存在証明になっているのだとしたら、それはまたずいぶんと窮屈で不自由なことではあるなあ、としか思えない、絶賛老害化石脳としては。

 しらべものの結果、自分の手もとに資料として立ち現れたものは、しかし自分以外の誰かにとっても同じように資料になるわけではない、という感覚はおそらくここにはない。「コンテンツ」化された「情報」は誰にとっても等しく意味を持ち、平等にアクセスすることが可能なものである、というどうやら昨今、自明になりつつあるらしい前提。「科学」「論理」「データ」「客観的」といったもの言いの組み合わせで何となく理解されている〈知〉に対するある種通俗的な認識としても。そしてこれは「コックピット的一望監視感」の全面化とそのような環境での「個」という意識のありようなどとも当然、関わっているはずだ。*3

 自分との関係において初めてその資料は意味を持つようになる、という感覚の後退。これはおそらく、紙やその他媒体を介して、さらにはそこから「デジタイズ」化された「情報」として、現在の情報環境における極限にまで客体化された「データ」としてしか資料を考えられなくなったことにもどこかで関わっている。たとえば、取材や聞き書きなどで得られた資料は単にそういう「データ」ではない、ということ。他でもない自分がその時その場所で取材し、話を聞き、その関係と場において解釈し理解した、そのまるごとの感覚が否応なくあって初めてそれら取材や聞き書きの結果としての「データ」も存在する、という感覚の留保ができなくなっているらしい。そして、すでにバンザイクリフの如き状況を呈しつつあるらしい本邦日本語環境における人文系の「教養」としての守るべき一線というのは、このような留保としてしか存在しないはず、なのだが……

*1:ここで挙げられている本については未見だし、この評価が評価として妥当かどうかもひとまず不問。ここで着目したのはそういうことでなく。為念。

*2:「論破」することありき、の議論厨、web環境によく湧きがちな。

*3:「ベッドなり椅子なりに貼りついたまま動かないですむようになった「個」のまわり、その手の届く範囲にさまざまな情報機器の端末を並べ、「ボタンひとつで」世界を操作する、という幻想を可能にする空間。SF映画の宇宙船のコクピットから証券会社のディーリングルームまでを貫くこの「操作」「運転」イメージを軸にした空間は、社会的には近代の交通機関、とりわけ最も身近なところではクルマの経験を培養基にして成長したものかも知れない。」d.hatena.ne.jp

藤原審爾、のことなど

 ちと必要あって藤原審爾のことをこのところ少しさわり始めとるんだけれども、いやほんまにこれ、かなりの売れっ子で仕事もしてきた御仁なのに、ほとんどちゃんと論じられたりされとらん書き手になっとるのは、いつものこととは言いながら、なんでなん? と。*1

 有馬頼義なんかもそうだけれども、高度成長期にたくさん仕事していた書き手で、それこそ映画やドラマその他の原作などにも好んで使われていたような御仁ほど、何か理由があったとしか思えんくらいエアポケットのように論じたり語られたりされとらん位置におさまっとるのは、ほんとに素朴に不思議で興味深い。

 これ、若い衆の言うとったラノベ界隈でもある時期以前の読みもの「おはなし」脈絡からきれいに切断されとる(としか思えん)ような語り/語られ方しかしとらん、という件ともどこかで通底しとる何かがあるんかな、とかいろいろと。まあ、大量消費を目がけた創作物 (「コンテンツ」化されてメディア横断的になったらなおのこと) は活字であれ映像であれ、文字/活字の間尺で「語る」「論じる」「批評する」の視野に入りにくいし、何より方法的にもまず反りが合わんような気はする。

 〈知〉の側からの視野がすでに〈いま・ここ〉の広がりから置いてかれて、ナチュラ視野狭窄でどんどん閉塞していっとるらしいこと。それ以上に中の人がたがそのことにどんどんナチュラルに(∩´-ω-)アーアーキコエナイになってきとるらしいこと。マジメで優秀で意識高い、その意味じゃ当代若い衆世代リソース的にゃ選良であるはずの人がたほど、そのへんどんどん閉塞や梗塞が進行しとるように見えるんだが。

 たとえば、浪花節を語ったり論じたりしたものが、一般のファンや消費者でなく「専門家」と目されている/いた人がたでさえも、ある時期までほとんどそれ自体が浪花節だったりした(雑な言い方だが)ことあたりと、ある意味通じとるような気もする。こういう言説なりもの言いなりに適切なデバッグをかけてゆくこと、の必要と、それを認識して方法的な足場を構築しようとすることは、正しく「読み」の可能性の間尺において人文系の本領に含まれてくるはず、ではある。

*1:これがらみであった。king-biscuit.hatenablog.com

モニタの解像度と〈リアル〉の関係・メモ

*1

 ノートPCとデスクトップPCのモニタ画面との「距離感」の違い、が気になっていた。こちとら老眼・近眼なことを考慮しても、やっぱり道具としての使い勝手の違いがあるように思う。

 もしかしたらこれ、活字の本を「読む」際の「距離感」に規定されとるんかな、とふと。モニタの寸法というか、一定以上の大画面にやっぱりなじめないというのも理由はそういうことかも。同じモニタに何枚も画面拡げられるのが「便利」とは必ずしも限らないし、何より気が散ってかなわんという、ある種のマルチタスク音痴。少なくとも文字テキスト系のものはあかんらしく。

 「集中」するということと、文字/活字を「読む」ことの関連について。と同時に、それは海外の異なる母語においてどうなんだろう、とかいろいろと。

*1:このNOTESは、その都度拾ったtweetその他のweb介した情報や走り書きをあらかじめ「下書き」に放り込んでおいたものを、ある程度時間をおいて見直したり、その後そのお題にまつわる考えをあれこれ整理したりしながら、ある程度まとまった時に、その最初に記録した時点の日付で公開してゆくという自分ルールにしているのだけれども、そして、だからこの記事も公開したのは半年以上素材として寝かしておいた後のことになるのだけれども、まあ、そんな事情もあって一連の要継続審議なお題が連なってゆくことになるわけで、このtweetの内容もまた、そういう意味で「画像/映像」を日常に映し出すモニタ以下のデバイスの解像度含めた「クオリティ」がそれらを介した表現の「読み/解釈」に影響してきているかも知れない件、と関わってくる。……190914

「工作舎」的ファッショナブルの来歴・メモ

*1

 工作舎松岡正剛に象徴されるファッショナブル、あるいはオサレは、その後猖獗を極めた80年代的なニューアカ/ポスモの重要な下地になったこと。「思想」が商品となったこと、はもちろんだけれどもそれはことの半分であって、それ以前もすでに「思想」は商品として流通してきていた、戦前からずっと。

 ただ、その「商品」としての思想は必ず何か具体的な背景、社会なり生活なりとどこかで結びついて紐付けられるべきものであり、そういう需要によって市場も成りたっていたところはある。そしてその市場というのも主として出版市場、紙の媒体である書籍を中核にした広がりとして存在してきていた。だから、それらに関わる人がたは「読書人」であり、そのように活字の媒体に接することを基本的なモードとして実装していたような人がただった。少なくともそれまではそのはず、そういう約束ごとが生きているはず、だった。

 けれども、どうやらそういう約束ごと――たとえ「商品」として市場に流通し誰もが手にとることができるようになってはいても、思想や教養と名づけられるそれら「商品」はそれを手に取る人がた(「消費者」というもの言いはまだそういう「商品」についてはなじまなかった)にとってはそれぞれの生活や日常、そしてそこに日々生きる自分たち自身の生身のありようと否応なく紐付けられる「べき」もの、という一線は、「豊かさ」の中で煮崩れ始めていたらしい。それまでならば、それこそ「様々なる意匠」を手に取り賞翫することのできる人がたは相対的にまだ限られていたし、それらの状況においてなお守られるべき何ものか、も自明に想定され得ていたものが、敗戦と戦後の復興期をくぐった後、実現され始めた「豊かさ」の中、それまでとは比べものにならないくらいに広い範囲に平等に均質に「様々な意匠」としての「教養」が当時の感覚に沿った「ファッショナブル」をまとって一気に眼前に陳列されるようになったいた。*2

 以下、冒頭の原田氏のtweetの続き。結果的にわかりやすくまとめる形になっているので、敢えて引き出して並べてみる。

 「トンデモ本」という概念が生まれたきっかけは、と学会創設会員の藤倉珊さんが「宇宙の始まりにブラックバーンが爆発した」というビジネス書を見ても笑うどころか、ありがたがる人が結構いる、ということに気付いたことだったわけでまさにこの時代…

 で、こういう時代だから、八幡書店の本も安定した市場を確保でき、人手が必要になって、私も入社できたわけだから私自身もこの時代の申し子の一人。

 この風潮は日本だけの現象ではなかったわけだが、私見では、この時代の幕を閉じたのは世界的にはソーカル事件、日本国内についていえばバブル経済崩壊とオウム真理教による一連のテロ発覚だった。

 で、松岡正剛さんはその時代のカリスマの一人だったわけで、今時の人には珍奇に見える発言はその時代の芸風を今も続けているから。松岡正剛さんが実質運営していた工作舎ニューアカの発信源の一つだったわけだが、今にして思えば当時の工作舎の最大の功績は、かつてハナアイアイ諸島に生息していた鼻行類の生態報告を日本に紹介したことかも。

 こういう叢書を本棚に飾ることがファッショナブルだというイメージを宣伝していたのが当時の工作舎だったわけで。
https://www.kousakusha.co.jp/BOOK/kagakuseishin.html

 「ファッショナブル」という言い方が、やはり重要なのだと思う。

 「イケてる」でも「おしゃれ」でも何でもいいけれども、要はつまりそういうこと。知識なり教養なりがそのように「ファッショナブル」という意味あいをうっかりまつわらせるようになってきていた、少なくともそのような意味あいと共に理解するのが新しい、そんな感覚が当時、マチの学生などの若い衆世代のある部分に取り憑き始めていた。それまでなら「教養」ですまされていたようなものが、その同じ中身のまま「ファッショナブル」な意味をまつわらせることができるようになっていた。そういう変化こそが、ここで触れられている「工作舎」的なるもの、を現出させていった当時の情報環境のある本質でもあった。そういう意味で、確かに「新しい」当時の尖端の世相風俗の一点景ではあった。

 しかし、それは同時に、ある系譜の中に位置づけられるべきココロのありよう、意識の様態でもあったらしい。たとえば、こんな風に。

 哲學の本がこの時程賣れたことはないと本屋は云ふ。我々は電車の中で、若い女事務員が詩集を讀んでゐるのを見かけないことはなかった。インフレイションは相對的に哲學の本を安い商品にし、公衆の娯樂機関の喪失は女事務員をして詩集を讀ませたかも知れない。しかしそれだけではない。この世代を代表する知識階級は、やがて、一斉に、詩人として登場するであらう。又一斉に、絶對矛盾の自己同一に就いて語るであらう。そして、彼等がつくる詩と哲學との時代は、みそぎと玉砕と竹槍との時代の中に包れながら、却ってその野蠻な時代よりもながく生延び、戦後の世界に、藝術と精神との代表者として、殆ど戦争の間を通じて営まれた唯一つの文明の傳統として、華々しく誇らかに復活するであらう。(…) 彼を産んだのは戦争の世代である。新しき星菫派は時代の流行病である。一九三〇年代、殊にその後半に廿代に達した都會の青年の多くは、多少とも此の様な傾向を示してゐる。*3

 このような意味で、彼らは「70年代的星菫派」でもあったのだと思う。*4

 それまでの公認された「教養」としての知識群が、もうそのままではしっくりこなくなり始めていた。人文社会系ならばその中核に位置していたマルクス主義的な枠組みが、高度経済成長の「豊かさ」によってそれこそ下部構造から煮崩れさせられ始めていた。「豊かさ」の中で社会化してきた当時の若い衆世代にとって、それら既存の公認された「教養」はそのままではもう「豊かさ」の中に生きる〈リアル〉をうまく意味づけ、説明してくれるものにはならなくなっていた。

 だから、「ファッショナブル」が必要になった。「教養」を「ファッショナブル」にすることが「カッコいい」になった。「カッコいい」とは理屈ではない。感覚でありノリでありセンスである。理屈以前の瞬発的なキモチとして「(・∀・)イイ!!」と感じてしまう、その動態である。そのような動態に「教養」が放り込まれて、それまでと違う意味を付与されるようになっていった、ということだ。工作舎松岡正剛が準備し組織していった「気分」というのは、そのような既存の「教養」を違う文脈、違う意味の流れの中に配置しなおしてゆくことで、未だことばにうまくされることのないままだった当時の〈リアル〉に、ひとつのわかりやすい解き方を具体的に示した。自分たちの裡の「気分」をかたちにし、ことばにしてゆく雛型としてそれらは機能した(らしい)。後のニューアカ/ポスモで全面化していったある「気分」の前段階には、ざっとこんな事情も含まれていたのだと思う。*5

*6

 
 

*1:工作舎松岡正剛「的なるもの」について。残念ながら、というか、幸いにも、というか、自分はそういうものにほとんどかぶれなかった。その程度に真性イナカもんだったということだけれども、まわりには確かにそういう人がたはいた。生身の具体的な事例としてじかに接することになったのは畏友浅羽通明などあたりからだったかも知れないのだが。king-biscuit.hatenablog.com

*2:工作舎の当時についてはこんな本も少し前に出ていた。書評を求められたので書いたけれども、ある意味民俗資料としていろいろ感慨深いものがあった。king-biscuit.hatenablog.com

*3:加藤周一「新しき星菫派に就いて」1947年。

*4:これは、たとえば渋澤龍彦稲垣足穂などを好んで読むような読書傾向、そのような「本読み」たちの気分などまで焦点を拡げて捉えていいだろう。そして言い添えておけば、それらの中にかなりの比率である種のオンナの人がたが平然と混じるようになっていたこと、というのはその後のニューアカ/ポスモからいわゆるサブカル状況全面化の展開から、さらに言えば「戦後」の情報環境とその裡に宿っていった日本人のココロのありようなどまで含めて考えようとする場合に、忘れてはならない点のひとつだと思う。

*5:いまどき若い衆にこのあたりの話をある程度わかるようにしてゆこうとすると、まずその「教養」でも何でも、いずれ大学で読まされるようなムツカシげな本の中身や、またそういう本を書いていたりするめんどくさげな人がたの固有名詞がひとしなみに「ファッショナブル」にオサレに感じられた、ということ自体が(゚Д゚)ハァ?……(つд⊂)ゴシゴシになる。比喩としての「アイドル」というもの言い自体がいまどきの彼ら彼女らの準拠枠としては別モノになっているし、このあたりの彼我の距離感というのはいろいろと深刻なものがある。

*6:dotplace.jp

電子マネー、の信用ならなさ

 電子マネーで給料もろて、それが使える範囲で使うて、でもそれが一般市場より割高設定で、結果もらうも払うも全部同じところに吸い上げられて、ってそれ、タコ部屋女郎屋炭鉱兵舎工場その他でずっとやられてきとったシノギの手口。「市場」の電子化(≒「情報」化)が、社会と家庭(≒日常)生活、マクロとミクロ、公と私その他、歴史/文化的経緯や背景と共にいずれさまざまにあり得てきたはずのそれら「境界」介しての棲み分けやそういう社会的生態系自体、一気にミもフタもなくフラットに「開かれた」wものにしてきた結果の現在。

 仮想通貨というのもあれ、そもそもの仕組みからしてようわからんまんまなのだが、岡目八目で見聞きしてみとる限りでは、「仮想」の数字上でなんぼ儲けたところで(億り人、なんてもの言いも出回ってたようだが)「現実」化してゆくところにしっかり関所が設けられている様子。どうもそれを実際のカネに、つまり今われわれが依拠している現実の通貨による経済の水準に適用させてゆく過程にあれこれネックがあるものらしい。「現金」化しなくても買物できれば、と言っても仮想通貨で買物できる店なり場所なりがまだほとんどないに等しいという現状。何よりそもそもその値の上下の振れ幅、市場の不安定さがとんでもないものらしいということくらいはシロウトでもわかるから、これまでの株式相場や先物などいわゆる「金融/証券」系のバクチ性の理解の上にさらにしんにゅうのかかったうさんくささ、信用ならなさを世間一般その他おおぜいが抱いているのもまあ、ある意味当然という気はする。

 電子マネーというのはある程度広まってはきた。とは言え、多くはスマホ介しての各種電子マネー決済の利用か、あるいはSuica以下、各種公共交通系ICカード乗車券(こういう呼び方が正式らしい)介して利便性を享受しているというのが現状かと。まして、それら電子マネーと話題の仮想通貨との違いなどおそらくあまり認識されていないだろう。もちろん、こちとらとてあやしいままだし、またあやしいままでも日々の暮らしにゃまず支障などない。「そんなの関係ねえ」のまま、なのだ。

 貨幣自体がそもそもヴァーチャル(≒仮想現実)である、ということは経済学の人がたでも口にする。なるほどそうだ。けれども、そのヴァーチャルが「現実」を覆ってゆくことで〈リアル〉が変貌していった歴史というのもすでにある。貨幣経済が浸透していった過程での違和感や反発、葛藤などについては、それこそ世界中で観察できたことだろうし、こと本邦のこれまでに限ってみても、いわゆるムラ社会的な成り立ちで存在してきたコミュニティにそれら貨幣が新たな飛び道具として日々の暮らしの中に入り込んでいった過程というのは、ちょっとその気になってみればこれまでの「歴史」関連の仕事の中にいくらでも認めることができる。「商人」に対する本質的な違和感、信用ならなさ、というのもそのようなヴァーチャルな〈リアル〉を平然と手もとで操る身振りやもの言いなどを介して根深く醸成されてきたものなのだろう。そして、そういう「信用ならなさ」というのは、昨今の電子マネーや仮想通貨といった「新しいヴァーチャル」の貨幣(と、とりあえず便宜的に呼んでおく)を操る人がたの身振りやもの言いなどにも、間違いなく宿っている。