ロシアとウクライナのこれまで・概説メモ

 一応ロシア擁護しておくと、ウクライナソ連時代から、ガス料金未納とチョロまかしの常習犯だったのだ。自分のアパートにこんなのおったら、ぶん殴りたくなるのも分かるのだ。


 ただ、ウクライナソ連拡大時、原住民餓死からの入植というキチガイコンボ食らってるのだ。現在ロシア系が多い地区は、その結果の名残なのだ。


 あと、チェルノブイリも問題なのだ。今世紀末最大の糞を、国内でヒリ出されたのだ。岡山のオヤジですら受け止めきれないのだ。
まあなんで、ガス抜きは被害者の権利とも…いや流石にアカンわな。


 とまあ、ロシアとウクライナは色々複雑な関係なのだ。民族的には確かに兄弟なんだが、仲が良いとは言えないのだ。ご近所さんでも、財産分与とかの話で時々あるよねなのだ。


で、まあそんなギスギスした兄弟なのだが、2014年に兄が弟のクリミアって財産ぶんどったのだ。しかも、理由はロシア系が多いからなのだ。まあここはクソコンボが理由で多かったわけじゃなく、ソ連時代、仲良くなろうねってプレゼントされた場所なのだ。


 それでも、正式に渡したプレゼントを、やっぱ無しはちょと引くのだ。最初から渡すなよなのだ。まあ、そこまではまだ、ギリギリセー。いや、やっぱアウトだな。ではあるが、ウクライナは泣寝入りしたのだ。


 なんかそしたら、今度は東部もロシア系が多いからとか言って、家庭内不和をあおってきたのだ。こっちはもう、卑劣様ですら引くドン引きコンボかました例の土地なのだ。なんかもう、一周回って人の可能性すら感じる所業なのだ。


 んでまあ、そんな感じで内戦で1万人以上被害出しながら、2月24日が来てしまったのだ。なんか、お兄さん、いつの間にかロシアンメンヘラヒトラーにワープしん…ワープ退化してたのだ。


 なんか悲痛なDV映画始まると思ったら、名状しがたきコズミックホラー映画が始まったのだ。しかもクソ映画、メモイさんの語彙力では、とても表現出来ない程のクソ映画。監督呼んでこい、このバカチンが!デビルマン?戦闘力たったの5かゴミめ…


 しかも、このメンヘラがヤバいのだ。どれぐらいヤバいかってーと、新世界の海賊王に麿はなるッピって叫びながら、チェンソーブン回してるぐらいヤバい。地獄かな?地獄だったわ。


 しかもこのメンヘラ、なんか雑なのだ。やることなすこと全てが雑なのだ。我妻由乃さんをみなら…わなくて良いのだ。すみませんなのだ。あとユッキー役を、超年上スキーっていう誰得アレンジしてるとこも見どころ。監督呼んでこい、このバカチンが!(二度目


 しかもこのチェンソーマン、流石にヤバいと思ったご近所さんが止めに入ったら、オレハワルクヌェーとか言いながら、余計に暴れ始めたのだ。どうも、ご近所付き合いが辛かったのが原因らしいのだ。もう、最悪マキマさんでもいいから助けて欲しいのだ。


 今は、弟が兄のチェンソー躱しながら、デンプシーロールかましてるところなのだ。しかも平時はピアニストなのだ。ちょっと独創的な弾き方するけど。この弟、別のベクトルでヤベーのだ。絶対敵に回しちゃだめなのだ。


 でも、兄さん未だに、俺は止まんねえからよ、とか言ってるのだ。そろそろフリージア流して欲しいのだ。誰かラジカセ持ってきてほしいのだ。COOL COOL COOLとまあ、現状はこんな感じなのだ。予断を許さない状況なのだ。というか、予測できるかボケ!


 ここまで読んでくれた皆なら分かってくれると思うのだが、ロシアは決して悪ではないのだ。悪とは所詮人間の尺度なのだ。コズミックホラーの二乗なのだ。ニャル様のSAN値がピンチなのだ。なかなかできることじゃないよ。


 だから皆も、過度なロシア叩きはしないよう、気をつけてほしいのだ。ドワォって効果音が聴こえたり、そうか、そうだったのか…ってセリフを呟くようになってからでは遅いのだ。以上ですのだ。ご清聴ありがとうございましたのだ。

萌え・尊い・えっち、ヤバい・エグい・エモい

 20世紀末のオタクが可愛いから萌えを分離したけど、21世紀のオタクは萌えを尊いとえっちに細分類している感がある。ヤバいがエグいとエモいで解像度上げてきた感覚にちょっと似てる。

プーチンのキモチ・メモ

 ワイはこれはプーチンの気持ち分かるんです。無糖ちゃんの知り合いでゆとうさんっておじさんがいまして、ゆとうさんも自分で皇帝を名乗っちゃってるんですが、ゆとうさんは無職から皇帝の気持ちまで分かるって言ってて、プーチンはナポレオンになろうとしてるのではないかと言ってたんです。例えがナポレオンなんですけどもっと正確に言えば、帝政ロシアの復興ですね。帝政ロシア共産主義からすれば認められないのは確かなんですが、プーチン旧ソ連の書記長のようなポジションよりはロシア皇帝に憧れてると思うんです。


 プーチンは故郷がレニングラード、現在はサンクトペテルブルクなんですが、サンクトペテルブルク帝政ロシア時代の雰囲気が残ってるんですが、サンクトペテルブルクという呼び名自体が御存知かもしれませんがドイツ風の呼び方なんですね。


 91年にソ連崩壊のドタバタがあってレニングラードからサンクトペテルブルクというドイツ風の呼び名に戻したのですが、本質的にサンクトペテルブルクの人達は帝政ロシア時代に憧れ的なものがあったのではないかとも思うんです。これがあながち外れてるとも思わないのは、プーチンサンクトペテルブルクの副市長をやっていた時もあって、その後、大統領になってからサンクトペテルブルクで大規模な町の改修もやっていて、港の改修やら帝政ロシア時代の建物のように観光用にも改修したんですよね。


 単に共産主義が素晴らしいというなら帝政ロシア風の町並みにするのは矛盾してますからね。プーチン本人はモスクワよりもサンクトペテルブルクに思い入れがあるんだと思います。


 それとプーチンそのものはソ連邦共産主義システムは崇拝するもの、信奉するものではなく利用するものにすぎないと思ってるのではないかと。プーチンは諜報員としてベルリンにいたので共産主義国が崩壊する時のスピードや資本主義の浸透のスピードを身を持って知ってるはずで、共産主義は万能ではないのは理解してるはずだから資本主義との魔融合をやってるはずで、決して馬鹿ではなくむしろ恐ろしいほどに頭がキレる。。。


 で、なんでウクライナ侵攻かというと、歴史的にもロシアはずっと南下政策を取っているのと、そうなるとクリミア半島は絶対手中に納めたい、そしてベルリン時代に思い知ったであろう資本主義のスピードの早さを考えるとクリミア半島を確実に納めるには資本主義と民主主義が脅威になるんですよね、


 そうなるとロシアというかプーチンにはそんなに時間がないんです。親露政権ではなく民主的政権だとクリミアもうかうかしてられない。世界的にはインフレ傾向でエネルギー価格は上昇してるし、各国コロナで身動きが取りにくい、まさにこのタイミングなんだと思います。


 それともう一つが、歴史的にはロシアはド田舎でエカテリーナがロシア皇帝になるまではどうしようもなくてヨーロッパとは認められない辺境だったんですね。それよりはキエフの方が格が上だったのもあって、キエフもロシアも一つのロシアという歴史にしたいと思うんですね。


 エカテリーナが来てドイツ風の文化を入れてからロシアはかなり文化も発展したのですが、エカテリーナ宮殿が壮麗でサンクトペテルブルクにあります。共産主義イデオロギーとは相反するんですが、プーチンが観光資源としてエカテリーナ宮殿も大規模に補修していて 琥珀の間っていう琥珀で出来た豪華な部屋があるんですけどここが観光の目玉で2003年にはここでG20のサミットやってますね。この琥珀レニングラード戦の時にドイツに略奪されてんで後から改修で入れたものでプーチンはこの部屋がお気に入りでEUとかと会談の時もここ使います。


 だから自分はロシア皇帝だと思ってるんだと思います。


 モスクワというよりは故郷の帝政ロシアの香りが残るサンクトペテルブルクの方が思い入れあるはずですね。生まれは貧しかった軍人が権力に取りつかれるのよくありますからね。ナポレオンとか。そういうのが頭がキレて本気だと皇帝になろうとする


 ゆとうさんも無職王になるとかワイは皇帝だとか言ってて誇大妄想気味なとこあるんでプーチンの気持ち分かるんですかね。連ツイ長くてすみません💧あのおじさん話長いんですよ。。。無糖ちゃん深夜に聞かせれてちょっと参りました。ツイート長くてすみません💧

地域の〈いま・ここ〉

 ワイがガキの頃の岡山県北の山間部ど田舎だと家に鍵は付いてない、赤子が一人で家で泣いてるのを近所の人が聞きつけて勝手に家でその子の世話をする、子供がよその家に上がってご飯をいただく、幼児の子育ては爺さん婆さんの役目、ガキでも農業機械動かしてるの世界でそれが30〜40年前まで当たり前


 それが今では、ワイが大都市とど田舎の二重生活で子育ては都市圏になってるんだけど、ど田舎ですら核家族というか晩婚で子供がいるけど爺婆が80前でクルマ乗れない世話できないなんなら介護で、やってることが都市圏と同じでメチャクチャしんどい。これは逆に子育てのために都市に行くわな


 社会生活のためのシステムがあまりにも高度化しすぎてて、今までなら岡山県北ど田舎で余裕で生き残って子供を大学に行かせて農機具一千万単位で揃えてたボーダーの家族の生活が完全に破綻してる。かつて金持ちで破綻した家の跡が大量にある。すでに田舎の社会生活レベルでもある程度の知的水準が必要


 田舎と都市を行き来しつつ大阪神戸広島の地場生活と関わりながら世の中見てると、育児云々だけでなく、一人一人に要求するレベルがあまりにも高くなりすぎてる上に人との関わり方がなんか変になってて、ワイが子供の時にしたされた、他人の家の赤子を勝手に家に入ってあやしてあげる世界観なんか無理


 自民党とか保守な人が家族や地域との関わりとか言うけど、ホンマにそれを言うのなら、普通に鍵のかかってない他人の家に入ってそこで一人で泣いとる赤子の世話をすることになんの抵抗もおかしいと言う気持ちもないという世界観を復活できるんか、という。それができないなら、それはもう無理なんよ

BL・腐女子・表現規制

https://twitter.com/haruki839/status/1493045517974077441

そっか、「BLは守られる」と思ってるんじゃなくて「大嫌いで不愉快なオタクが苦しむならBLもろとも規制されたって構わない、別に商業BLくらい、漫画くらいなくなったって困らない(だって私洋画クラスタだし、漫画読まないし、言うてpixivとかはなくならんやろ)」って人たちもいるのか。


マジで洋画洋ドラクラスタの白人かぶれ腐女子多分この発想だな!?なんかしっくりきたぞ!?ファッキンヘルジャパンアニメコミックなんか滅んで構わんって心の底では思ってるから「女性作家の漫画も規制されるぞ!」って言われても「だから?規制されないように頑張れば?」って感じで響かないのか。


わー、とんでもないホワイトカラー目線(これは『上から目線』に白人かぶれの“白”をかぶせ『白から目線』と同時に上流階級であることともかけてるトリプルミーニングジョークです)

https://twitter.com/haruki839/status/1493047808680546305?s=20&t=X-jByJsxuKUAQQqsHZbLdA

繋げとこう


洋画洋ドラ系腐女子、むしろ表現規制を有難がってる説

八朔@YouTubeはじめたよ @haruki839
漫画だけ規制されてドラマや映画が規制されないわけないのにね


と思ったけど、どうせ洋画洋ドラ系白人かぶれオタク(僕は政治的に正しいので性別問わない)むしろ「アップデートされたから私好みの作品ばかりで嬉しい💕」程度にしか思わないんやろな……絶望感…… twitter.com/koshian/status…


twitter.com/haruki839/status/1493047606980722693

既に治安の悪いDMで話してたことなんだけど「洋画洋ドラ系腐女子は基本赤ブーのイベントの世話にならないから赤ブーへの当たりが冷たい」って話もある。(だったら赤ブーの客じゃないのでただの余計なお世話なんだけども)<

「この☓☓☓☓!」という「差別語」

https://twitter.com/nezikure/status/1492487388236754944

今日、なんというか凄く味わい深い出来事があったんですが…
なんと申しますか…
地元の農家で洒落にならない規模の窃盗がありまして、
その犯人が日本国籍を有していない方だったワケなんですけれど
ソレに対して70代の方が
「この☓☓☓☓!」と仰って、その場の全員が
「???」ってなったですのよ


聞いた事無い言葉だったので、
犯人含め全員が意味不明状態だったんですけれど…
まぁその、スマホで調べるとすぐに出てきて、
『現代では誰も使わなくなった特定国籍の方を指した差別用語』だったらしく
キョトン・ポカンからの
「爺さんそう云うのはやめときなよ…」という流れで…


爺さんが
「オレかってまっとうに生きゆう若い衆が、何処で生まれて生きてきたかなんぞあーだこーだ言う気ぃはねっけど、コイツみたいなんは地震ンときも好き勝手やりくさったんな!人間扱いしたくねぇ!!」と、火を吹く様な勢いで…


爺さんを窘めた爺さんの家族も
「ぁー…そう云うアレかぁ…」ってなったので、
事後に駆けつけたヤク物も口出しはしませんでしたけれど、
コレ、多分世の中でも
差別用語を使った事』だけに注目して
爺さんを悪者にする案件がいっぱいあるんだろうなぁ…みたいな…しんどい気分になりましたわ…


爺さんはこの件、
『完全に被害者』ですのよ。
なにせ被害総額が洒落にならないですし、
そうでなくても『窃盗の被害者』で、
器物損壊に不法侵入もされてる。
もし一歩違ったら、爺さん自身が直接危害を加えられていたかもしれない。


ヤク物はこういう場合、
『事例を分ける』様にしてるですのよ。
『窃盗』と
差別用語の使用』は別件であって、
「そう云う事を言ってしまうと爺さんが損をするし、味方もしづらくなってしまうから勘弁してくれ」と。
爺さんに我慢や分別を要求するのが、ちょっとだけ申し訳ない案件なんですがね…


絶対に『被害者の落ち度』だけしか眼に入らなくなる人間は居る。
そう云う人から被害者を守るには、
対処法を周知して、落ち度を消しながら戦うしか無い。
ホントに、洒落にならないんですけれどね…

1970年の「貧しさ」について

 1970年を「まだ飢えと欠乏への恐怖が社会に幅広く共有されていた頃」というのは、ちょっとどうかな、と……「まだ飢えと欠乏の記憶が社会の多くの大人の間にあった頃」くらいかなぁ……(*゚ー゚)

 すかいらーくは1970年創業、敗戦から25年、まだ飢えと欠乏への恐怖が社会に幅広く共有されていた頃。安くて美味しい料理という一言にどれだけ多くの人々が惹かれたかわからない。元々は小売業なので、良品廉価というのは創業者の横川四兄弟にとって疑いようのない共通のテーマだったと思う。

 東京オリンピックが終わりテレビがカラー放送になって既にウルトラマン仮面ライダーサザエさんが放送されていた大阪万博の年であっても、減ってたとはいえ東北から中卒で都市圏に就職する子達はいたわけで。『俺ら東京さ行ぐだ』が流行る頃まで地方によっては飢えと欠乏は隣合わせだったかと。

 その文脈だと「地方」というより「階層」に移行しつつあったような気はします。


 あと、「おら東京さ行ぐだ」の時点(1984年)ではもうとっくにそういう「東京or中央/地方」「マチ/イナカ」の落差についての社会的イメージは、ほぼなめされ切った段階だったかと。だからこそのパロディ的「なんちゃって」感覚、デタッチメント前提でのある種ひと捻りされた上での浪漫だったかと。


 「マチ/イナカ」落差が連綿とあり続けて来て、それこそ「向都離村」と「帰去来情緒」の複合の「ふるさと」憧憬が近代このかたずっと本邦同胞常民新世に沈潜してきたのが、高度成長以降の70年代から80年代にかけての時期に一気に〈いま・ここ〉から「離陸」させられていったような印象があります。

 「戦後」とひとくくりに数十年、今となっては70年以上をそのわずか二文字熟語に放り込んで取り扱ってしまうワヤを、未だわれわれは平然とやっている。それこそ、「そういうもの」としての手癖習い性、深く考えることすらなく、ほんとにbotのごとくに。

 もともと「戦後」とは、「戦後派」というくくり方で、ある種の世代論として浮上してきた語彙だったように思う。それは同時に、世相風俗論でもあり、それこそ敗戦後の世相の〈いま・ここ〉のとりとめない猥雑さ、何でもありの混乱の極みの中を活きるわれら同胞の、特に若い世代のはじけっぷりに瞠目してのことだったらしい。

 アプレ・ゲール、というフランス語由来のもの言いが、「アプレ」と短縮され、それがその「戦後派」的なレッテル貼りとなって、当時の敗戦後の世相に突出して見受けられた若い衆世代を中心としたあらわれかたに対しての、ひとつの便利な合切袋として使い回されるようになっていた。「戦争の後」だから「戦後」、それがある世代に特徴的な行動として眼に立つようになったのだから、ひとつの派閥的に見えるから「戦後派」、と。

 「奇妙なフランス語が流行している。アプレ・ゲール文学――訳せば戦後派文学だそうだが、どう考えてみても世界には通用せぬ和製外国語の一つである。アプレ・ラ・ゲール(戦後)という言葉が特別の意味を以て用いられたのは第一次世界大戦後の数年間であった。良い意味ではなく悪い意味だ。戦争の残して行った生活と道徳の頽廃を一括してアプレ・ラ・ゲールと呼んだので、例えば性生活の極度な混乱、浮浪児と淫売婦、座席のこわれた列車、虚脱、自棄、絶望の押売、闇成金、暴力、ヒステリックな革命騒ぎ、インフレ、悪い酒、悪い料理、悪い礼儀、悪い文章――これらを見ると勝ったフランス人も負けたドイツ人も肩をすくめ両手を拡げて異口同音に言ったものだ。「おおアプレ・ラ・ゲール!」」

 もとをただせば「文学」の一派、当時の真善美社に集まった「これまでの日本の文学の伝統というものを国際的視野に立って再検討し、世界文学に通ずる道を発見しようとした」新人たちの旗印だったということだが、それが敗戦後の世相の混乱一般にまで敷衍してひとくくりにするのに便利で適切な印象を与えたらしく、広く使われるようになったというのが経緯らしい。

 そこから「戦後」だけが抜き書きされて、永らくそのまま使われるようになったのは、やはり「敗戦」が本邦世間一般その他おおぜいの意識の銀幕において、ある決定的な不連続、越えがたい段落をつけたような強烈な区切りとして刷り込まれるようになったことも大きかっただろう。「戦後」と言っておけば、それはまごうかたない現在≒〈いま・ここ〉であり、そこから地続きにあの「敗戦」まではつながっている、しかしそれ以前の「戦前」とはすでに断ち切られ、「関係ないもの」になっているという免罪符をくっきりと立ち上がらせる効果もあった。そういう意味では、「戦後」というくくりの中での現在≒〈いま・ここ〉を自明で絶対的な「正義」として認識する/させる呪文のような性格も付与されてきたのだと思う。

 ただ、その「戦後」も手癖習い性でだけ使い回され、bot化してゆく中、気がついたら昭和から平成、それも終わって令和の御代になっていて、時間にして70年以上のんべんだらりとひとくくりにしてしまう知的怠惰や精神的横着も何のその、未だに「戦後」の日本は、われわれの社会は、といった枕言葉は、さして疑いもなさげに使い回されているのは、なるほど奇観ではある。

 そんな「戦後」の内実を〈いま・ここ〉からもう一度、ほどいてバラバラにしてゆくこと。たとえば10年ごと、あるいは何らかのメルクマールでの区切りを仮につけておいて、それぞれの画期における「戦後」の使われ方、イメージのされ方について、測候する地点をいくつかランダムにでもいいから置いてみて、それらをざっと繫いでみて何が見えてくるのか、やってみるのも素朴に悪くない。

 大学に場所があり、学生若い衆らの演習の手ほどきなどにも結構使えるお題だと思ったりしたのだが、ああ、それもまた、懲戒解雇喰らった無職老害化石脳の身の上には、例によって詮無いことではある。